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古本夜話373 大鳳閣書房『俳文学大系』、坂戸彌一郎、蘇武緑郎「花街風俗叢書」

前々回、東方書院と三井昌史についてふれておいたのだが、その東方書院を別の出版社の月報で見出したので、それも報告しておきたい。これは書き忘れてしまったけれど、かつてやはり東方書院の『昭和新纂国訳大蔵経』のタイトルだけを挙げたことがあり、昭和三年から全四十八巻が刊行され、これも円本に属すると見なしていい。その第一回配本『涅槃経第一』の一冊だけを所持していて、それには「東方」なる月報がはさまれ、そこにある「創刊の辞」によれば、この企画は「国文東方仏教叢書」に続くもので、予約部数は三万部を超えたと謳われている。
『昭和新纂国訳大蔵経

奥付を見ると、編纂者は同編輯部三井晶史、発行者は東方書院代表者として坂戸彌一郎の名前が挙げられている。前々回既述した大正十一年の「現代意訳仏教経典叢書」、昭和九年の『仏教聖典講義大系』の間に、三井は仏教書編輯者として、「国文東方仏教叢書」と『昭和新纂国訳大蔵経』を手がけていたことになる。後者の発行者が坂戸となっているように、また前々回のふたつのシリーズの発行所が新光社や誠文堂新光社だったことからわかるように、三井がこれも前回取り上げた『浮世絵大成』などにおいて、東方書院の発行者を務めていたことがあったにしても、彼は編輯の立場に比重を置き、流通販売は他の人間や出版社に委託していたと考えていいだろう。もうひとつの言い方をすれば、金主やスポンサーも別にいたと判断できよう。

それをさらに確認したのは、同じく昭和四年から刊行された大鳳閣書房の円本『校注俳文学大系』においてだった。これは『俳諧大辞典』明治書院)に立項され、巌谷小波、伊藤松宇、橋本小舸の校訂による所謂「類書七部集」全編の総集で、元禄から嘉永にかけての俳壇の大勢を知る上での好資料とされていて、その十二巻に及ぶ明細もあることからすれば、俳諧の分野における重要な文献とみなせるだろう。

俳諧大辞典 『校注俳文学大系』

この『俳文学大系』を古本屋の均一大から五冊ほど拾っていて、その月報が「俳文学」で、第八巻所収の第六号に発行者として坂戸彌一郎が、現在の会員五千人に対する「倍加運動に就てお願い」なる一文を掲載している。これは会員が各一人を紹介してくれれば、一万人に倍化するので、よろしくお願いするという旨のものである。ただこの月報にしても、奥付の編輯兼発行所名は俳文学大系刊行会の坂戸照となっていて、これは坂戸の夫人のように思われる。

しかしそれらはともかく、第四巻所収の月報第十一号に、東方書院の『昭和新纂国訳大蔵経』の予約募集の一面広告が掲載され、その他の二ページには大鳳閣の既刊近刊案内として、高津正道『無産階級と宗教』中外日報東京支局編『マルキシズムと宗教』、服部之總『明治維新史』、プロキノ映画宣伝部編『プロレタリア運動の展望』、大宅壮一『モダン層とモダン相』などが並んでいる。

そこであらためて東方書院と大鳳閣書房の住所を確認してみると、両者はともに東京市下谷区上野桜木町五十番地で、この時期は大鳳閣書房と東方書院は坂戸彌一郎が代表を務め、俳文学書、仏教書、マルクシズム関係書などを出版していたことになる。これだけでも、かなり奇妙組み合わせの出版ということになるのだが、さらに大鳳閣書房を追うと、昭和六年には「花街風俗叢書」を出している。

花街風俗叢書 「花街風俗叢書」

これは本連載41の「未刊珍本集成」や同216でふれた向稜社の出版物の編集者で、近世文学研究者だったと思われる蘇武緑郎の関係から入手したものであり、奥付には編集者として蘇武、発行兼印刷者として、上野桜木町五一の長島譲の名前が記されている。戸坂の名前は消えているけれども、大鳳閣書房の住所も長島と同じで、かつての番地の五十から五一に変わっているにしても、経営者が代わっただけで、そのまま存続していたと考えられる。

この「花街風俗叢書」は裸本の第五巻『諸国遊里風俗篇』上を一冊入手しているだけで、何冊出たのかわからない。これは元禄時代に刊行された長崎の丸山遊郭などの各地の風俗誌の集成で、「編輯者の言葉」を読むと、「本叢書の顧問大槻如電先生が、去る一月十二日に八十七歳の高齢をもつて長逝されました」との哀悼の意がしたためられている。このことから、蘇武が大槻如電の弟子筋にあたるとわかる。また口絵の浮世絵について、「吉田暎二氏の御好意による」との言が見える。吉田は本連載371でそのプロフィルを紹介しておいた東方書院の『浮世絵大成』の編輯責任者であるから、その近傍に蘇武もいたと推測できる。

それならば、東方書院と大鳳閣書房の関係はどのようなものなのだろうか。おそらく円本時代に三井と坂戸が東方書院を興したが、仏教書だけでは経営が苦しいために、大鳳閣書房名義で、『俳文学大系』や新しく入った編集者によるマルクシズム関係の単行本を出すようになり、前回触れた東方書院の『浮世絵大成』などの企画もその延長線上にあるのではないだろうか。だがそれらは失敗におわり、その後の大鳳閣書房を長島なる人物が引き受けたとも考えられる。

大鳳閣書房の住所が上野桜木町にあったことから類推すれば、元々大鳳閣書房や東方書院は特価本業界の近傍にあったはずで、長島も同様だったと思われる。それは「花街風俗叢書」のような企画、及び奥付の定価三円に対して、「特価二円四十銭」というゴチック記載にも表われている。ただ検印用紙には「緑郎」の押印から、これが譲受出版ではなく、オリジナルなものであることがわかる。

そして前々回ふれたように、三井は東方書院として、誠文堂の傘下に入り、仏教書出版を続けていったことになるので、大鳳閣書房とはまた異なった再建の過程へと進んでいったように思われる。

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