林瑞枝の『フランスの異邦人』が「第二世代―フランス生れ、フランス育ち」と一章を割いてレポートしているように、一九七〇年代後半になって、林が挙げている移民や難民たちの二世の時代を迎えている。八〇年代のデータによれば、フランスの「0歳から満26歳の外国人人口」は158万人で、外国人人口の三分の一を超え、フランスの同年齢層総人口の7.15%に当たる。

その中で最も多くを占めるのはマグレブ諸国出身の二世で、アルジェリア人だけでも28.5%に及び、彼らは「ブール」世代と呼ばれている。日本語に置き換えれば、異邦人「団塊の世代」ということになろう。ちなみに第二世代義務教育生徒数は94万人となっている。フランスの総人口が一九四六年に4100万人から七五年に5300万人となり、1200万人という驚くべき人口増加を示したことは、フランスが十九世紀から移民国であり、所謂「移民慣れ」した国だとしても、かつてと異なる混住社会化を体験していたことになる。そして本連載で、その問題が郊外とHLM、繰り返される暴動に表出してきたことを様々に見てきた。
二〇〇九年にジャック・オーデイアール監督によるフィルム・ノワール『預言者』が公開され、カンヌ映画祭グランプリとセザール賞を受賞しているようなので、フランスではそれなりに評価された映画と見なせよう。私はDVDで観た。
『預言者』は冒頭の数ヵ所に明らかにHLMとわかる団地の風景が挿入され、この物語の出自と発端がそこにあることを暗示させている。主人公のアラブ系青年のマリクは身寄りもなく、まともな教育も受けておらず、フランス語の読み書きも覚束ない。彼は傷害罪で禁固六年の判決を受け、中央刑務所に送られてくる。そこは移民社会の縮図であり、様々な民族や宗教が混住し、刑務所特有の勢力関係が張り巡らされる弱肉強食の世界に他ならなかった。マリクはその最大勢力のコルシカマフィアのボスに裏切者の囚人の殺しを依頼され、それを果たしたことで認められ、刑務所内での地位を確立し、それが出所後の彼の生活へとも連鎖していく。監督のことやマグレブ系の主演タハール・ラヒムについては何も知らないし、このタイトル『預言者(Un Prophète)』には別の深い意味がこめられているのかもしれないが、このようなストーリーはフランスのフィルム・ノワールだけでなく、ハリウッドの刑務所映画の定番と見なすこともできるであろう。それはまた本連載62で言及した『憎しみ』の系譜上にあるともいえよう。
先に『預言者』を挙げたのは、この映画がマグレブ系二世、HLM、犯罪といった郊外の物語を総集し、ひとつの逆ビルドゥングスロマンに仕上げられているからである。しかしこれまで多くの同様に郊外の物語をたどってきた後では、それらの過剰なまでの反復、シミュラクルのようにも思える。「ブール」世代が誕生してからすでに四半世紀過ぎているし、新しい彼らの物語が生まれているのではないかという気にもさせられるのだ。
それはほぼ同時期に『預言者』の主人公と名前を同じくする、マグルーク・ラシュディの『郊外少年マリク』(中島さおり訳)を読んだことによっている。この小説の「5歳」という最初の章は次のように書き出されていた。
ブリュノ、あいつはちょっと変わっていた。三十代のずんぐりむっくりした野郎なのに、カストラートみたいにか細い声をしていた。目をつむっていたら、女の子だと思っただろうが、影絵だったらゴリラに近かった。要するに団地(シテ)にまたとない変なやつだったんだ。
ブリュノはアイスクリーム売りだった。毎日、午後五時になると、「リンリンリン」っていうようなレトロな音楽が町をにぎわす。その鐘の音に呼ばれると、みんな熱に浮かされたように走り出すんだ。あいつは頭がぼんやりしていたから、俺たちは簡単に、アイスクリームとおつりを、繰り返し、好きなだけ、巻き上げることができた。
このような語り口とアイスクリーム売りと鐘の音は私たちの少年時代の光景を彷彿とさせる。それは一九五〇年代後半から六〇年代初めのもので、夏になると、自転車に乗ったアイスキャンディー屋が鐘を鳴らしながらやってきた。その他にも飴売りを伴う紙芝居屋、ロバのパン屋なども同様で、それらが子供社会の本当に鳴り物入りの風物詩でもあった。しかしそうした子供相手の小さな商売は六〇年代の高度成長期において、次第に姿を消していった。
『郊外少年マリク』の冒頭に見られるこのような語りと自らの体験を重ね合わせて考えると、立場が移民の第二世代であろうと、住居が郊外のHLMであろうと、子供たちの物語は固有なものとして確保され、それをかけがえのないものとして生きていることが伝わってくる。なぜならば、子供というものは国家や社会や人種といった大きな物語よりも、周辺の身近な小さな物語、すなわち父や母や兄妹といった家庭や友人、それからそうした狭い世界に訪れてくる様々な人たちの存在によって生きているからだ。
『郊外少年マリク』の書き出しはそのことを告げ、この作品がそのような視座から構築されていることを示唆している。ブリュノという「またとない変なやつ」のアイスクリーム売りはそうした物語の象徴的存在で、まさに団地にやってきた子供たちのトリックスターのようだ。そしてまたこの「5歳」の後半は他ならぬ『預言者』とまったく異なる刑務所の物語でもある。
ブリュノは「頭がぼんやりしてた」ので、子供にも大人にも「アイスクリームとおつりを、繰り返し好きなだけ、巻き上げ」られてしまっていた。それでいて「おれたちの好きなフレーバーは忘れなかった」のに、「人が好過ぎてノーと言え」ず、結局のところ、母親の残した家も財産もなくなり、店も閉めることになってしまった。彼は本当に「幸せなおバカ」だった。そのために彼は以前にトラックを停めていた場所で「段ボールを敷いて座っている」姿をさらすに至る。みんなはあまりにも善良なブリュノを騙して悪かったと思い、惜しみなく施しをした。ところがブリュノそれが多めとなると受け取らなかった。また冬の厳しい寒さの折にはみんながかわりばんこに招こうとしたけれど、その申し出も受けなかった。とっくに「街も変わり、信頼なんてものはもう流行(はや)らない」時代になっていたのに、それは「みんなブリュノが好きだった」からで、「もし火星人が飛来したとしたら、やつらだってきっと好きになった。絶対に」。
ところが「ある日、ブリュノは切れちまった」。水鉄砲を持って、近くの自分を破産させたソシエテジェネラル銀行を襲い、現金を持ち逃げするという「すげえ芸当をやった」のだ。覆面はしていたようだが、銀行の誰もがブリュノだとわかっていたし、冗談ですますことができず、おまわりに逮捕させるしかなかった。裁判で彼の名字がル・ゲリックだとわかったが、誰もそれを知らなかった。
おれたちにとって、ブリュノはただのブリュノだった。福音書に出てくるマルコやルカやヨハネやマタイが、ただのマルコやルカやヨハネやマタイであるように。なぜってブリュノは聖人だったからさ。
聖人は懲役五年を食らった。水鉄砲を凶器にした強盗罪で。新しいフランス共和国大統領は、犯罪は犯罪だときめちまったんだ。情状酌量なんてのは、知らないってんだ。
新しい大統領とは前回もふれたサルコジをさしているのだろうか。
そのためにブリュノは「灰色のでっかい監獄」に入り、千人もの面会者を迎えることになり、他の囚人たちを驚かせる。5歳のマリクもその一人で、彼は騙していたことを告白し、泣きながら詫びるが、ブリュノは「楽しかったじゃねえか、それが一番大事なことだろ、違うか?」と応じただけだった。マリクは思う。ブリュノは「世界一優しい男だった」と。
そしてこの章はブリュノなき後のHLMの町の状況を暗示する、次のような文章が箇条書きにされ、それで閉じられている。
それからしばらくして、本屋がセルフ・サービス状態になり、閉店した
次いで食料品屋が閉まって、新たに麻薬のディーラーの巣窟になった。
カフェだけ残ったが、銃撃戦の犠牲になった。
いつしか、町から商店がみんななくなってしまった。
ここに紹介した「5歳」は、前述したように最初の章で、それから「26歳」までが語られていて、マリクを主人公とする短編連作集といっていいが、まったく新しい風が吹き抜ける郊外文学の誕生に立ち会っている印象を与えてくれる。この他にもまだ二十一編の物語がつまっているわけで、一編しか紹介できなくて残念だが、拙文が『郊外少年マリク』の世界への誘いとなればと思う。
また幸いなことに、著者のマブルーク・ラシュディが二〇一二年に来日し、〇九年にアイオワ大学の国際ライターズ・プログラムにともに招聘され、しかも同じように団地で育った作家中島京子との対談を行ない、それが「パリの郊外、東京の郊外」と題され、『文学界』二〇一三年二月号に掲載されている。あらためてラシュディについて記すと、彼は一九七六年パリ郊外にアルジェリア系移民二世として生まれ、経済アナリストとして働いた後、二〇〇六年に作家としてデビューしている。二人の対談も詳しく紹介できないけれども、ラシュディが『郊外少年マリク』に関して「郊外問題の悲惨さを理解するための教科書みたいなものだと思ってもらいたくない」し、そうではない生き方の可能性と希望と連帯のメッセージとして受け止めてほしいという旨を語っていることだけは記しておこう。
訳者の中島さおりは「あとがき」で、この『郊外少年マリク』の原タイトルがLe petit Malik で、これはルネ・ゴシニーの『プチ・二コラ』 を下敷きにしていて、その現代版だと述べているが、私は「14歳」の章にサン・テグジュペリの『夜間飛行』が出てくることから、『星の王子さま』Le Petit Princeを思い浮かべてしまったことを付記しておこう。
なお『文学界』二〇一四年二月号にはラシュディの短編「プリンスの鏡」も掲載されている。