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混住社会論70 マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)

郊外少年マリク



林瑞枝の『フランスの異邦人』が「第二世代―フランス生れ、フランス育ち」と一章を割いてレポートしているように、一九七〇年代後半になって、林が挙げている移民や難民たちの二世の時代を迎えている。八〇年代のデータによれば、フランスの「0歳から満26歳の外国人人口」は158万人で、外国人人口の三分の一を超え、フランスの同年齢層総人口の7.15%に当たる。

その中で最も多くを占めるのはマグレブ諸国出身の二世で、アルジェリア人だけでも28.5%に及び、彼らは「ブール」世代と呼ばれている。日本語に置き換えれば、異邦人「団塊の世代」ということになろう。ちなみに第二世代義務教育生徒数は94万人となっている。フランスの総人口が一九四六年に4100万人から七五年に5300万人となり、1200万人という驚くべき人口増加を示したことは、フランスが十九世紀から移民国であり、所謂「移民慣れ」した国だとしても、かつてと異なる混住社会化を体験していたことになる。そして本連載で、その問題が郊外とHLM、繰り返される暴動に表出してきたことを様々に見てきた。

二〇〇九年にジャック・オーデイアール監督によるフィルム・ノワール『預言者』が公開され、カンヌ映画祭グランプリとセザール賞を受賞しているようなので、フランスではそれなりに評価された映画と見なせよう。私はDVDで観た。
預言者

『預言者』は冒頭の数ヵ所に明らかにHLMとわかる団地の風景が挿入され、この物語の出自と発端がそこにあることを暗示させている。主人公のアラブ系青年のマリクは身寄りもなく、まともな教育も受けておらず、フランス語の読み書きも覚束ない。彼は傷害罪で禁固六年の判決を受け、中央刑務所に送られてくる。そこは移民社会の縮図であり、様々な民族や宗教が混住し、刑務所特有の勢力関係が張り巡らされる弱肉強食の世界に他ならなかった。マリクはその最大勢力のコルシカマフィアのボスに裏切者の囚人の殺しを依頼され、それを果たしたことで認められ、刑務所内での地位を確立し、それが出所後の彼の生活へとも連鎖していく。監督のことやマグレブ系の主演タハール・ラヒムについては何も知らないし、このタイトル『預言者(Un Prophète)』には別の深い意味がこめられているのかもしれないが、このようなストーリーはフランスのフィルム・ノワールだけでなく、ハリウッドの刑務所映画の定番と見なすこともできるであろう。それはまた本連載62で言及した『憎しみ』の系譜上にあるともいえよう。
憎しみ

先に『預言者』を挙げたのは、この映画がマグレブ系二世、HLM、犯罪といった郊外の物語を総集し、ひとつの逆ビルドゥングスロマンに仕上げられているからである。しかしこれまで多くの同様に郊外の物語をたどってきた後では、それらの過剰なまでの反復、シミュラクルのようにも思える。「ブール」世代が誕生してからすでに四半世紀過ぎているし、新しい彼らの物語が生まれているのではないかという気にもさせられるのだ。

それはほぼ同時期に『預言者』の主人公と名前を同じくする、マグルーク・ラシュディの『郊外少年マリク』(中島さおり訳)を読んだことによっている。この小説の「5歳」という最初の章は次のように書き出されていた。

 ブリュノ、あいつはちょっと変わっていた。三十代のずんぐりむっくりした野郎なのに、カストラートみたいにか細い声をしていた。目をつむっていたら、女の子だと思っただろうが、影絵だったらゴリラに近かった。要するに団地(シテ)にまたとない変なやつだったんだ。
 ブリュノはアイスクリーム売りだった。毎日、午後五時になると、「リンリンリン」っていうようなレトロな音楽が町をにぎわす。その鐘の音に呼ばれると、みんな熱に浮かされたように走り出すんだ。あいつは頭がぼんやりしていたから、俺たちは簡単に、アイスクリームとおつりを、繰り返し、好きなだけ、巻き上げることができた。

このような語り口とアイスクリーム売りと鐘の音は私たちの少年時代の光景を彷彿とさせる。それは一九五〇年代後半から六〇年代初めのもので、夏になると、自転車に乗ったアイスキャンディー屋が鐘を鳴らしながらやってきた。その他にも飴売りを伴う紙芝居屋、ロバのパン屋なども同様で、それらが子供社会の本当に鳴り物入りの風物詩でもあった。しかしそうした子供相手の小さな商売は六〇年代の高度成長期において、次第に姿を消していった。

『郊外少年マリク』の冒頭に見られるこのような語りと自らの体験を重ね合わせて考えると、立場が移民の第二世代であろうと、住居が郊外のHLMであろうと、子供たちの物語は固有なものとして確保され、それをかけがえのないものとして生きていることが伝わってくる。なぜならば、子供というものは国家や社会や人種といった大きな物語よりも、周辺の身近な小さな物語、すなわち父や母や兄妹といった家庭や友人、それからそうした狭い世界に訪れてくる様々な人たちの存在によって生きているからだ。

『郊外少年マリク』の書き出しはそのことを告げ、この作品がそのような視座から構築されていることを示唆している。ブリュノという「またとない変なやつ」のアイスクリーム売りはそうした物語の象徴的存在で、まさに団地にやってきた子供たちのトリックスターのようだ。そしてまたこの「5歳」の後半は他ならぬ『預言者』とまったく異なる刑務所の物語でもある。

ブリュノは「頭がぼんやりしてた」ので、子供にも大人にも「アイスクリームとおつりを、繰り返し好きなだけ、巻き上げ」られてしまっていた。それでいて「おれたちの好きなフレーバーは忘れなかった」のに、「人が好過ぎてノーと言え」ず、結局のところ、母親の残した家も財産もなくなり、店も閉めることになってしまった。彼は本当に「幸せなおバカ」だった。そのために彼は以前にトラックを停めていた場所で「段ボールを敷いて座っている」姿をさらすに至る。みんなはあまりにも善良なブリュノを騙して悪かったと思い、惜しみなく施しをした。ところがブリュノそれが多めとなると受け取らなかった。また冬の厳しい寒さの折にはみんながかわりばんこに招こうとしたけれど、その申し出も受けなかった。とっくに「街も変わり、信頼なんてものはもう流行(はや)らない」時代になっていたのに、それは「みんなブリュノが好きだった」からで、「もし火星人が飛来したとしたら、やつらだってきっと好きになった。絶対に」。

ところが「ある日、ブリュノは切れちまった」。水鉄砲を持って、近くの自分を破産させたソシエテジェネラル銀行を襲い、現金を持ち逃げするという「すげえ芸当をやった」のだ。覆面はしていたようだが、銀行の誰もがブリュノだとわかっていたし、冗談ですますことができず、おまわりに逮捕させるしかなかった。裁判で彼の名字がル・ゲリックだとわかったが、誰もそれを知らなかった。

 おれたちにとって、ブリュノはただのブリュノだった。福音書に出てくるマルコやルカやヨハネやマタイが、ただのマルコやルカやヨハネやマタイであるように。なぜってブリュノは聖人だったからさ。

聖人は懲役五年を食らった。水鉄砲を凶器にした強盗罪で。新しいフランス共和国大統領は、犯罪は犯罪だときめちまったんだ。情状酌量なんてのは、知らないってんだ。

新しい大統領とは前回もふれたサルコジをさしているのだろうか。
そのためにブリュノは「灰色のでっかい監獄」に入り、千人もの面会者を迎えることになり、他の囚人たちを驚かせる。5歳のマリクもその一人で、彼は騙していたことを告白し、泣きながら詫びるが、ブリュノは「楽しかったじゃねえか、それが一番大事なことだろ、違うか?」と応じただけだった。マリクは思う。ブリュノは「世界一優しい男だった」と。

そしてこの章はブリュノなき後のHLMの町の状況を暗示する、次のような文章が箇条書きにされ、それで閉じられている。

 それからしばらくして、本屋がセルフ・サービス状態になり、閉店した
 次いで食料品屋が閉まって、新たに麻薬のディーラーの巣窟になった。
 カフェだけ残ったが、銃撃戦の犠牲になった。
 
 いつしか、町から商店がみんななくなってしまった。

ここに紹介した「5歳」は、前述したように最初の章で、それから「26歳」までが語られていて、マリクを主人公とする短編連作集といっていいが、まったく新しい風が吹き抜ける郊外文学の誕生に立ち会っている印象を与えてくれる。この他にもまだ二十一編の物語がつまっているわけで、一編しか紹介できなくて残念だが、拙文が『郊外少年マリク』の世界への誘いとなればと思う。

また幸いなことに、著者のマブルーク・ラシュディが二〇一二年に来日し、〇九年にアイオワ大学の国際ライターズ・プログラムにともに招聘され、しかも同じように団地で育った作家中島京子との対談を行ない、それが「パリの郊外、東京の郊外」と題され、『文学界』二〇一三年二月号に掲載されている。あらためてラシュディについて記すと、彼は一九七六年パリ郊外にアルジェリア系移民二世として生まれ、経済アナリストとして働いた後、二〇〇六年に作家としてデビューしている。二人の対談も詳しく紹介できないけれども、ラシュディが『郊外少年マリク』に関して「郊外問題の悲惨さを理解するための教科書みたいなものだと思ってもらいたくない」し、そうではない生き方の可能性と希望と連帯のメッセージとして受け止めてほしいという旨を語っていることだけは記しておこう。

文学界
文学界

訳者の中島さおりは「あとがき」で、この『郊外少年マリク』の原タイトルがLe petit Malik で、これはルネ・ゴシニーの『プチ・二コラ』 を下敷きにしていて、その現代版だと述べているが、私は「14歳」の章にサン・テグジュペリの『夜間飛行』が出てくることから、『星の王子さま』Le Petit Princeを思い浮かべてしまったことを付記しておこう。

Le petit Malik 夜間飛行Le Petit Prince

なお『文学界』二〇一四年二月号にはラシュディの短編「プリンスの鏡」も掲載されている。
文学界

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1