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古本夜話407 椎名龍徳『生きる悲哀』

本連載の考現学や銀座に関するバックヤードを確認するために、三一書房の南博他編『近代庶民生活誌』全二十巻を参照してきた。その一端は本連載403の片岡昇『カメラ社会相』や同406の前田一『サラリマン物語』にも示しておいた。これらは第七巻『生業』収録だが、第二巻『盛り場・裏街』には石角春之助と草間八十雄の文献を始めとして、東京の盛り場や裏街に関する安岡憲彦編「主要単行本」の一覧が掲載されている。
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この一覧は六十冊余に及び、その中にはこれもすでに本連載で取り上げてきた安藤更生『銀座細見』、松崎天民『銀座』、また拙稿「下層社会、木賃宿、近代文学」(『古本探究3』所収)で言及した、松原岩五郎『最暗黒の東京』、横山源之助『日本の下層社会』(いずれも岩波文庫)、工藤英一『浮浪者を語る』(大同館書店)なども含まれている。

[f:id:OdaMitsuo:20140412115505j:image:h110] 銀座 古本探究3  [f:id:OdaMitsuo:20140706140659j:image:h110] 日本の下層社会

拙稿は紀田順一郎の『東京の下層社会』(ちくま学芸文庫)に触発され、書かれたのだが、あらためてこのような「主要単行本」一覧を見ると、大正後半から昭和初期にかけて、多くの「盛り場・裏街」文献が出版されているとわかる。しかもそれらは「盛り場」よりも、大半が「裏街」、つまり前掲の松原や横山のいう「最暗黒」の「下層社会」の東京に向けられ、大正時代を迎え、明治以上に社会的問題となっていることを示唆している。
東京の下層社会

それは大正三年の第一次大戦がもたらした好景気によって資本主義は隆盛に向かったが、戦後から昭和初期にかけては不況が押し寄せ、倒産や失業者が増大し、米騒動も起き、これらに関東大震災も加わり、「裏街」に社会の闇がよりあからさまに表出していったことをも物語っているのだろう。

ただそうした著作を刊行した版元も小出版社が多かったようで、大正時代の版元だけを挙げてみても、崇文館、一誠堂書店、文雅堂、啓正社、文久社、平民図書刊行会、日本書院、星成社、白黎社、交蘭社、鈴木書店、広文堂といったところで、これも本連載でふれてきた崇文館や交蘭社はサバイバルしてきているが、関東大震災によって廃業、破綻した出版社も多いと思われる。そのためにこれらの著作は復刻や文庫化されているもの以外は、いまだに埋もれた資料のままなのであろう。

それらの中に椎名龍徳の三冊が挙げられていた。署名を挙げれば、正続『生きる悲哀』、『病める社会』で、後者は本連載366の先進社の刊行だが、ここでは所持している前者に言及してみたい。その前に先の一覧には出版社や刊行年に関して誤りが見られるので、書誌的データをまず記しておきたい。

『生きる悲哀』は正続とも、発行所を東京市外長崎村椎名町の鶴声社、発行人を小林諦亮、発行元を京橋南紺屋町の文録社として刊行されている。私の手元にある正篇は大正十四年七月初版、同十五年十二月五十六版、続篇は同十五年十一月初版、及び十版と奥付に記され、それなりに当時の話題になったベストセラーだと見なしていいように思われる。それについて、続篇の正篇巻末広告の文言を引いてみる。

 恵まれざる人生の悲哀を嘆くべく貧困の家に生れ来し多くの児童を導きて愛の光に浴しめ、感謝の生活に入らしめつゝあるわが椎名先生が、十有余年の細民教化実話が、一たび本書となりて世にあらはるゝや、尊きも、卑しきも、これを読みて細民の窮状に泣かされ、先生の事業の美しさに泣かされ、なお心足らず、映画を見て泣かされ、相伝へて本書を読むを以て、年に満たず『生きる悲哀』して、五十余版を重ぬるに、なお需要を充たし得ず、日々製本に追われつゝある実状なり。

巻末広告に表われたこの宣伝コピーから、『生きる悲哀』が先に挙げた「最暗黒」の「下層社会」文献と異なり、三度も「泣かされ」る「細民教化実話」であり、映画化もされているのを知ることになる。それならば、この『生きる悲哀』の具体的な内容はどのようなものなのかを確認しなければならないだろう。

椎名は肩書に示されているように、「貧児教育施設」として創立された東京市霊岸小学校長で、「自序」によれば、教育界に身を投じて以来、「宿命に泣く労働者、暗黒の巷に迷ふ夫人、運命に鞭打たるゝ児童」の味方となってきたが、「貧児保護救済の問題」は多くの人々の力を必要とするために、またここで実状を訴え、「憂国の方々の涙に縋らう」として、同著を出すことを決心したという。かくして『生きる悲哀』は十四編の貧しさゆえの児童や労働者や婦人の悲劇がつめこまれ、それらは「涙に縋らう」とする下層社会のドラマとして提出されている。

そのひとつの例をタイトルへと転用された「生きる悲哀」に見てみると、本所花町に住む四十一歳の女の妊娠から始まっている。彼女を診察した済生会の若い医者は病気ではないから心配するなと伝えた。だが生活の苦しみでやつれた彼女にとって、それは恐怖と当惑以外のものではなかた。彼女は今まで六人の子供を産んでいたが、上の四人は死んでしまい、末の二人が残っているだけだった。かつて左官職の夫と長男次男の四人で、新潟から東京へ出た時、彼女は三十一歳の女盛りだったし、貧しいながら食うに困るようなことはなく、平和な暮らしだった。しかし大正五年の流行性感冒によって、夫と長男を亡くし、妊娠中だった彼女はその後に女の子を産んだのである。しかし母子三人では生活が成り立たず、夫に雇われていた左官手伝の男と内縁の夫婦になったが、その男は怠け者の上に、学校から帰ると、生活のために新聞売りをしていた次男も病気で死んでしまう一方で、また子供が生まれ、さらに妊娠してしまったことになる。そして彼女は堕胎を決意し、過激な労働に携わることで、それを果たそうとした。その結果、妊娠腎臓炎にかかり、「此気の毒な産婦は、二人の幼児を遺して、涙の一生を終つたのである」。

おそらくこの「生きる悲哀」は他の「貧困児童物」とは異なり、椎名の体験ではなく、済生会の医者から聞いた話をベースにしているのではないだろうか。突然の病で夫に先立たれた不幸な女、それに重なるような不幸な再婚と子供たちの死、その不幸の完成のような女の死、「生きる悲哀」に示されているのは家庭、健康、仕事のすべての悲劇であり、まさに三度も「泣かされ」る典型的な物語を形成している。「自序」にある「涙に縋らう」と末尾に置かれた「涙の一生」また「尊きも、卑きも、これを読みて細民の窮状に泣かされ」、しかも「先生の事業の美しさに泣かされ」るという宣伝コピーなどが提出しているものは、装飾された不孝とでも称すべき物語に他ならないのだ。それゆえにこれがタイトルとして選ばれたのであろう。

したがって『生きる悲哀』に示されたそれぞれの「細民の窮状」の実例は、現在でいえば、「夜回り先生」の物語のようでもあり、著者の口絵写真は「先生の事業の美しさ」を伝えているかのように映っている。ここに表出しているのは、それらによって「泣かされ」ることを目的とする物語としての機能のようにも思える。

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