(いずれも新潮文庫)
前々回の萩原朔太郎の「大森駅前坂」のセピア色の写真を見ていて、確かセピア色の風景といった言葉が佐藤春夫の小説にあったことを思い出した。実は本連載で佐藤の『田園の憂鬱』を取り上げるべきか考え、読んでいたのだが、その背景は郊外というよりも田舎の村といった色彩が強く、小説そのものが主人公の詩的イメージの独白に覆われているので、見送っていたという事情もある。
ところが『田園の憂鬱』を再読しても、その言葉を見つけることができなかった。そこでそれは同じく佐藤の『都会の憂鬱』のほうに出てきたのかもしれないと思い直し、通読してみると、やはりこちらのほうに書きこまれていた。
佐藤は一九一六年に本郷区追分町から神奈川県都筑郡中里村に転居し、その体験をベースにして、一九年に『田園の憂鬱』を刊行する。ただこの作品は一七年に雑誌に発表した「病める薔薇」を原型とし、これは翌年の最初の著作『病める薔薇』(天佑社)に収録されている。しかも「序」を寄せているのは谷崎潤一郎で、それは後に『痴人の愛』を書く谷崎が、「病める薔薇」に注目していたことを示していよう。
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これらのプロセスを経て、二三年に再出京後の生活を描いた『都会の憂鬱』が出される。タイトルからわかるように、この二作は正編と続編の関係にあり、主人公の夫婦や二匹の愛犬の存在も同じで、「田園」と「都会」と住む場所は変わっていても、双方とも近代の「憂鬱」の中にある日常生活をテーマとしている。ただ両者の違いはそのトポスだけでなく、文体の変化に明らかで、抒情的散文から小説への転位が見てとれる。後者について、佐藤自身の「都会の憂鬱の巻尾にしるす文」における言葉を引けば、「単に一人の男の平板なただ困憊しきっただけの生活を現わしてみよう」とした小説とされ、詩人から小説家への変貌をうかがうことができよう。
そのような文体と「セピア色」の部分を示すために引用してみる。
(……)田舎のあの生活が、月を見ることで新らしく思い出されて、それが妙に懐しまれた。そうして何故もっと長くあのままであそこに居なかったろう。どうして一層のことあそこのセピア色をした村の住民になってしまわなかったろう。何の目あてがあってもう一度この都会へうろつきに出た自分であったろう。そういう気持が感傷的にしみじみと味われた。そうして心がだんだん静かになって来て、今夜は妻が帰ったならば田舎の話を―あの丘の話や、井戸端のことやそんなことを話し合ってみよう。そうすれば又何かと新らしく気のつくことも出て来るに違いないから……そう思いながら彼はしばらくして家のなかへ這入った。
主人公は現在「幽霊坂」と呼ばれる狭い坂道の途中にある一軒の小さな平家に住んでいるのだが、二ヵ月ほど前にいた田園の家、その庭にあった日かげの薔薇を思い出しているのである。
すでにその田園はわずか二ヵ月で「セピア色をした村」、薔薇もまた象徴的なものとして、記憶の中に残り、それらはこれも萩原朔太郎ではないが、「灰色の都会」にあってノスタルジアを伴う光景となっているのだ。ミシェル・パストゥローは『ヨーロッパの色彩』(石井直志、野崎三郎訳、パピルス)の中で、「セピア色」という濃い茶色をさす色彩語はラテン語の「もんごういか」を語源とし、絵画から写真の分野にまで広がり、必ずといっていいほど過去を思い起こさせるが、セピア色写真の時代が長かったわけではなく、「セピア色はむしろ私たちがもっている想像の世界の産物なのである」と指摘している。
その理由として、現在の都市空間を支配している色は灰色であり、「その現在に対置される近接過去は茶色でしかあり得ない」ことが挙げられている。この指摘はヨーロッパと日本の隔たりはあるものの、『都会の憂鬱』にも当てはまる構図であり、「灰色の都会」に対して「セピア色をした村」が対置されている。そのノスタルジアとは本連載73の柳田国男の『都市と農村』の中で、柳田がいうところの農村を故郷とする都市の人々が抱く「帰去来情緒」と重なっている。さらにまたフレデリック・ジェイムソンの指摘するノスタルジアとは、後期資本主義の商品だとの指摘も検証されなければならないだろう。
それらはひとまず置くとしても、先述したように、『田園の憂鬱』は一九年、『都会の憂鬱』は二三年に刊行されている。本連載78の小田内通敏の『帝都と近郊』は一八年の出版であるから、これが大正時代の都市と郊外をめぐる人文地理学であったとすれば、佐藤の二作は都会と田舎を往復する地方出身者の心的現象を扱った作品と見なすことができよう。しかもそのような人文地理学も心的現象も二三年の関東大震災によって切断されたはずで、小田内の著作や佐藤の作品は関東大震災前のシェーマとメンタリティ、谷崎の『痴人の愛』は大震災後のそれらを表象しているとも見なせるだろう。
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それでは『田園の憂鬱』における「田園」はどのような位相にあるのだろうか。それは「広い武蔵野がすでにその南端になって尽きるところ」の「一つの草深い農村」のささやかな「草根屋」の家だった。その村は大都市の近郊に位置していたけれど、エアポケットのように見えた。「世紀から置きっ放しにされ、世界から忘れられ、文明からは押し流されて、しょんぼりと置かれている」ようだったし、「草屋根」の家の方はデジャヴュをもたらした。それに「空と、雑木林と、田と、畑と、雲雀との村は、実に小さな散文詩」だったのである。
ここで用いた「エアポケット」や「デジャヴュ」といった言葉は『田園の憂鬱』における「境目に出きた真空」や「何かで一度見たことがある」の言い換えだが、これに「セピア色」を加えれば、そのトポスの位相が浮かび上がってくる。そして佐藤の『田園の憂鬱』も国木田独歩の『武蔵野』に端を発する郊外の散文詩の系譜に属しているとわかる。本連載79の、同じように独歩の『武蔵野』の影響を受けている水野葉舟の『草と人』の小品文にあっては、まだ漠然としたイメージに包まれていた郊外が、「セピア色」や「エアポケット」や「デジャヴュ」を伴って現前するに至ったのだ。しかもノスタルジアも含めて。そこに小品文から散文詩への移行を見ることができるし、それは「ああ、こんな晩には、どこでもいい、しっとりとした草葺の田舎家のなかで、暗い赤いランプの陰で、手も足も思う存分に延ばして前後も忘れる深い眠りに陥入って見たい」という主人公の述懐に表出している。
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そのようにして息詰まる都会から「田園」へと逃れてきたのだ。匿名の存在であるかのように若い主人公夫婦の名前は記されることもないのだが、夫婦は二匹の犬や猫を連れていて、それが村の新参者としての目印のようにも映る。しかし「田園」の中の道行の過程で、妻のほうは都会の間借りの暑さと口うるさい家主からは脱れられたけれど、これからの田舎の生活に対する不安、夢想的で芸術に打ちこもうとする夫への疑問、自分たちの無理な結婚と夫のかつての女性関係への執着などが脳裏に浮かんできた。これらが「都会」にあっても「田舎」にあっても変わらない妻の「憂鬱」ということになる。
「どんな理想があるかは知らないが、こんな田舎へ住むと言い出した夫を、またそれをうかうかと賛成した彼の女自身を、わけても前者を彼の女は最も非難せずにはいられなかった」のである。愛犬とともに連れてきた猫が「青」と名づけられているのはそれを象徴している。萩原朔太郎の詩集『青猫』が出されるのは『都会の憂鬱』と同年の二三年であるから、「青」を共有していたのである。いうまでもなく「青」=ブルーは「憂鬱」をも意味し、それは本連載12の村上龍『テニスボーイの憂鬱』へともつながっていく郊外を覆う色彩ともなる。
二人が住むことになった家は村の物語に充ちていた。それは村一番の豪家の老主人が建て直したもので、そこに隠居すると同時に、都会から連れてきた若い妾を住まわせるためだった。だが彼女はこれも都会から誘ってきた若い男と二人で姿を消してしまい、隠居は植木道楽に没頭することになったが、死んでしまった。それからその家は隠居の養子で、村の小学校長のものになった。それを彼は借家に出したが、とても貧しい百姓が借りたので、家は無残にも荒れ放題だったし、おまけに家賃も滞り始め、借家人は追い立てられ、さらに家と庭は荒れていった。
妻はこの家を『雨月物語』の浅茅の家に見立て、夫は雨月草舎と呼んだ。真夏の庭は廃園のように茂るがままで、木も花も草も入り乱れ、「凄然たるもの」があり、そこには「瞬間的なある恐怖」さえ感じられた。それは「不思議にも、精神的というよりもむしろ官能的な、動物の抱くであろうような恐怖であった」のだ。
そして蟻の隊列や蝉の脱殻を目にし、その蝉の姿に「小さな虫」に他ならない自分を重ね、続いて雑草まみれの庭の隅に薔薇(そうび)を見つける。薔薇の木は雑草に滋養分を奪われ、その茎はやせ細っていた。薔薇は彼が深く愛したもので、時には「自分の花」とまで呼んでいたことがあるし、ゲーテの詩句「薔薇ならば花開かん」を始めとして、幾多の詩人がこの花に美しい詩を寄せていた。いうまでもなく薔薇は自らと二重映しになっているのだ。
しかし目の前にある薔薇の木はいかにも見すぼらしかった。この日かげの薔薇の木に日光の恩恵を浴びせ、花をつけさせてやりたい。そのことで自分を占ってみたいと思った。まさに「薔薇ならば花開かん」なのだ! そのために彼は薔薇に日を浴びせるために、上にかぶさる木々の枝を切り、それらの枝葉を取り払い、太い藤蔓も断ち切り、生垣も刈った。
そうして日が過ぎ、自然の景物は夏から秋へと変わっていった。その秋の夜にランプの光の下で読む一切の書物が一様につまらなく思えてきた。人間はそれぞれの愚かさの上にもっともらしい各自の空虚な夢を築き上げ、それが意味もない夢だと気づかないで生きているだけではないか、はたして人生とは生きるに値するものであろうか。かくして「俺はひどいヒポコンデリヤ」だと自嘲するに至る。
そのような中で、近所付き合い、犬猫問題が繰り返し起きていく。「些細な単調な出来事のコンビネーションや、パアシテエションが、毎日単調に繰り返された。それらがひとたび彼の体や心の具合に結びつくと、それはことごとく憂鬱な厭世的なものに化(かわ)った」。これらは「田園」の日常性といっていいもので、それが「ヒポコンデリヤ」の原因となりつつあった。夜の不眠は幻想をも伴い、東京のどこかの市街が浮かび上がってくる。それらの風景はしばしば彼の目に現われ、そうした幻視や幻惑は激しくなっていくばかりだった。「汽車のひびき。電車の軋る音。活動写真の囃子。見知らぬしかし東京のどこかにある街。それらの幻影は、すべて彼の妻の都会に対する思いつめたノスタルジアがおそらく彼の女の無意識のうちにある妖術的な作用をもって、眠れない彼の眼や耳に形となり声となって現われるのではなかろうか」。
そうしているうちに永い雨も止み、深い秋になっていた。ほの紅い芽を出していた薔薇が咲き出していた。その花をコップに入れて見ると、薔薇は虫にまみれていた。彼は思わず口走り、繰り返す、「おお、薔薇、汝病めり!」と自らと同様に薔薇も「ヒポコンデリヤ」にかかっていたのだ。それは彼の「田園」での生活の破綻と「田園」における「妻隠」の失敗を意味し、「都会」へと戻っていくことを暗示させて、『田園の憂鬱』は終わろうとしている。