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古本夜話451 武野藤介と『武野藤介風流文学自選集』

前回の『人間探究』のコンセプトと執筆者たちが、『あまとりあ』へと移行していったことは容易に見て取れる。それは主幹の高橋鉄がそうであったし、『人間探究』自体が昭和二十八年に廃刊になってしまったけれど、『あまとりあ』のほうは三十年まで刊行されていたからだ。

そうした執筆者の一人に武野藤介がいて、『人間探究』第二十四号に、「今月の態位 四月性愛コント」を書いている。これは見開き二ページ三段組の作品で、まさにコントといっていい。コントの内容を紹介するのは野暮かもしれないが、試みてみる。刈宿画伯のアトリエで、真子夫妻とプロデューサーの名和が麻雀をしていて、真子が香水のようないい匂いがすると言い出す。それは香水というよりも画伯が使っている養毛液の匂いで、そんなにお気に召したのであれば、一瓶差し上げるという。すると名和が「惚れている人妻に一番いいプレゼントは香水である。ご亭主は気がつかない。そして、彼女はいつでもその男を思い出すことが出来る」という菊池寛の小説にあった警句を飛ばし、香水をつけるべきところは耳のうしろと「三角地帯のシャム・ハー」だという。これは陰毛をさしている。画伯は妻子もあり、初老の身だったが、昔から知られたドン・ファンで、真子夫妻には子供がなく、美貌の真子は三十歳の女盛りにして可愛いマダムと呼ばれていた。帰宅した真子夫妻は寝室で養毛液=香水をつけ、抱き合っているうちに、その匂いが充満してくる。真子は良人の体を抱きしめ、画伯の艶種を想像しながら興奮し、自分が不貞をしていて、マルセル・カルネの、『天井桟敷の人々』のヒロインのガランスになったような錯覚に捉われていた。
天井桟敷の人々

これは艶笑潭の体裁をとったコントと呼んでいいだろうし、『日本近代文学大事典』にも立項されているので、それを引いてみる。
日本近代文学大事典

 コント conte(仏)。短編小説の一形式。わが国では大正末から昭和初期にかけて流行した。小説、掌編などとも呼ばれた。いわゆる短編小説よりもさらに短い体裁で人生の断面をエスプリ(うがち)をきかして軽妙に描き、ウイット、ユーモア、ペーソスをとおしての人生批評を含む。大正一二年、フランスから帰った岡田三郎がこれを紹介、提唱し、その実作を示したことから流行を見、(中略)岡田みずから編集に当たった「文芸日本」に毎号コントを載せ、『特輯こんと号』を編んだりしている。岡田が編集を離れてからも「文芸日本」のコント特集は武野藤介らによって継承された。(後略)

ここに武野の名前が見えている。全般的に大正から昭和初期にかけてのコントの流行は「モダニズム文学の一現象として遊戯観、矮小観を免れえないもの」で、十年代に入ってもコントを書き続けたのは武野だけだとの指摘もなされている。

同じく『日本近代文学大事典』によれば、その武野は大正十三年早大露文科中退、文壇ゴシップ記事、コント等に活躍。戦後は艶笑文学に専念とあり、『文壇今昔物語―ゴシップ書いて三十年』(東京ライフ社)といったゴシップ関連著が記されているけれど、コントや艶笑文学の著書は挙がっていない。実はそれらの武野の集成ともいうべき作品集を持っている。それは昭和三十三年にあまとりあ社から刊行された『武野藤介風流文学自選集』全八巻のうちの「処女(おぼこ)篇」「後家篇」「年増篇」「人妻篇」の四冊である。他の四冊は「娼婦(くろうと)篇」「新妻篇」「浮女(うかれめ)篇」「続人妻篇」で、こちらは目を通していないけれど、同工異曲の艶笑文学、コントと見なしてかまわないだろう。

(「処女(おぼこ)篇」)

この『自選集』にはトータルで二百編を超える作品が収録され、戦後の最大の艶笑文学、風流文学の集成だといっていいかもしれないし、また八巻であることから考え、穿ちすぎかもしれないけれど、ボッカッチョの『デカメロン』 (十日物語)ならぬマルグリット・ド・ナヴァールの『エプタメロン』(八日物語)を想起してしまう。
デカメロンエプタメロン

しかしこの着物の絣地を使ったような装丁が久保藤吉によるものだと知ると、この企画自体があまとりあ社久保書店の社長の企画によって成立したのではないかと思われてくる。「出版人に聞く」シリーズの『「奇譚クラブ」から「裏窓」へ』における飯田豊一へのインタビューで、久保個人のことも聞いているし、これは久保、もしくは武野と親しい側近の人物が絡んで成立したものではないだろうか。『武野藤介風流文学自選集』についても聞いておけばよかったと悔やむばかりだ。なぜならば、インタビュー後に飯田は急逝してしまったからだ。

「奇譚クラブ」から「裏窓」へ (『文壇出世物語』)

それにつけても武野に関しては謎が多い。この一文を書きながら、『文学』(2003年3、4月号)の特集「昭和初年代をよむ」が思い出された。そこで私は「円本の光と影」という対談を、学習院大学の山本芳明と行なっているのだが、同号に近代文学研究者の柳沢孝子が「コントというジャンル」を寄稿し、それを大正十四年の『文芸年鑑』(二松堂書店)における「コント文学」の立項から始めている。実はこの『文芸年鑑』の編集発行所は新秋出版社で、これは鷹野弥三郎、つぎ夫妻が営んでいた編集プロダクションであり、大正十三年にこれも二松堂から出された同社文芸部編『文壇出世物語』は、武野と井伏鱒二の手になるものだとされている。『文芸年鑑』といい、同書といい、その後のコントや艶笑文学にしても、武野に関しては多くのことが判明していない。

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