拙著『〈郊外〉の誕生と死』において、欧米と日本の消費社会化の時期に言及し、イギリスやフランスや日本が一九七〇年前後であったのに対し、アメリカは一九三九年と突出して早かったことを指摘しておいた。これらのデータは経済学者の佐貫利雄の『成長する都市 衰退する都市』(時事通信社、一九八三年)に収録された各国の「就業構造の長期的変貌」という図表から抽出したものである。これは名著と呼ぶべき一冊で、膨大なデータベースを駆使して都市や産業の長期的推移を実証し、戦後の日本社会の郊外化も含めた変貌をリアルに伝えようとしている。



消費社会を一言で定義することは難しいが、ここでは『成長する都市 衰退する都市』の図表に示されたその国の第三次産業就業人口が過半数を超えた社会と見なしたいし、本連載でもそのように判断し、一貫してこのタームを使用してきている。それを補足する意味で、佐貫の同著の参考文献には挙げられていないが、W・W・ロストウの『経済成長の諸段階』(ダイヤモンド社、一九六一年)の一節を引いておく。
すべての社会は、その経済的次元において次の五つの範疇のいずれかにあるとみることができる。すなわち、伝統的社会、離陸のための先行条件期、離陸(テイク・オフ)、成熟への前進、そして高度大衆消費時代のいずれかである。
これはロストウ自身による『経済成長の諸段階』の内容の要約といっていい。「すべての社会」にあって、アメリカだけがいち早く一九五〇年代において「高度大衆消費社会」の実現を見たことが語られている。それはそこに至る「伝統的社会」から四つの諸段階を経て実現したもので、ロストウはこの成長段階説をマルクスの唯物史観に代わるものとして提出している。それゆえにサブタイトルに「一つの非共産主義宣言」が付され、またアメリカとロシアの成長の比較やマルクス主義の問題も批判的に論じられているのである。
ロストウのいうところの「高度大衆消費時代」とはフォードによる廉価な車の生産に端を発し、戦後の四六年から五六年にかけての大衆のための車の普及、郊外住宅と道路建設に加え、様々な耐久消費財とサービスが広範に普及した時代をさしている。それに向けて、西ヨーロッパ諸国と日本は進もうとしており、ソ連もまた不安ながらも色気を見せているとされる。この『経済成長の諸段階』がアメリカで出版されたのは一九六〇年で、日本も大いなる評判を呼んだとされ、その翻訳刊行が翌年の六一年であることはその事実を示している。また私が所持している一冊は六四年14版であることからしても、それを裏付けていよう。
訳者についてもふれておけば、東大教授で経済学者の木村健康が「訳者まえがき」を書いているけれど、その訳は共訳者に名を連ねている久保まち子と村上泰亮によるもので、当時東大助手だった村上は後に『新中間大衆の時代』(中公文庫)などを著わすことになるが、それらはロストウの同書の延長線上にあると考えられる。
それとパラレルに六〇年代には本連載37 でふれたリースマンの『孤独な群衆』(新版) 『何のための豊かさ』(いずれもみすず書房)、ホワイトの『組織のなかの人間』(東京創元社)、カルブレイス『ゆたかな社会』(岩波書店)などのアメリカ社会学や経済学の翻訳書が出され、消費社会や郊外に関する同時代レポートを形成していた。これらを私が読んだのは七〇年代だったが、実感として理解できるようになったのは八〇年代を迎えてからで、それはアメリカ的風景に他ならない郊外消費社会の出現を見たことによっている。まだ六〇年代において、日本はロストウのいう「離陸」から「成熟への前進」へと向かおうとしていたけれど、その先に出現するはずの「高度大衆消費時代」の具体的イメージを十全につかんでいるとはいえなかった。それにリースマン自身が『孤独な群衆』の六三年の「日本語版への序文」で、あたかも自著が日本ではSFであるかのように、「読者にこの本を別世界の物語として読んでほしい」と書いていたのである。
それらの社会学や経済学の翻訳が出される一方で、同じくアメリカのビジネス書に当たるであろう、ウォルター・ホービングの『流通革命』(田島義博訳、日本能率協会)やジンマーマンの『スーパーマーケット』も六二年に刊行されている。先の一冊はあのティファニーの会長ホービングによるもので、アメリカにおける大量生産は「われわれの神、万病の薬、経済の救い神」とし、それに寄り添う大量流通にも目を向け、「アメリカの資本主義制度が、可能な最高の社会経済制度であること(人の問題からくる欠陥は別として)、また大量生産・大量流通の制度を、すべての人のために運営させる唯一の制度」だと大いなる評価を与えている。ホービングはロストウと同じ位相にあると了解される。訳者に関してはすでに本連載112 などでふれているので、ここでは省略する。
もう一冊の『スーパーマーケット』は版元が商業界、訳者はNCR(日本ナショナル金銭登録機械株式会社)企画宣伝部長の長戸毅であることからすれば、リースマンたちの社会学書、経済学書と異なり、創成期のスーパー業界関係者たちに熟読されたにちがいない。そのような翻訳出版事情もあって、現在ではホービングの『流通革命』と同様に、ほとんど忘れ去られてしまったビジネス書だと思われる。
私にしても『〈郊外〉の誕生と死』を書いた時にはこの『スーパーマーケット』を知らず、読んでもいなかった。同書を知ったのは前々回にふれた安土敏の『日本スーパーマーケット原論』(ぱるす出版)を通じてであり、彼の『小説スーパーマーケット』にしても、中内㓛の『わが安売り哲学』(日経新聞)にしても、明らかにジンマーマンの影響を受けていると察せられた。また同年に出された林周二の『流通革命』(中公新書)のタイトルにしても、ホービングの著作の原題The Distribution Revolution 、及び『スーパーマーケット』のサブタイトル A Revolution in Distribution に由来しているのだろう。
それらだけでなく、この『スーパーマーケット』を読んで、アメリカがいち早く消費社会化した理由に加え、ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』にスーパーが取り上げられていなかった事情を了解するに至ったのである。つまりリースマンなどの著作のかたわらに、このジンマーマンの一冊を置けば、アメリカ消費社会の実像が具体的に浮かび上がり、それらの社会学や経済学の著作を理解する触媒になったように思えるのだ。著者のジンマーマンはスーパー業界のイデオローグ、『スーパー・マーケット・マーチャンダイジング』の創刊者にして主宰者であり、またスーパー・マーケット協会も創立している。これらのことも含め、『スーパーマーケット』についての遅ればせのレポートを記してみたい。
ジンマーマンは同書の「序文」において、アメリカの二〇世紀前半の食料品店を始めとする小売業界の変遷に関して、次のように述べている。それは同書の内容の簡略な要約ともなっている。
アメリカ産業界の地平線上に大量生産が出現し、やがて全米各地の商業中心地にその影響を及ぼすようになって以来、流通機構の組織を改良し、そして、それによって手に入るようになった大量の商品を消費者が購入しうるような、適正かつ、経済的な卸売店、小売店を創るために数々の絶ゆ間ざる努力が続けられてきた。その主たる目的は、生産者と消費者の間に介在する中間業者の数を、できるだけ削減することであった。
アメリカの流通機構の革命において、このようにして各種形態の小売店がつぎつぎと成功を続け、それらの店の各々が、順次消費者の家庭にいたるまでの商品流通過程における不必要な段階を除却し、経費を減少させた。
フォードに始まる車の大量生産方式が他の分野にも普及し、それによって必然的に大量流通の時代を迎え、生産だけでなく流通や販売も近代化を迫られたのである。この生産におけるフォードシステムが卸売店や小売店の商品流通にも応用され、流通革命が起きたことになる。それを象徴するのがチェーン・ストアの出現と、家庭の主婦に食料品を提供する新しいビジネスである総合食料品店の誕生である。チェーン・ストアは多数の店舗を統一的に管理する本部とチェーン店からなる形態で、一九一〇年から二〇年代にかけて発展し、この時期がアメリカの小売業にとってチェーン・ストアの黄金時代とされる。その後に出現したのがスーパーであった。ジンマーマンは続けて述べている
チェーン・ストアのベテラン経営者は、総合食用品店を作り、たちまちのうちに顧客の好評を博した。この店では、価格に敏感な主婦が、肉、野菜、酪農品、食料品などのほとんどすべての必要食料品を買うことができた。(中略)この二十年の間に、食料品チェーン・ストアは全米食料品売上高の約四五%を占めるにいたった。
しかしながら、小売業界にあってそのマーチャンダイジングの概念に革命的な変化与えるものの発展をなしたものは、スーパー・マーケットを置いて他にないのである。
スーパー・マーケットは、セルフ・サービスを採用することによって、商品購入の責任を消費者側に移行させ、わが国の全経済構造を変化させ、さらに、近年においては、セルフ・サービスを導入した諸外国の経済構造をも変化させた。スーパー・マーケットは、パッケージ、冷凍装置、店舗デザイン、陳列、販売技術の諸方法を根本的に変化させ、それらは、現在では、食料品小売業のみならず、現実に小売流通機構のあらゆる分野に影響を与えている。
ここで語られているのはアメリカの二〇世紀における独立食料品店→チェーン・ストア→スーパー・マーケットという小売業界の変容と成長であり、ジンマーマンは実際に一九二〇年代の独立食料品店の外観や店内の写真から始めて、それが三〇年代に入ると、広い駐車場を備え、バーゲンを目玉とするスーパーの姿も示し、それらの業態、建物、ロケーションの急速な変化を伝えている。このような流通販売の動向が「諸外国の経済構造」の変化にもつながっていったし、最も大きな影響を受けたのはまさに日本であったのだ。
『スーパーマーケット』はタイトルどおり、一九三〇年代からのスーパーの誕生、成長、産業化に至るプロセスが詳細にトレースされている。その産業としての歴史は、ニューヨーク近郊の三〇年のキング・カレンと三二年のビッグ・ベアの開店に始まり、この二つのマーケットの開店が大量販売の新しいシステムの範となり、それが全米各地へと伝播していったのである。セルフサービスはスーパー側の労働力の消費者への転化に他ならないが、それとともに流通システムも変革され、コスト削減によって価格も引き下げられていった。そしてスーパーのチェーン化も拡大され、三七年には第一回スーパーマーケット大会も開催されるに至り、その大量流通、大量販売システムはアメリカのすべての小売業をも変革に導くことになる。かくして第二次世界大戦前の一九四一年までにスーパーを始めとする小売業は成長を続け、社会の第三次産業化が推進され、三九年に世界に先駆ける消費社会が誕生したのである。
それと同時に現在の消費者のイメージも造型されていく。消費者もまたスーパーにおいて生まれたといっていい。ジンマーマンも書いている。
スーパーマーケットで、消費者は初めて、何ものにも拘束されない形態の店を知った。すべての商品には値段がわかりやすくついていた。邪魔されたり、おしつけられたりせずに、好きな商品を手にすることも、またやめることも自由にできた。これは客にとって新しい自由であった。客はこの自由を何にもました享楽した。
一方でスーパーは戦後を迎え、さらに劇的に発展する。それはアメリカが戦争の被害を受けなかったこと、人口の大いなる増加と郊外への移動、それに伴う車社会化が主たる要因であり、ジンマーマンも忘れることなく、「スーパー・マーケットは、そもそもの発端から一つの郊外現象であった」とも記している。消費社会の発展は平和であることと密接につながっているのだ。先述したように、スーパーの始まりが一九三〇年前後であり、消費社会化が三九年だったことからすれば、アメリカはスーパーの誕生から十年前後で消費社会を迎えたことになる。
それを日本に当てはめてみれば、セルフサービスのスーパーの誕生は六〇年前後、消費社会化は七三年であるので、日本もほぼ同様の年月で消費社会に至り、アメリカの日本の関係は合わせ鏡のようになっている。ダイエーの中内㓛が、アメリカの国際スーパーマーケット大会に日本代表として参加したのは六二年のことだった。そうした意味において、スーパーと郊外と消費社会は連鎖、まさにチェーン化しているし、現在のグローバリゼーション化状況をも映し出す鏡であるようにも思われる。