本連載で続けて記してきたように、十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、欧米だけでなく、日本でも百貨店の出現に象徴される消費社会の誕生を見ることになるわけだが、その時代の主たる背景である農耕社会のコアとしての農村はどのような位相に置かれていたのだろうか。
日本に限っていえば、前回ふれた渡辺京二の『逝きし世の面影 』の中に、来日異邦人たちが見た美しい農村と田園風景は残されているけれど、それらはあくまで過去というヴェールに包まれた異国の幻影のようでもあり、その生活や労働の内側にまでは迫っていなかった。だが来日異邦人たちが去った後も、農村は日本社会の重要なトポスとして存続していたし、戦前までの日本は紛れもない農耕社会だったし、それは戦後の高度成長期に至るまで保たれていた。しかし一九七〇年代の本格的な消費社会化によって、農村の風景は次第に消滅に向かっていく。
それらの事実に関して、ひとりの写真家が証言しているので、引いてみる。本連載7で、北井一夫の写真集『村へ』を取り上げたが、彼は今世紀を迎えて、同じく村をテーマとする『1970年代 NIPPON』(冬青社)を出版し、その「あとがき」に次のように記していた。
(……)この写真を撮影している間も、農村の人口は労働力として大都市に吸収されつづけ、農村の過疎化が進行していた。1970年代は、農業中心の村社会と人間関係が崩壊し、古き良き時代の日本が終った時代でもあったのだ。でこぼこの田舎道と木製電柱のある風景は、なつかしい友がいる風景だと今も思っている。(……)
写真の場所や人や風景は、70年代日本の普通の人たちの普通の生活の場所だったのだが、今ではそのほとんどが存在することのない失われた風景や物になり、写真だけが時代の忘れ物のように残った。
この『1970年代 NIPPON』の「あとがき」には英訳が併記されていて、「普通の人たちの普通の生活の場所」は「places for common life of common people」となっている。これを再和訳すれば、「常民の日常生活の場」とも言い換えられるであろう。七〇年代におけるかつての「常民の日常生活の場」の消滅とは、北井が述べているように、ずっと続いてきた農耕社会を後戸とする風景の終焉に他ならなかった。七〇年代とはそれらの風景のバニシングポイントを告げるかのようにして進行していったのである。かくして柳田国男のいう「常民」の姿は後退し始め、新たな「常民」というべき「消費者」が登場し、新しい「日常生活の場」としての消費社会も後半に立ち上がっていく。それは欧米との出会いに始まった日本近代の社会と産業ドラマの帰結だったともいえるのだ。
それならば、十九世紀の消費社会の萌芽の地点において、当時の農耕社会はどのような状況にあり、どのように描かれていたのであろうか。これは幸いにしてというべきか、世紀は異なっているにしても、ほぼ同時代にフランスの日本において、タイトルを同じくする農村小説が書かれていた。それらは前々回ふれたゾラの『大地』(原題La Terre、拙訳)と長塚節の『土』で、前者は一八八七年、後者は一九一二年に刊行されている。両者はいずれも農村を舞台とし、主人公が作男や小作人であること、近親相姦、老人問題や火事の場面などは共通しているので、『土』が『大地』の影響を受けているのではないかと連想してしまう。
しかし農民文学者の犬田卯による『大地』(改造社)の初訳が出されるのは一九三一年で、長塚の死から十六年後であるから、これを参照したことはありえない。ヴィゼッテリイによる英訳The Soil(こちらも『土』)の刊行は一八八八年だが、『長塚節全集』(春陽堂)や平輪光三『長塚節・生活と作品』(六藝社)を繰ってみても、また藤沢周平の「小説長塚節」である『白き瓶』(文春文庫)を読んでみても、言及されていない。それゆえに外国文学を愛読していた長塚が、『大地』のシノプスを何かの紹介で知っていたと考えられるにしても、ゾラの『大地』を読んだ上で、『土』は書かれておらず、その共通するところはフランスや日本を問わない、その時代の農村の共時性によっているのだろう。
(『長塚節全集』)
さて前置きが長くなってしまったが、『大地』と『土』の物語を紹介してみる。先に『大地』を取り上げるが、マルク・ブロックが『フランス農村史の基本性格』(飯沼二郎他訳、創文社)の中で、「一九世紀および二〇世紀初頭における農業の進化は、なおあまり不十分にしか知られていない」と書いていることからすれば、現在でも『大地』はその時代の農業と農村に関する資料的価値を失っていないように思われる。
「ルーゴン=マッカール叢書」の第十五巻に当たる『大地』は、主人公のジャンがボース平野の畑で麦を蒔いている場面から始まっている。ルーゴン=マッカール一族の一人であるジャンは、やはり南仏のプラッサンで生まれ育ち、そこを出奔してから木工職人となり、軍隊に入り、イタリアのソルフェリーノ戦役の後に伍長の身で除隊になっていた。そして戦友に誘われ、ボース平野の町に流れつき、その近隣のローニュという村にあるボルドリー農場の作男の仕事についていた。
ジャンは十九世紀小説のバイロニズムとゴシックロマンの系譜を受け継ぐ、帰ってきた謎めいた主人公というよりも、前歴も明らかなストレンジャーとして農村に出現したことになり、そのイメージは故郷喪失者の面影が強い。ストレンジャーにして故郷喪失者のイメージは、第二帝政下の様々な社会を動き回るルーゴン=マッカール一族の表象といえるし、そのジャンが農村に至り着いたのは、この「叢書」の根所を告げているようでもある。この「叢書」全体のメタファーたる「家系樹」にしても、まさに「大地」を抜きにしては語れないからだ。
しかし流浪してきたジャンにとって、『大地』における農村は理解できない世界として出現し、それが物語を形成する経糸となっている。大地とともに生き続け、土地に執着し、所有するという欲望につき動かされ、それらの中で家族も人間関係も形成されているのだ。それゆえに決してストレンジャーを受け入れようとしない農村特有の奥深い心的現象は、ジャンを翻弄し続ける。田園幻想などはもたらされるはずもなく、念願のフランソワーズとの結婚も、村の因襲、土地をめぐる一族の暗黙の了解を乗り越えられない。村の娘と結婚しても、土地を所有しないジャンはどこまでいってもストレンジャーに過ぎず、結局のところ、妻の死をきっかけにして、村から追われるように出て行くことになる。
そうでありながらも、ゾラの思いはジャンに強く反映され、都市化され、消費社会化していく十九世紀後半にあって、農耕社会と大地こそがよって立つ基盤であることを訴えるように、もう一度ジャンが主人公を務める『壊滅』のクロージングで、彼が再び帰農することを暗示させ、最終巻『パスカル博士』(いずれも拙訳、論創社)において、ルーゴン=マッカール一族の希望を担う一人として描かれることになる。
しかしその一方で、近代において工業社会が成長し、消費社会が立ち上がろうとしているわけだが、近代化されていない農耕社会が疲弊していく状況も書きこまれていることに留意すべきだろう。それは自由貿易によるグローバリゼーションの波が、この時代のフランスの農村にも押し寄せ、アメリカの大規模農業によって解体されんばかりの状況に追いやられている事実を告げるものであり、これもまた『大地』の物語の主要なコードとなっている。ラストシーンでボルドリー農場が焼け落ちてしまう場面は、これからの農村の困難さを象徴しているようでもあり、このような『大地』における農業状況は、TPPに包囲されようとしている日本の農業の姿がオーバーラップしてくる。
ゾラは『大地』のモデルとして、パリの西南にある農村を調査し、多くの事柄を観察し、それらに基づき構想した。さらに農村社会の全貌を描くために、農業やその社会をめぐる問題、風俗習慣、財産分与などに関しても、何人もの専門家の助言を受け、フランス農業と農村の現在を立体的に提出することを試みたとされる。
それに対して、長塚節の『土』は自らが住む茨城県の農村を舞台とし、節の家は村の旧家で、父親は県会議員でもあった。さらに主人公の小作人とその家族は、節の家のすぐ近くの長塚家の小作人一家をモデルとしている。節は正岡子規に師事して写実主義の短歌にいそしみ、それは写生文へとつながっていく。写生文による短編小説は事実に基づく写生主義者の本領を発揮するもので、その集大成としての長編小説が『土』として結実したと見なせるだろう。節の写生文の特質は次のような書き出しにも如実に表われている。
(新潮文庫)
烈しい西風が目に見えぬ大きな塊をごうっと打ちつけてはまたごうっと打ちつけて皆痩せこけた落葉木の村を一日苛め通した。木の枝は時々ひゅうひゅうと悲痛の響きを立てて泣いた。短い冬の日はもう落ちかけて黄色な光を放射しつつ目叩(またた)いた。そうして西風はどうかするとぱったり止んでしまったかと思うほど静かになった。泥をちぎってなげたような雲が不規則に村の上にじっとひっついて空はまだ騒がしいことを示している。それで時々思い出したように、木の枝がざわざわと鳴る。世間がにわかに心ぼそくなった。
このような筆致で、『土』という物語は展開されていく。主人公の勘次の女房お品は引用した冒頭の風景に中を、百姓の隙間に豆腐の行商に出ているのだ。彼女には十五になるおつぎという娘、まだ三つの息子の与吉がいて、夫の勘次は利根川の土方仕事に出かけていた。このところお品は身体の具合がよくなかった。埃にまみれた生活、もしくは堕胎のためにほおずきの根を使ったことからなのか、彼女は破傷風にかかっていたのである。お品の身体とその服装、家と食事を含めた生活、貰い風呂などが続けて描かれ、小作人一家としての「お品の家族はどこまでも日蔭者であった」生活環境が浮かび上がってくる。
そしてお品は寝つくようになり、その病気の報を受け、勘次は日傭取りの仕事から戻ってくるが、彼女の容態は悪化するばかりだった。遠くにいる医者の手配と往診の効果もなく、お品は死んでしまう。「お品は自分の手で自分の身を殺したのである」。近所の人たちやお品の老父などによる通夜と葬式の場面にも写生文が用いられ、当時の農村における小作人一家の葬儀のディテールまでもが伝わってくる。それは小さな葬式ではあるが、小さな祭のようでもあった。「たとい他人のためには悲しい日でもその一日だけは自己の生活から離れて若干の人々と一緒に集合することが彼らにはむしろ愉快な一日でなければならぬ」のだ。
だが『土』において、お品の死まではイントロダクションにすぎず、そこから残された勘次父子たちの変わることなき生活がずっと続いていく。それがどのような物語であるかは、お品の死と葬式がすでに表象していることになるだろう。
夏目漱石は『土』の春陽堂からの上梓にあたって、明治四十五年五月の日付で、「『土』に就て」という序文を寄せている。それを近代文学館の復刻版から引いてみる。
「土」の中に出て来る人物は、最も貧しい百姓である。教育もなければ品格もなければ、たゞ土の上に生み付けられて、土と共に生長した蛆同様に憐れな百姓の生活である。先祖以来茨城の結城郡に居を移した地方の豪族として、多数の小作人を使用する長塚君は、彼等の獣類に近き、恐るべく困憊を極めた生活状態を、一から十迄誠実に此「土」の中に収め尽したのである。彼らの下卑で、浅薄で、迷信が強して、無邪気で、狡猾で、無欲で、強欲で、殆んど余等(今の文壇の作家を悉く含む)の想像にさへ上りがたい所を、ありヽヽと眼に映るやうに描写したのが「土」である。(……)
漱石はこの序文を書く前年に、よく知られた「現代日本の開花」(『漱石文明論集』所収、岩波文庫)という講演をしている。そこで西洋の内発的開花と異なる日本の外発的で屈折した「皮相上滑りの開花」について語っているが、『土』を読んで、「皮相上滑りの開花」にも至っていない「土と共に生長した蛆同様に憐れな百姓の生活」を目の当たりにしたにちがいない。それは「教育」も「品格」も備えた漱石や長塚節、及び工業社会や消費社会へと「開花」していく時代が農耕社会に向けた視線であるといっていい。だが現在の消費社会の奥底にもそのような生活が埋めこまれているし、それを忘れるべきではない。
ゾラもまた同様に『大地』において、共通する「獣類に近き」農村生活を描き、その性と人間の獣性のあからさまな露出は弟子たちの離反を招くほどで、自然主義とは人間の醜悪さだけを追求するとの非難が高まったとされる。しかしここでもまた『ボヌール・デ・ダム百貨店』と『大地』が地続きでつながっていることに留意すべきである。
漱石ではないが、一方でひたすら「開花」していく社会もあれば、他方ではそのまま停滞を続けている社会も存在し、それが近代にあっては、農村、及び農耕社会として表象され、その負のイメージは二十世紀を通じて存続していたのである。