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古本夜話504 高楠順次郎とマックス・ミューラー

大正時代を迎えて、『世界聖典全集』のような宗教書、及び『大正新修大蔵経』などの仏教書の出版が活発になるのだが、これらの中心にいたのは高楠順次郎に他ならなかった。そうした高楠の出版に対する情熱はどのようにしてもたらされたのか、私見によれば、三つの理由があると考えられるので、それを書いてみよう。

世界聖典全集 『世界聖典全集』

ひとつは青年時代の出版体験である。これは『中央公論社の八十年』にも述べられているが、明治十九年に真宗本派本願寺(京都西本願寺)の普通教校の有志学生の間に「反省会」という禁酒のための修養団体が結成され、その機関誌として『反省会雑誌』が創刊された。この雑誌が『中央公論』の前身で、創刊号の発行人は小林洵、これが後の高楠であった。彼は二十三年にイギリスへ留学し、二十五年に『反省会雑誌』は『反省雑誌』に変更され、次第に綜合雑誌の色彩が濃くなり、西本願寺大谷光瑞の意向もあり、二十九年に発行所を東京に移す。そして改題の議も起き、ロンドンの高楠にもいくつかの候補名を伝え、どれがいいかと聞いてきたので、彼は『中央公論』を推賞し、三十二年一月号からそれが新しい誌名となったのである。ここに高楠が若くして有能な雑誌編集者だった事実を垣間見られよう。

後のふたつは拙稿「マックス・ミューラーと日本」や「マックス・ミューラーと南条文雄」(いずれも「古本屋散策)45・46、『日本古書通信』平成17年12月号、18年1月号)で書いているが、もう一度ラフスケッチしてみる。高楠はイギリスのマックス・ミューラーのもとで学んだ。彼はオックスフォード大学教授で、『東方聖書』全五十巻の企画編集と翻訳に携わっていた。この『東方聖書』(The Sacred Books of the East )に関しては本連載104「『世界聖典全集』と世界文庫刊行会」のところで、『世界名著大事典』(平凡社)の解題を引いておいたので参照してほしいが、これは東洋諸宗教の経典の完本英訳をめざしたものである。先に東本願寺から南条文雄、続いて高楠がミューラーの門下に入り、サンスクリット語などを学び、高楠は『東方聖書』に翻訳者として参加している。これらを通じて、高楠は『東方聖書』を範として、『世界聖典全集』を編纂するに至り、その出版理念は『大正新修大蔵経』にまで及んでいよう。

高楠とミューラーの関係は留学先の師弟だけで終わったのではなく、ミューラーが一九〇〇年に七十七歳で亡くなると、高楠はその未亡人の生活とミューラーの蒐集した宗教と言語学を主とする蔵書の行方を案じ、おそらく南条と連携してであろうが、三菱財閥の岩崎久弥からの資金を得て、東京帝大図書館にミューラーの蔵書を移管することに奔走し、「マックス・ミューラー文庫」として実現させたのである。

ところがこの文庫も含めた帝大図書館が関東大震災によって灰燼に帰してしまう。内田魯庵は関東大震災で起きた文献の滅亡を「永遠に償はれない文化的損失」(『蠧魚之自伝』所収、春秋社)として、内容の実質は世界の大図書館とも伍す帝大図書館の滅亡に言及し、七十万冊以上が失われたと述べ、とりわけ目録が完成したばかりのマックス・ミューラー文庫の損失を嘆いている。
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 マクス・ミュラー文庫に至つては一代の耆宿の一生の精苦を集中する所、博士の専門の梵本以外にヒンヅー教、バラモン教、回々教、ユダヤ教、拝火教その他アジア各国の異教及び原始教の経典を網羅していた。(中略)此の如く各宗教に渡りての原典註疏の大蒐集はマクス・ミュラーの如き比較宗教学の大権威の一生の精苦に頼らなければ決して望まれないので、此の文庫の焼失は啻に日本一国のみならず、世界の共感する大損失であつた。

イギリスから日本へと移管されたことによって、マックス・ミューラーの文庫は焼失する運命をたどってしまったことになる。

つまり高楠は関東大震災に遭遇したことで、自らが尽力したマックス・ミューラーの文庫の焼失、及び新光社による『大正新修大蔵経』出版の断念の場面に立ち会ってしまったのである。それからこれは推測だが、『世界聖典全集』の世界文庫刊行会もまた大きな被害を受けたのではないだろか。とすれば、高楠にとっては三重のショックともいうべきであり、その失地回復のために、大正一切経刊行会を立ち上げ、自らの手で『大正新修大蔵経』の出版に向かったように思われる。前回『大正新修大蔵経総目録』の「刊行経過要略」に述べられた「此の大業に対して竭された高楠先生の奮闘は今更想ひ起すだに悲壮の極みがあつた」との一節は、そうした高楠の決意の表出のようにも見える。
大正新修大蔵経総目録(『大正新脩大蔵経総目録』、大蔵出版)

これまでたどってきたように、高楠は『反省会雑誌』の編集、ミューラーのもとでの『東方聖書』の翻訳と編纂を経て、日本へと戻り、大正時代に入ってから宗教書や仏教書出版に関わっていく。そしてさらに関東大震災によるマックス・ミューラー文庫の焼失と新光社の『大正新修大蔵経』出版の断念に立ち会い、自らが悲劇を味わうことになる出版者への道を歩んでいくことになったのである。しかもそれは父から息子へとも引き継がれていく。

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