出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話539 エドマンド・バアク、村山勇三訳『美と崇高』

これは『資本論』などと異なり、前世紀の一冊だが、新渡戸稲造『武士道』エドマンド・バーク『崇高と美の観念の起原』も出てくることを、本連載535で既述した。
武士道 崇高と美の観念の起原

 バークに関しては『増補改訂版新潮世界文学辞典』に簡潔な立項があるので、それをまず引いておく。

増補改訂版新潮世界文学辞典
 バーク エドマンド EDMUND BURKE(一七二九−九七)
 イギリスの政治家。六五年以後ホイッグ党下院議員として、王権に対し議会の権利を守る立場から穏健中正な論を吐いて重きをなした。S・ジョンソン博士と親しく、著述には『現代不満の原因を論ず』(七〇)、『フランス革命論』(九〇)などがある。特に後者は革命の非を問いてイギリス的良識の高さを示した。「崇高美」論も知られる。

これらの著作は現在『エドマンド・バーク著作集』1の『現代不満の原因・崇高と美の観念の起原』(中野好之訳、みすず書房)として刊行されているが、後者はすでに大正十五年に人文会出版部の『泰西随筆選集』2に当たる村山勇三訳『美と崇高』として翻訳されていたのである。後に村山はギボンの『ローマ帝国衰亡史』(岩波文庫)などの訳者として知られることになる。
エドマンド・バーク著作集  ローマ帝国衰亡史

『美と崇高』は緒論の「鑑識について」から始まり、新奇、苦痛と快楽、喜悦と悲痛の由来とコンセプトがたどられ、論じられ、「苦痛及び危険の観念を誘起する性質に適合せられた一切のもの」、「それらは総じて崇高の源泉である」とされる。この「崇高」に対して、男性が女性に引き寄せられるのは個々の美人の特徴によってであり、このような快楽を伴う「美」は「一つの社会的資質」と見なされる。いってみれば、美的経験とは「崇高」と「美」のふたつがあり、前者は自己保存の衝動に基づく苦痛や危険の観念と結びつく感情、後者は社会的資質である積極的な快楽の観念につながる感情ということになろうか。それゆえに「崇高」は戦慄すらも伴う途方もない大きさ、無限ともいえるが、「美」の対象は小さく、変化がつきものであるとの判断が下される。

このような「崇高美」論は一七五六年に刊行されたが、イギリス本国よりもドイツに大きな影響を及ぼし、レッシングはその翻訳と注解を試みたばかりか、『ラオコオン』(斎藤栄治訳、岩波文庫)における詩と絵画の理論となり、またカントも『判断力批判』の中で、バークの「崇高美」論を援用することになったとされる。
ラオコオン

『崇高と美の観念の起原』の原文を確認していないが、村山が「訳者の序」で述べているように、「構文の精緻と巧妙に至つては、英文学上永久に最高の座席の一つを占めるにふさわしい」ことが想像されるし、訳文からも「刻苦精練の跡」が伝わってくる。まさに「崇高」と「美」の二つの領域をただ哲学的にたどるだけでなく、感覚をアリアドネの糸のようにして進めていくのは、ラテン語引用にある「密かにかくされたるものは詳かに解くを得ず」という未知の観念へと向かおうとする緊張感によっているのだろう。

おそらくは村山訳は本邦初訳のように思われるし、緒論の「鑑職(テースト)」は後の中野訳で採用されている「趣味」に近いと考えるにしても、こうした難物の美学論をよくぞ訳したと賞讃するしかない。村山はギボンの『ローマ帝国衰亡史』の訳者だと先述したが、『日本近代文学大事典』にも立項されておらず、かろうじて大正時代の文芸雑誌『主潮』のところに、アンドレーエフの小説の訳者として、その名前が見出せる。この『主潮』は編集兼発行人を植村宗一=後の直木三十五とし、春秋社や冬夏社を発行所とし、大正八年に全六冊が刊行されている。

これは拙稿「春秋社と金子ふみ子の『何が私をかうさせたか』」(『古本探究』所収)でも書いているが、春秋社は大正四年に謡曲本のわんや編集部にいた神田豊穂と、直木の早稲田大学同窓生の古館清太郎が立ち上げた。だが出版企画が決まらなかったことから、古館が直木に相談すると、たちどころに『トルストイ全集』が企画され、大正七年に予約出版の運びとなった。ところがこの全集の成功によって春秋社の主導権争いが起き、そのために直木はこれも同級生だった鷲尾雨工を引っ張り、春秋社内に冬夏社を設立させたのである。
古本探究

このような『トルストイ全集』をめぐる春秋社と冬夏社状況の中で、『主潮』が創刊されていることを考えると、その寄稿者たちは『トルストイ全集』翻訳関係者と早稲田大学人脈から形成されていたはずだ。おそらく村山のアンドレーエフの翻訳からすれば、前者に属していたのではないだろうか。そしてそのような人脈と関係から、バアクの『美と崇高』の翻訳にも取り組むことになったのではないだろうか。

このような『美と崇高』の出版経緯はともかく、カーライルの『衣裳哲学』、ヴェブレンの『有閑階級論』、マルクス『資本論』と続けてふれてきたわけだが、ラフスケッチながらも、これらの同時代思想が新渡戸稲造の『武士道』に流れこんでいることを明らかにできたと思う。新渡戸はカーライルから武士道という「衣裳」と英雄崇拝、ヴェブレンとマルクスの近代資本主義批判、バークの「崇高美」論を継承し、それを『武士道』へと当てはめ、欧米に向けての近代日本のルーツとして顕示しようとしたのである。日露戦争後における桜井鷗村による『武士道』邦訳は、それを逆輸入せざるを得なくなった、近代日本の社会状況を暗示させているのではないだろうか。
有閑階級論(『有閑階級論』)

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら