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古本夜話596 唯物論研究会と式場隆三郎『サド侯爵夫人』

前回、伊藤書店の「青年群書」の一冊が式場隆三郎の『これからの結婚』で、彼もまた唯物論研究会のメンバーだったことを既述しておいた。

しかしそれは初めて知る事実で、式場に関しては『日本近代文学大事典』の次のような立項に沿う知識しか持ちえていなかったからだ。
日本近代文学大事典

 式場隆三郎 しきばりゅうさぶろう 明治三一・七・二〜昭和四〇・一一・一二(1898〜1965)医者、随筆家。新潟県中浦原郡五泉町生れ。新潟県医専時代「白樺」に傾倒、アダム社を結成、「アダム」を創刊。上京後は開業医のかたわら千家元麿らと交わり「虹」を創刊。さらに柳宗悦に親しみ民芸運動に参加。精神病理学の研究と同時にゴッホ研究に進出、生涯にわたってその文献収集に力を入れる。書誌的要素に満ちた大著『バーナード・リーチ』(昭九・四 建設社)も刊行。国府台に精神病院を開設、幅の広い、せわ好きの文化人として活躍。また山下清を発見、全国各地に山下清展を開催、ロートレックの評伝も書く。(後略)

この立項からして、精神病理学者というよりも、マスコミに露出が多く、山下清を発見した文化人といったイメージが強い。実際に精神医学事典や辞典類を繰ってみても、そのようなマスコミ文化人、地方の医専卒といったことも作用してか、式場の名前は見当らず、専門的な評価や位置づけもされずに忘れ去られてしまった精神病理学者だと見なしても、あながち間違っていないだろう。それに近年は著作も『二笑亭奇譚』がちくま文庫に収録されているだけで、それももはや絶版になっているかもしれない。

私が式場の知られていなかった経歴を目にしたのは、「青年群書」の著者たちが唯物論研究会のメンバー、もしくはその関係者だと考え、『近代日本社会運動史人物大事典』を確認した時に、念のために式場を引いてみたとろこ、思いがけずに立項されていたからである。先の立項を補足する部分を以下に抽出してみる。
近代日本社会運動史人物大事典

 37年頃、戸坂潤、岡邦雄らの「唯研」に参加。機関誌『唯物論研究』に「医学と思想」(第57号、37年7月)や書評などを執筆したほか、37年12月唯物論全書第3次刊行書の1冊として、精神病を系統的・カテゴリー的に研究概観した入門書『精神病理学』(三笠書房)を刊行。戦後、46年、ロマンス社社長として出版界へ進出。50年まで娯楽雑誌『ロマンス』『映画スター』などの月刊誌を発刊した。

ここに式場が唯物論研究会に参加していたこと、またロマンス社社長のことが語られている。。前者に関しては『精神病理学』の入手に至っていないが、「現代学芸全書」としてのラインナップを確認している。だが後者については間違いだと見なすしかない。実際にロマンス社に勤めていた塩澤実信の『戦後出版史』『倶楽部雑誌探究』(いずれも論創社)によれば、昭和二十一年五月の『ロマンス』創刊号の発行所である東京タイムズ社の代表がGHQのパージに引っかかった時に、式場がその資本金を出資し、さらに『ロマンス』二号の紙と資金を用立ててくれた。そのことで、『ロマンス』の定期雑誌としての目途が立ったとされ、そこですぐにロマンス社として独立している。したがって式場が五年間にわたってロマンス社の社長に就任していたとは考えられない。再び式場の名前が出てくるのは、昭和二十五年の負債を抱えてのロマンス社解散の時で、すぐにロマンス出版社が発足し、社長に式場をすえたが、債権者の反対もあって流れてしまったと塩澤は証言している。
戦後出版史 倶楽部雑誌探究

これらのことは雑誌や書籍の場合、出版されていれば、それを追跡し、事実を確かめることができるのだが、倒産して消えてしまった出版社、しかもそれが七〇年近くも前のことであれば、当事者もほとんど亡くなってしまい、定かでない伝聞が真実であるかのように残されていくことの例証となる。おそらく式場のロマンス社にまつわる事柄は、平成二年の朝日新聞社『[現代日本]朝日人物事典』における式場の「46年ロマンス社社長として出版界に進出云々」という箇所をそのまま引き継いだことから生じた誤りだと見ていい。

[現代日本]朝日人物事典

それからもうひとつ、これらの式場の三つの事典の立項にも書かれていないことがあるので、それにふれておきたい。たまたまちょうどよいことに、戦後の出版ではあるけれど、手元に式場の『サド侯爵夫人』があるからだ。これは新書版だが、サドとその夫人の伝記の双方を収録したもので、昭和三十一年に鱒書房の「コバルト新書」の一冊として刊行されている。これはサドとサディズム、それにまつわるサド夫人の生涯をたどっていて、日本人による先駆的な一冊である。
式場隆三郎『サド侯爵夫人』)

サドといえば、澁澤龍彦『サド選集』桃源社)の翻訳に携わり、『サド侯爵の生涯』(同前)も刊行し、また『悪徳の栄え』現代思潮社)をめぐるサド裁判もあり、彼の専売特許のように見なされているけれど、そこに至るサド研究の道筋をつけたのは式場だと思われる。現在読んでみても、『サド侯爵夫人』の内容は充実していて、三島の戯曲『サド侯爵夫人』(河出書房)は澁澤の『サド侯爵の生涯』にヒントを得たとされているが、それはそれとして、タイトルから考えても、三島が最初のモチーフを得たのは、式場の一冊だったのではないだろうか。

サド選集(『サド選集』)悪徳の栄え(『悪徳の栄え』) サド侯爵夫人三島由紀夫『サド侯爵夫人』)

なお唯物論研究会や三笠全書に関しては、後に予定している三笠書房史で詳述したいと思う。

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