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古本夜話688 ウォーレス『馬来諸島』と窪田文雄『南洋の天地』

前回、『南方年鑑』を取り上げたこともあり、ここで南洋協会に関してもふれておきたい。

この南洋協会から昭和十七年にA・R・ ウォーレスの『馬来諸島』が刊行されている。彼は『岩波西洋人名辞典』に立項が見出せるので、まずはそれを示す。
『岩波西洋人名辞典

 ウォーレス Wallace Alfred Russed 1823.1.8-1913.11.7
イギリスの博物学者、社会思想家。初め土地測量や建築業に携わっていたが、のち植物学に興味をもち、昆虫学者(H・W・)ベーツと共にアマゾン及びリオ・ネグロ地方に旅行を試み(1848-52)、またマレー半島に赴いて長期滞在し(54-62)、生物生態系および地理学に貢献し、バリ島とロンボク島の間に動物分布上有名な〈ウォーレス線〉を画した。自然淘汰説をたて、論文を(Ch.)ダーウィンに送り、彼の論文と共にリンネ学会で発表された。彼は社会悪の原因が、土地および資本の私有相続制にあるとし、所有の配分、教育普及等について論じている。(R・)オーエンの影響下に土地国有論を主張し、(J・S・)ミルとも交渉をもった。また心霊現象や道徳問題についても論じ、種痘には反対を唱えた。(後略)

(後略)としたのはウォーレス=ウォレスの原文タイトルリストで、『馬来諸島』The Malay archipelago 1969 とある。これは平成時代を迎え、『マレー諸島』として、宮田彬訳、新思索社新妻昭夫訳、ちくま学芸文庫版の刊行を見ているし、また後者の新妻によるA.C.ブラックマンの評伝『ダーウィンに消された男』(羽田節子共訳、朝日新聞社)及びウォーレス論『種の起源をもとめて』(同前)も出版されるに至っている。
宮田彬訳、新思索社(新思索社マレー諸島(ちくま学芸文庫)ダーウィンに消された男 種の起源を求めて

それらに先行する『馬来諸島』は菊判函入、上製七〇〇ページに及び、巻頭に収録された「馬来諸島」地図にはMR.WALLACE’S ROUTES=「ウォレス線」も示されている。しかもその地図に続いて、社団法人南洋協会名での「改訂再版之序」、内田嘉吉による昭和六年八月付の「訳者序」なども置かれ、それらの記述から、『馬来諸島』が昭和六年に柳生南洋記念財団から『南洋』として刊行され、「此度の大東亜戦争勃発に際会し本書の持つ使命によく加重され来つた」ことで、ここに再刊されたとわかる。

内田の「訳者序」などによれば、翻訳事情は以下の通りである。彼は逓信省官管船局長だったが、明治四十三年に佐久間台湾総督の要請に応じ、台湾民政長官として、その開発に従事することになった。後には台湾総督にも就いている。その際に『馬来諸島』を読み、南洋に通じる航路の関門にして気候風土も類似する台湾のことも考え、南洋の事情を知るための必読書だとの認識に至った。そこで大正の初めに総督府勤務の松岡正男に翻訳を委託し、自らはその校閲に従ったが、二十年あまり徒らに筐底に蔵するばかりだった。ところが昭和五年に学友の故柳生一義の遺志により、南方事業の指導開発を目的とする柳生南洋記念財団が設立の運びとなった。柳生は台湾銀行を主宰し、南洋開発を国策上の重要事としていたのである。

内田はその財団に参画し、その記念事業として、ウォーレスの『馬来諸島』の翻訳刊行を提唱したところ、賛同を得て、昭和六年に「本邦に於ける通称」に従い、『南洋』として発刊されたのである。つまり『馬来諸島』はほぼ十三年後に出された『南洋』の改訂新版ということになる。さてこの版元の南方協会だが同じく財団法人ではあるけれど、別の団体で、おそらく南洋庁とは関係の深い、出版も兼ねた研究機関と見なせるだろう。

実は手元に窪田文雄の『南洋の天地』という一冊がある。これはやはり昭和十八年に大日本雄弁会講談社から刊行された「少国民向科学書」の一冊と考えられる。初版は一万部で、多くの写真も配し、「南洋の約三分の二は、日本軍が占領し、日本軍政部が治めてゐるので、内治同様となり」、そのために「南洋とはどんなところかを、よく理解して、南洋のよい指導者」になることをめざし、送り出されている。
(『南洋の天地』)
この窪谷に関しては幸いにして、「著者略歴」が提出されているので、それを引いておこう。

 明治三十二年、長野県に生まる。早稲田大学商学部卒業。南洋の経済及び民族問題について研究、南洋協会に入り、文化工作課長として、もっぱら南方文化工作の仕事に当る。昨年同協会辞任。「南洋の子どもたち」の著書あり。

学術書の『馬来諸島』から「少国民向」の『南洋の天地』に至るまで、大東亜戦争下においては夥しい南洋書が出版されたにちがいない。その一端をこれまた見てきたが、大日本雄弁会講談社にしても、それらの多くを刊行していたはずだが、全出版目録を出していないので、それらの全貌をつかむことができない。

また学術書の分野においても、南洋関連書の名目で刊行されたと思われるし、実際に大東亜戦争下の出版物として上梓されている。それらに関してはまとめてふれることになろう。


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