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古本夜話774 大同館、阪本真三、野村隈畔

 前々回は『エレン・ケイ思想の真髄』の版元である大同館にまったくふれられなかったので、ここで書いておきたい。

 『日本出版百年史年表』によれば、大同館は明治四十四年に阪本真三によって参考書出版社として設立されている。 それを『日本出版大観』(出版タイムス社、昭和五年金沢文圃閣復刻)の立項から補足すると、阪本は明治十八年大阪生まれで、吉岡宝文館に入り、四十三年に上京し、弘道館を経て、大同館を創業とある。主として文検受験参考書、及び各種学芸書に重きを置き、出版点数は四百種以上に達し、「この方面における東都屈指の出版元」とされている。「文検」とは文部省教員検定試験の略称で、この立項から大同館は参考書出版といっても、学参ではなく、文検関連書をメインとする版元だったことを教えられる。

 各種学芸書というのは前々回挙げた本間の著書やエレン・ケイの翻訳の他に、やはり『エレン・ケイ思想の真髄』の巻末広告に見えている市川一郎『教育の基礎たる社会学』、今井政吉『露西亜文明記』、高森良人『満鮮支那旅行の印象』、小林一郎『芭蕉翁の一生』、里見岸雄『人間としての日蓮聖人』、橘恵勝『支那仏教思想史』などをさしているのだろう。

 だがそれだけでなく、大正時代の大同館は小説の出版社でもあった。この事実に気づいたのは本連載766の吉田絃二郎を調べていた時で、彼は早大英文科出身で、島村抱月の推薦を受け『早稲田文学』に小説を発表するようになり、短編「島の秋」が出世作として認められ、作家としての地位を獲得したとされる。それを収録した同名の作品集『島の秋』は七年に大同館から刊行となっていたのである。
f:id:OdaMitsuo:20180317231659j:plain:h120(『島の秋』)

 こうした吉田のデビューと出版事情に関連して、エレン・ケイの『児童の世紀』の「序」と「閲」はいずれも早稲田大学教授の中島半次郎と島村抱月が担い、訳者の原田実や本間にしても、早大講師を務めていたことからすれば、大同館は文検参考書との関係からか、早稲田人脈と深くつながっていたと推測される。それが小説や文芸書の出版へと結びついていったのだろう。

 やはり『エレン・ケイ思想の真髄』の巻末広告には小説として、津田光造の『大地の呻吟』、鈴木善太郎の『暗示』、文芸書として野村隈畔の『文化主義の研究』『ベルグソンと現代思潮』が掲載されている。また津田の小説の紹介文には「吉田弦(ママ)二郎氏より著者への来簡の一節」が使われ、吉田との交流を伝えている。津田は『日本近代文学大事典』に立項があり、明治二十二年神奈川県生まれで、早大英文科を中退し、第二次『種蒔く人』などの同人として農村小説などを書いたが、後に民族主義的方向へとシフトし、没年は不明となっている。おそらくそのタイトルからして、『大地の呻吟』、は農村小説のように思われる。
日本近代文学大事典

 『暗示』の鈴木善太郎も『日本近代文学大事典』に見出され、明治十七年郡山市生まれ、早大英文科を経て、国民新聞や朝日新聞に勤め、大正期には菊池寛、野村愛正とともに新進三作家と称されたという。後に研究座などの新劇運動に携わり、大正十一年には欧米に遊学し、モルナールの紹介にその半生を傾けたとされる。とすれば、この二十の短編からなる代表的選集『暗示』は著者の言として、「生涯の殿堂を築く為の一枚の瓦」、及び「人生の旅路への新しい出発」としての出版とされているので、十年における同書の上梓は、鈴木にとってのターニングポイントとでもいうべきものだったのかもしれない。

 津田と鈴木の二人も、吉田と同様に早大英文科出身であるから、先に『島の秋』を上梓していた吉田を通じて、大同館からの小説刊行も実現したように思われる。だがそれは野村隈畔に端を発しているのかもしれない。野村も『日本近代文学大事典』に立項され、明治十七年福島県伊達郡生まれの思想家、評論家で、小学校を終え、農業に専念していたが、明治四十年頃、哲学研究を志して上京し、独学で英独語を学ぶ。そのかたわらで統一教会に通い、吉田絃二郎や加藤一夫と知り合い、ニーチェやベルグソンなどの影響を受け、『六合雑誌』に論文を発表し、自我の解放を説き、絶対自由主義を唱道したとされる。そして野村が大正三年に大同館から出版したのが先に挙げた『ベルグソンと現代思潮』で、好評を博したという。確かに波多野精一と早大教授内ケ崎作三郎の「序」を付した菊判五百ページの同書は「好評六刷」とあり、それを裏づけている。しかしここで注視すべきは吉田の『島の秋』よりも先駆けていることで、野村による大同館からの出版がきっかけとなり、吉田が誘われ、それに津田も鈴木も続いたのかもしれない。

 そのことを示すように、野村は大正十年に自己の観念内に築いた永劫無限の世界に殉じるために千葉海岸での情死に至るのだが、同年にやはり大同館から『文化主義の研究』も刊行し、これが遺著ともなっている。それゆえに野村は大正六年の『現代文化の哲学』も含め、主著をいずれも大同館から出版していることなり、両者の深い関係を告げているかのようでもある。そこにはもはや知ることのできない出版のドラマが秘められているにちがいない。


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