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古本夜話787 新潮社『昭和名作選集』と阿部知二『北京』

 昭和十年代半ばには本連載でふれてきた実業之日本社や河出書房だけでなく、多くの日本文学シリーズが刊行されていたし、驚くほどの売れ行きを見ていたのである。

 本連載767の『道徳と教養』の中で、河上徹太郎は「昭和十四年度文壇の回顧」において、本年は「全く文運隆盛といふ御目出度い四字に尽きる」とし、火野葦平の『花と兵隊』や本連載618日比野士朗『呉淞クリーク』などの戦争文学や従軍文学の本格化、これも同530の小川正子『小島の春』などの「素人文学」の流行を挙げている。そしてこれらが「文壇の殷盛に拍車をかけるつけ合せの調味料」だとし、次のように述べている。

 かくして、紙の統制にも拘らず、雑誌の創刊も行はれゝば、単行本の売行も殆ど井じみてゐる程だ。中でも、島木健作とか阿部知二とか石川達三とか丹羽文雄とかいふ名だと間違ひなく売れるのはいゝとして、結局どんな文学書でも売れてゆくのであつて、一体どんな方針で著者を選べばいゝのだか本屋自身にも分からなくなつてゐるといつてもいゝ位である。

 これは通常の近代出版史や文学史にもほとんど見出されない証言で、そのような恰好の例として、昭和十四年の新潮社の『昭和名作選集』を挙げることができる。その20までのラインナップを示す。
  

1 横光利一 『寝園』
2川端康成 『花のワルツ』
3 尾崎士郎 『鶺鴒の巣』
4 葉山嘉樹 『渇流』
5 坪田譲治 『風の中の子供』
6 徳永直 『八年制』
7 和田伝 『沃土』
8 堀辰雄 『聖家族』
9 林芙美子 『清貧の書』
10 武田麟太郎 『銀座八丁』
11 井伏鱒二 『丹下氏邸』
12 阿部知二 『北京』
13 島木健作 『第一義への道』
14 石坂洋次郎 『闘犬図』
15 丹羽文雄 『南国抄』
16 深田久弥 『贋修道院』
17 石川達三 『蒼氓』
18 伊藤永之介 『鴉』
19 高見順 『故旧忘れ得べき』
20 岡本かの子 『鶴は病みき』

f:id:OdaMitsuo:20180414112217j:plain:h120 (『銀座八丁』) 故旧忘れ得べき (『故旧忘れ得べき』)

  
 実際には28まで出されているので、必要とあれば、『日本近代文学大事典』を参照してほしい。20までを挙げたのは、そこに河上のいうところの「間違いなく売れる」という島木、阿部、石川、丹羽が含まれていること、それから手元にある12の『北京』と14の『闘犬図』の巻末には20までが掲載されていたことによっている。

 14には昭和十四年五月付の「昭和名作選集刊行の言葉」も掲載されているので、それも引いてみる。

 国家非常のとき、国民の意気大いにあがり、文壇亦新風大いに与つた。競ひ起てる新人みな国家的社会的職能に向つて邁進し、その接触面の広汎にして、作品内容の複雑多様なる、未だ曾て見ざるところである。(中略)以て後世に記念する一大文芸塔とすべく、小社が文壇に対する献芹の微意を諒とせらるれば、本懐至極である。

 この「言葉」は前掲の河上の「昭和十四年度文壇の回顧」という証言を出版社の側から裏づけていることになろう。それと戦争文学や従軍文学の本格化からすれば、阿部の『北京』もまたそのようなジャンルに位置づけられたのかもしれない。阿部はその「序」で『北京』について、「この小説は時局的文章ではない。一九三五年の秋のはじめの北平を場面として、ひとつの感傷紀行録であり、幻想曲であるにすぎず、遠慮しながらの支那観察記といふほどのものにすぎぬ」という、昭和十三年版の「跋文」を再録しているのは、そのことへの懸念の表明とも考えられる。

 『北京』は阿部の昭和十年の北京体験をベースにして、若い歴史研究者大内を主人公としている。彼は北京の上流家庭に滞在し、病を得て、日本へと帰国するまでを、まさに「ひとつの感傷紀行録」「幻想曲」にして、「支那観察記」として書いていることが伝わってくる。そうした意味において、『北京』は日影丈吉の『内部の真実』を始めとする台湾を舞台とした作品を彷彿とさせる。日影の『内部の真実』のほうは、拙稿「『夢魔』がたちこめる台湾」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)で論じていることを付記しておこう。
(社会思想社)郊外の果てへの旅

 しかしそうした「幻想曲」を思わせる一文で、これも阿部が「序」で記しているように、「北支は、北から南から西から東からの、民族の力、政治の力、思想の力が渦巻となつて衝突し合ひ、いつかは活劇か悲劇の舞台となる運命を持つてゐた」ことも、『北京』という小説から滲み出るように伝わってくることも事実なのである。それは大内の教え子が満鉄調査班の仕事に関わり、その「冒険旅行」を語る場面、及び大内が滅びる以前の底なし沼を有し、あらゆるものを沈みこませてしまったゴビ砂漠に支那をたとえるシーンにも表出しているといえよう。それゆえに同時代の読者には「幻想曲」として読まれなかったとも考えられるのである。


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