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古本夜話767 『新女苑』と河上徹太郎『道徳と教養』

 本連載764で、保田与重郎の『美の擁護』の装幀が青山二郎によるものだが、疲れた裸本ゆえにそのはっきりしたイメージがつかめないこと、及び同じ実業之日本社から河上徹太郎の『道徳と教養』も刊行されていたことにふれた。
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 実はこちらも入手したばかりで、これも青山の装幀であり、しかも函入の一冊だった。その「序」を読むと、意外なことにタイトルと相違し、婦人雑誌に書いた「女性訓と読書論」を併録した「婦人本位の評論集」とされている。それに加え、同書は装幀だけでなく、「畏友青山二郎君の勧めと手助け」によって成立したことが語られている。

 私は従来評論集を編むに際して、書き溜めた原稿の中から極く少数を選び、他所行きの顔をした纏つたもの許りで本を作つてゐたが、曾て青山は私に、そんなものよりはもつと書きなぐつた雑文の中に君らしいものがたくさんあるから、そういふものを集めた本を一冊俺に編輯させろ、と常々語つてゐた。そこへ本書の話を出版部の神山氏が申し出られたので、私は早速青山にそのことを話し、原稿のストツク全部を持ち込んで自由に一冊の本を編輯してくれるやうに頼んだ。それを快く引き受けてくれて、凝り性の彼は、日夜丹念に私の原稿を整理・取捨・按配し、遂に編輯から組や印刷工の指定から装釘に至るまで全部やつてくれた。彼の神経の細かな行き届き方は、本書の隅々に至るまで感得出来るであらう。まだ世に珍しい、かういふ形式の著書の著者としての喜びをここに吹聴しておく次第である。

 この「珍しい、かういふ形式の著書」は所謂「青山学院」的編集によって成立したということになろうか。青山の装幀に関しては多くが語られているが、確かに編集については「珍しい」言及といえるだろう。それが功を奏してなのか、奥付を見ると、昭和十五年七月発行、十一月十九版と驚くばかり版を重ねている。はっきりした部数はわからないけれど、このような事実からすれば、前回挙げておいた、それ以後の実業之日本社の様々な文芸評論集もまた、「青山学院」的編集によるものが出されたことも考えられる。

 ちなみに「出版部の神山氏」とは、これも同764で既述しておいたように、文芸書担当者の神山裕一で、『実業之日本社七十年史』によれば、『新女苑』主筆となり、昭和十七年から十八年にかけてビルマ、ジャワ方面に陸軍報道班員として派遣されている。そしてビルマで従軍看護婦の座談会、ジャワでは現地の「インドネシア女性に訊く」座談会を企画し、それを『新女苑』に掲載し、各方面から注目されたという。なお神山は戦後になって出版部長から編集局長となり、昭和三十二年には米国空軍による日本の主たる新聞雑誌関係者招待で、戦後初めて社員として海外に出たとのことで、サンフランシスコでの写真も掲載に至っている。

 それらはともかく、河上の『道徳と教養』は他ならぬこの『新女苑』に寄せたものが大半を占めていて、それが青山の装幀と編集、おそらく神山の出版戦略も相乗し、かなりの売れ行きを示したことは、文芸評論集にしても、戦前の女性誌の隆盛と密接にリンクしていると考えざるをえない。例えば、河上のいうところの「女性訓」にしても、やはり同様に実業之日本社から『芸術の運命』を刊行している亀井勝一郎、シュテーケルの『近代の結婚』の訳者の堀秀彦にしても、どちらかといえば、それが本領だったのではないだろうか。戦後の亀井や堀の著作とその傾向、及び受容はそのことを証明していよう。

 それらは河上がいうように、「此の種の評論集は、一般に啓蒙的なものであることを常としてゐる」し、それは女性誌連載の小説にも共通していたはずだ。それが戦後の婦人誌、及び女性論や結婚論へとも引き継がれていったことは明白であろうし、それらは間違いなく、高度成長期における出版の一角のエトスを支えていたと考えられるのである。

 しかしそれはこの『道徳と教養』にとってプラスとなって表われ、同時代における文芸時評の優れた結実を示しているように思われる。そこに収録された各編は、女性誌を中心にして寄稿されたものに他ならないのだが、「啓蒙といふ仕事が命じる取りすました態度を自分に装ふこと」をしていないことで、見晴らしのいい昭和十年代半ばの文芸時評を形成している。それを自覚してか、河上は「之によつて私は今まで知らなかつた文芸時評のスタイルを獲得し得たのであつた」と記している。ということは本連載762で挙げた河上の文芸評論集『自然と純粋』や『思想の秋』が「啓蒙」ではないにしても、「取りすました態度を自分に装ふこと」で成立していたと告白していることに等しい。

 だが河上は『道徳と教養』に至って、その新しい一歩を踏みだしたのだ。それらは岡本かの子、北条民雄、里見弴、井伏鱒二、横光利一から通俗小説や雑誌論に及び、またヴアレリイやジイドなどの翻訳も配置され、その時代の日本文学と外国文学の広範にして繊細な見取図ともなっている。それらに関してもふれたいのだが、しばらく本連載が保田与重郎と実業之日本社のことに向けられているので、それらが一巡したら、あらためて言及することにしたい。


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