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古本夜話804 博文館『縮刷独歩全集』と改造社『国木田独歩全集』

 国木田独歩の全集は、前回の『欺かざるの記』後篇刊行の翌年の明治四十三年に博文館から『独歩全集』前・後篇が出され、昭和五年には円本として改造社から全八巻の『国木田独歩全集』が刊行されている。これは幸いにしてというべきか、博文館版は大正時代の『縮刷独歩全集』全一巻、改造社版も全八巻を架蔵している。
f:id:OdaMitsuo:20180709145604j:plain:h110(『縮刷独歩全集』)

 『縮刷独歩全集』は前・後篇で出された『独歩全集』の縮刷一巻本で、三六判並製函入、本文一三七七ページに「略年譜」が付され、大正九年初版、手元にあるのは大正十五年廿六版となっている。これは「凡例」が示しているように、田山録弥(花袋)と前田晃によって編まれた独歩の小説と新体詩の集成といっていい。「牛肉と馬鈴薯」に始まるそれらは、七十編に及んでいる。その独歩と友人たちをモデルとし、芝区桜田本郷町の明治倶楽部における「人生観」のやりとりを描いた「牛肉と馬鈴薯」をあらためて読んでみると、それが前回の『欺かざるの記』にあった「理想」と「実際」の問題をテーマとしていることを実感させられる。タイトルにこめられた「牛肉」と「馬鈴薯」はそのメタファーなのである。独歩をモデルとする岡本は「理想と実際」の一致を旨としているが、友人の一人は到底一致しないので、「理想に従ふよりも実際に服するのが僕の理想だ」とし、「理想は食べられませんもの」という。そしてさらに続いて、それに友人たちが「ビフテキ」とちがってと賛同する。

  『例へて見ればそんなもんなんで、理想に従へば芋ばかし喰つて居なきやアならない。ことによると馬鈴薯も喰へないことになる。諸君は牛肉と馬鈴薯と何ちが可い?』
  『牛肉が可いねエ!』(中略)
  『然しビフテキには馬鈴薯が附属物だよ』
  『さうですとも! 理想は則ち実際の附属物なんだ! 馬鈴薯も全きり無いと困る。しかし馬鈴薯もばかりぢや全く閉口する!』

 この「牛肉と馬鈴薯」に描かれた所謂「俗物党」=実際派と「真物」=理想派の問答こそは、日本の近代文学と社会を象徴するもので、明治三十四年の『武蔵野』刊行とそれに続くこの作品の発表は、大きな波紋をもたらしたはずだ。吉本隆明は『言語にとって美とはなにか』において、尾崎紅葉や幸田露伴を経て、泉鏡花や広津柳浪が獲得した文学体と話体を破り、独歩は『武蔵野』と「牛肉と馬鈴薯」で、まったく新しい文学体と話体へと転移させたと述べている。
   言語にとって美とはなにか

 そして吉本は『武蔵野』について、次のように指摘している。「景物は描写された像ではなく、考えられた像をなす、観念と現実のあいだをはげしくゆききしうる独歩の表現意識をしめしている」と。私も以前に「郊外風景論の起源」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)で、独歩の『武蔵野』を取り上げ、そこから始まった郊外のイメージが文学だけでなく、広く社会的現象としても伝播していった事実を追跡したことから、吉本のこの指摘をまさに想起したのである。
郊外の果てへの旅

 そうした広範な独歩文学の影響を考えると、独歩は大家と呼べないにしても、夏目漱石や森鴎外と並ぶ近代文学の最も重要な人物だと見なすこともできるように思う。ただそのような評価を得られなかったのは、全集が漱石や鴎外のように岩波書店、もしくは新潮社から出されずに、改造社から刊行されたことによっているのではないかとも判断されるのである。これは誰も指摘していないはずだが、改造社の『国木田独歩全集』の奥付の著作権所有者は山本実彦となっていて、その検印紙には山本の印が打たれている。これは改造社の社長に他ならない山本が、独歩の著作権を所有しているという事実を証明している。

 先述の大正十五年の博文館版『縮刷独歩全集』の奥付は著者が故国木田独歩とあり、検印には国木田印が押されていることからすれば、先行する明治四十三年の博文館の『独歩全集』から大正時代の『縮刷独歩全集』に至るまで、著作権は国木田の遺族にあったと見なせよう。それに加えて、昭和初期円本時代には改造社の『現代日本文学全集』第十五巻、春陽堂『明治大正文学全集』第二十二巻が、それぞれ国木田独歩集、篇となっているので、昭和二、三年に続けて多大の印税が遺族にもたらされていたはずだ。

 だが何があったのかは不明だが、それらは遺族を印税成金ならしめず、まさに短期間に消尽されてしまい、その挙げ句に山本への著作権譲渡が生じたことになる。そのようにして、国木田独歩全集権は博文館から改造社へと移行し、『欺かざるの記』二巻も収録した改造社版『国木田独歩全集』の刊行を見たのである。なおこの編纂に当たったのは柳田泉、中島健蔵、斎藤昌三で、彼らが著作権譲渡にも関係していたのかもしれない。

 そのような事情ゆえなのか、戦前に新たなる全集は編まれず、戦後を迎え、昭和二十一年に鎌倉文庫から『国木田独歩全集』全十巻が刊行の運びとなったが、そのうちの六冊を出しただけで中絶してしまった。学習研究社からの完全な全集ともいえる『定本国木田独歩全集』全十巻、別巻が昭和三十九年から刊行され始めたけれど、その完結は四十二年を待たなければならなかった。だがそれが文芸出版社ではない、学参をメインとする学研であったことも、様々な関係と思惑が複雑に絡んでいるのだろう。
f:id:OdaMitsuo:20180709145953j:plain:h115(鎌倉文庫版)f:id:OdaMitsuo:20180709150618j:plain:h115(学研)

 こうした独歩全集をめぐる出版事情と経緯も、独歩の速やかな再発見や再評価、新たな研究を遅らせた要因になったと思われる。文学者もまた作品だけでなく、全集の出版をめぐる問題によって、その評価が左右されるということを独歩の例は示しているのではないだろうか。


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