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古本夜話830 新潮社『世界新名作選集』とウィルダア『運命の橋』

 昭和十年代半ばに、新潮社も新たな外国文学シリーズを立ち上げている。それは『世界新名作選集』で、まずそのラインナップを挙げてみる。

1 ヘルマン・ヘッセ 『放浪と懐郷』(高橋健二訳)
2 ドリュ・ラ・ロッシェル 『夢見るブルジョア娘』(堀口大學訳)
3 フランク・スウィナトン 『ノクターン』(織田正信訳)
4 ソーントン・ウィルダア 『運命の橋』(伊藤整訳)
5トーマス・マン 『混乱と若き悩み』(竹山道雄訳)
6 フランソワ・モーリアック 『夜の終り』(杉捷夫訳)
7 ハロルド・ニコルソン 『美しい海』(阿部知二訳)
8 シヤーウッド・アンダスン 『懊悩する魂の群』(高垣松雄訳)
9 ジヤン・ジオノ 『愛情の力』(片山敏彦訳)
10 アンドレ・モロア 『母と娘』(河盛好蔵訳)
11 ロザモンド・レエマン 『舞踏への勧誘』(本田顕彰訳)
12 ウイラ・キヤザー 『別れの歌』(滝口直太郎訳)
13 アンドレ・ジイド 『窄き門』(山内義雄訳)
14ノーマン・ダグラス 『夜風』(中野好夫訳)
15 ジュリアン・グリーン 『深夜』(新庄嘉章訳)

 f:id:OdaMitsuo:20180914144541j:plain:h120(『運命の橋』) f:id:OdaMitsuo:20180916164708j:plain:h120(新潮文庫版)

 この中の4の『運命の橋』だけを入手していて、これはその巻末に掲載されたリストを転載してものである。実際に『新潮社七十年』では言及されていないし、「新潮社刊行図書年表」を確認すると、昭和十五年に4に加え、1、2の上、3、5、12が出ただけで、中絶してしまったとわかる。しかし『運命の橋』の奥付を見る限り、昭和十五年八月初版発行、同十月廿二版とある。このような奥付記載の信憑性の問題は承知していても、売れ行きはきわめて好調だったと見なせよう。

 それに本連載でもずっとふれてきたように、フランス文学を始めとする訳者たちも揃っているし、刊行を続けてもそれなりの売れ行きは保証されていたはずで、やはり大東亜戦争の進行に伴う新潮社の事情による中絶と考えていいのかもしれない。先の「同年表」を見ても、昭和十六年以後はセルヴァンテスの『ドン・キホーテ』(片山伸訳)全四巻が目立つくらいで、所謂「世界新名作」は見当らなくなっている。

 それならば、この時代に「世界新名作」として選ばれた『運命の橋』のソーントン・ウィルダアとはどのような文学者なのか。『増訂新版英米文学辞典』(研究社)にその立項を見出せるし、伊藤整の「訳者後記」の著者紹介と少し異なっているので、こちらの前半を引いてみる。

増訂新版英米文学辞典

 Wilder Thornton Niven(1897~1975)アメリカの小説家・劇作家。Wisconsin 州生まれ。父が香港総領事の時8年ほど中国で少年時代をおくり、のちYale 大学を卒業して New Jersey州のLawrenceville school (1921-8)やChicago 大学(1930-6)で教鞭をとった。その間文筆をとり、ローマ近くで高踏的な生活を営む一団の人々を風刺的に描いた最初の小説The Cabala(1926)を発表。また戯曲The Trumpet Shall Sound を小劇場で上演したりしたが、第18世紀ペルーを舞台にしたThe bridge of San Luis Rey(1928;Pulitzer 賞受賞)で一躍著名になった。(後略)

 このThe bridge of San Luis Rey が『運命の橋』の原書タイトルで、戦後になって岩波文庫から出されたワイルダー『サン・ルイス・レイ橋』(松村達雄訳、昭和二十六年)が同じ原著によるとわかる。

The bridge of San Luis Rey サン・ルイス・レイ橋

 これがピューリツア賞を受賞したのは昭和三年であるわけだから、確かに「世界新名作」に当たるだろうし、日米関係が緊迫している中にあっても、ヴェルヌ条約十年留保によって、翻訳も可能とされたのであろう。ただ戦前の場合、宮田昇の『昭和の翻訳出版事件簿』(創元社)などによって、それらの翻訳出版事情も明らかにされつつあるけれど、出版社固有の処置も生じているだろうし、その個々のケーススタディを把握することは難しい。それは『運命の橋』だけでなく、『世界新名作選集』にしても、様々なケースがあると思われる。
昭和の翻訳出版事件簿

 それらはともかく、この『運命の橋』は「一七一四年の七月二十日、金曜日の正午に、ペルウで最も美しい橋が壊れた、その上を歩いてゐた五人の人間は深い谷底の淵に落ちた」と始まっている。このフランス王聖ルイにちなんだサイ・ルイス・レイ橋は百年以上前にインカ人たちが柳條でつくったもので、リマの遊覧客だけでなく、総督や大僧正も渡り、永久にその姿を保っていくものとされていた。ところが壊れるという椿事が起きたのだ。

 それを目撃したフニペル神父はどうしてあの五人にだけ災難がふりかかったのか、それは偶然なのか、それとも神の心によって死んだのかと思った。そして彼は死んだ五人、つまり侯爵夫人ドナ・ユリアとその女中ペピタ、秘密の言語を話す双生児の片われエステパン、ピオ小父さんと歌姫の息子ハイメの内密の生活を探求し、その本当の理由をつかもうと決心するに至る。その調査はとても分厚い本になったが、大広場の民衆を前にしての梵書となってしまった。しかしそれは秘かに書きうつされ、何十年後にサン・マルコ大学図書館で見つかり、五人に神の英知が訪れたとの結論が書かれていたのである。それゆえに「私」は神父が気づかなかった五人の「生活の中心となった情熱の根源」に迫ろうとする。それが『運命の橋』ということになろう。

 伊藤整の「訳書後書」から伝わってくるのは、日米関係の緊迫化の中での「運命の橋」の行方への透視であるように思われる。それが『サイ・ルイス・レイ橋』を『運命の橋』へとタイトルを変えた理由だったのではないだろうか。


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