河盛好蔵は『新潮社七十年』において、創業者の佐藤義亮の企画編集による『世界文学全集』の成功が、大出版社としての基礎を固めたと述べている。これは昭和二年から七年にかけての第一期全三十八巻、第二期全十九巻に及ぶ六年間にわたる出版であった。この第一期の古典的「昨日の世界文学」と第二期の新たな「今日の世界文学」の内容明細は『日本近代文学大事典』に掲載されているので、必要であれば、ぜひ参照してほしい。
この完結によって、『世界文学全集』のコンセプトが確立されると同時に、世界文学の広範な読者層が発見されたことになる。それは河盛も指摘しているように、新潮社の『世界文学全集』が従来の生硬な翻訳を克服し、「読んで分る翻訳」「美しい日本語になっている翻訳」を作り出すという功績に支えられていた。そのことに関して、河盛は具体的に例を挙げ、佐藤義亮がどのように校正に取り組んだかに言及している。
この全集で『モンテ・クリスト伯』の翻訳を担当した山内義雄の思い出によれば、義亮は初校から三校四校にいたるまで丹念に目を通し、校正刷には、いたるところに、訳文についての仮借のない批評や注文や助言や激励の言葉が書きこまれていたという。義亮は外国語の全然読めない人であったが、彼が意味不明として指摘した個所は必ず誤訳や読みちがいをした個所であったという。山内に向って「あなたの翻訳はまだ鷗外や上田敏の亡霊に取りつかれている」と忠告し、『モンテ・クリスト伯』のような大衆小説はいかに翻訳すべきかについて、さまざまの貴重な助言を与えてくれたそうである。これは他の訳者に対しても同じであったにちがいない。
ここで山内義雄訳のデュマ『モンテ・クリスト伯』(『世界文学全集』第十五、十六巻)の例を挙げたのは、これも前々回の『レ・ミゼラブル』と同様に、初めてのフランス語原書からの全訳であるからだ。新潮社は大正八年に「泰西伝奇小説叢書」として、谷崎精二、三上於菟吉訳『モントクリスト伯爵』全二冊を刊行している。これは未見だが、本連載402、435で、三上の翻訳にふれているように、英訳からの重訳なのは明らかで、やはり『レ・ミゼラブル』の『世界文学全集』への収録とも関連して、原書からの全訳が試みられることになったのだろう。
佐藤が山内に対して、「上田敏の亡霊」だといっているのは、明治二十七年生まれの山内が東京外語学校仏語科を経て、京都帝大に進み、上田の薫陶を得たことをさしている。上田の死後、東京帝大仏文科選科に進み、大正十二年に新潮社から「現代仏蘭西文芸叢書」の一冊として、ジイドの『狭き門』を翻訳し、その翌年にやはりジイドの石川淳訳『背徳者』が続いている。山内と新潮社の関係はジイドの翻訳を通じて始まり、『モンテ・クリスト伯』へとリンクしていったと推測される。
(『背徳者』)
いうまでもなく、『モンテ・クリスト伯』は黒岩涙香によって『巌窟王』として翻訳紹介され、山田はその「序」において、「これを読んで誰か、その大いなる息吹に触れて胸を高鳴らさなかつたものがあつたろうか」と始め、次のように続けている。
デュマがこの書を成したのは一八四五年、彼が四十二歳の時であつた。戯曲を以て一世を風靡した彼が、更に筆を転じて小説に向ひ、往くとして可ならざるなき偉大なる才腕を示したが、特にその異常な精力を傾倒したものは、彼が、畢生の大作たる『モンテ・クリスト伯』一部である。結構の雄大と、変幻怪奇を極めた着想とは、古今にその類例甚だ少なく、真にデュマ一代の傑作を似て許さるべきものであると共に、主人公ダンテス、後にモンテ・クリスト伯の一身を通じて、作者がそこに描き来つた、純真王の如き青年の思慕と、後に冷厳氷の如き理性に包んだ燃えあがる理想感とは、共に世に対し、人に対する作者自身のあらゆる感懐を現せるものとして、読む人の肺腑に徹せしめずには措かない。
そしてさらに山内はその「序」の後記に、「本書の上梓にあたり、校正その他の点に関し新潮社佐藤義亮氏をはじめ、調査部の諸氏から異常な尽力にあづかつたことを特記して」いる。それは先の河盛の記述を裏づけるものである。これをあらためて読み、佐藤の意図はこれまでの黒岩訳『巌窟王』を、原書からの山内の翻訳によって、『モンテ・クリスト伯』として、新潮社のもとへと奪還することにあったように思えてくる。
ちょうど前々回の『レ・ミゼラブル』もまた黒岩訳『噫無情』として読まれていたことからすれば、この大衆文学の物語祖型ともいうべき二作を、新潮社は『世界文学全集』への収録によって、囲い込むことに成功したといえよう。それゆえに、この二つの作品はさらに岩波文庫化され、現在でも読むことができるのではないだろうか。
(『噫無情』)
とりわけ『モンテ・クリスト伯』こそは、無実の罪での牢獄生活、そこから脱出帰還、そして始まる復讐の物語は、本連載483の村雨退二郎『明治巌窟王』ではないけれど、日本においても広範に同様の物語祖型を伴う無数の小説、映画、ドラマ、コミックを生み出していったのである。そのような例として、私はやはりユゴーの松本泰訳『ノートルダムのせむし男』にふれ、「講談社版『世界名作全集』について」、及び「松本泰と松本恵子」(いずれも『古本探究』所収)で、その長きにわたる児童文学分野での使い回しを追跡している。おそらく『モンテ・クリスト伯』はそれどころではないはずだし、船戸与一の『猛き箱舟』(集英社)にまで及んでいるはずだ。これもよろしければ、拙著『船戸与一と叛史のクロニクル』(青弓社)を参照されたい。
また訳者の山内といえば、本連載816でもふれておいたように、昭和十三年からのマルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』 の翻訳とその戦後のロングセラー化によって知られているが、むしろこの『モンテ・クリスト伯』の翻訳のほうが、その後の様々な物語に対して、広範な影響を及ぼしたこと確実である。それらのことを考えると、山内の『モンテ・クリスト伯』の翻訳のほうがその功績として、格段に大きいように思われる。
odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com
[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら