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古本夜話832 新潮社「近代名著文庫」、昇曙夢、ドストエーフスキイ『虐げられし人々』

 続けて新潮社の『世界文学全集』などに言及してきたが、それは大正時代の「近代名著文庫」に起源が求められる。だが「近代名著文庫」は『日本近代文学大事典』に明細が掲載されていないので、『新潮社四十年』からリストアップしてみる。
  

1 ダンヌンツイオ 『死の勝利』(生田長江訳)
2 ドオデエ 『サフオ』(武林無想庵訳)
3 ウイルド 『遊蕩児』(本間久雄訳)
4 ツルゲエネフ 『煙』(大貫晶川訳)
5 アルチバアゼフ 『サアニン』(中島清訳)
6 ドストエーフスキイ 『虐げられし人々』(昇曙夢訳)
7 ロチ 『郷愁』(後藤末雄訳)
8 ハムズン 『世紀病』(杉井豊訳)

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 この「近代名著文庫」はそのように銘打たれていないけれど、実質的に明治四十二年のツルゲーネフ『父と子』(相馬御風訳)から始まり、翌年の同『貴族の巣』(同前)、四十五年のロシア近代作家短篇集『毒の園』を引き継いでいるので、それらも含めれば、十一冊が出されたことになる。そしてこの企画が新潮社の翻訳出版の名を高め、その延長線上に大正九年の『世界文芸全集』や昭和二年の『世界文学全集』が成立したことは明白であろう。

f:id:OdaMitsuo:20180911113032j:plain:h120(『世界文芸全集』)f:id:OdaMitsuo:20180911142905j:plain:h120(『世界文学全集』)

 残念ながら「近代名著文庫」は入手していないが、2の昭和十四年の新潮文庫版と6の大正十年の『ドストエーフスキイ全集』版が手元にある。『サフオ』の訳者武林無想庵のことは山本夏彦の『無想庵物語』(文芸春秋)によって、その数奇といっていい生涯がたどられているが、、『虐げられし人々』の昇曙夢のほうはそうした評伝類も出されていないと思われるので、こちらを取り上げてみたい。それはこの『ドストエーフスキイ全集』全九巻の第二編に『虐げられし人々』が大正七年初版発行、同十年十七版とあり、大正三年の「近代名著文庫」版から数えれば、驚くほど版を重ねていたことになり、大正時代におけるロシア文学とドストエフスキーブームを迎え、その主要な訳者としての昇の存在を告げているからである。
無想庵物語

 それに加えて、昭和四十年代まではその余燼が古本屋の店頭に残っていて、昇によるロシア文学の翻訳をよく見かけたものである。その頃買い求めた昇の訳書として、メレジュコーフスキイ『トルストイとドストエーフスキイ』(東京堂、昭和十七年)の一冊があり、その奥付の訳者名が表紙と異なる昇直隆となっていたことから、曙夢のほうがペンネームとわかったという記憶も理由のひとつとして挙げられる。
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 しかし現在では一般的に忘れられた翻訳者と考えられるので、まずは『日本近代文学大事典』の立項を見てみると、半ページに及ぶ。そこで他のデータも加え、要約してみる。明治十一年鹿児島県奄美大島生れで、鹿児島正教会で受洗し、二十九年に神田駿河台のニコライ堂の正教神学校に入学し、三十六年に卒業後、その講師となる。明治四十年代を迎えると、ロシア文学の翻訳がブームとなり、易風社の『趣味』に二葉亭四迷と並んで、翻訳や紹介を寄せる。

 それもあって、明治四十三年にやはり易風社からロシアの新しい作家たちの翻訳小説集『六人集』、続けて先述の『毒の園』を刊行し、当時の日本の文学状況に大きな影響を与えたとされる。この二冊は昭和十四年の昇の還暦記念として、合本復刊され、巻末に四十三名の文学者たちがそれらを読んだ回想を寄せ、明治末から大正にかけてのロシア文学の熱狂的な受容を語っているとされるが、これは未見である。そうして昇は二葉亭の死後、米川正夫や中村白葉の先達として、翻訳は二百冊近く、研究書も六十冊に及び、ロシア文学の権威として、その全般にわたって書き続け、昭和三十三年に亡くなっている。また戦後は故郷奄美の日本復帰運動にも尽力し、確か奄美の民俗誌の一冊も刊行している。

 このような昇のプロフィルを確認した後で、『虐げられし人々』を繰ってみると、その巻頭には「此訳本を恩師故ニコライ太主教の霊前に献げまつる」という献辞が置かれ、昇があの正教神学校出身であることを想起させる。それに続く「序」もドストエーフスキイと『虐げられし人々』を語ってあまりある筆致を伝え、「ドストエーフスキイは人生の貧苦、窮迫、悪夢の様を如実に描きつつ、同時に作中人物の心を残る隈なく詮索して、其の底に潜んでるやうな秘密の感情までも容赦なく残念なほど解剖して居る」と述べ、次のように結んでいる。

 斯様に都会の隠れた一角を描いたといふ題材の点に於て、次に描写の様式が純写実的である点に於て、また人間の悲痛に対する深い沈痛な同情に於て『虐げられし人々』は同じ作者の処女作『貧しき人々』と共にロシヤ文学に於ける新らしい現象であつた。既に流刑以前に此の方向に傾いてゐた作者は流刑中自から人生の暗い、恐ろしい、悲惨な方面を経験して、それからは人生を観る眼が一層広く、深く、細かになつたのである。それと同時に其後は人間の天性の奥深く宿つて居る光明な分子と周囲の暗い残酷な境遇との戦闘が彼の有ゆる創作の基調を為して居る。そして作者の創作的生活に於ける此の新しい一時期に太い鮮やかな一線を画した最初の傑作が実に此の『虐げられし人々』である。

 この「序」を読んだ読者は矢も楯もたまらず、この一冊を買い求めたのではないだろうか。それは、『虐げられし人々』の驚くほどの版の重ね方が証明しているように思われる。


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