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古本夜話877 土岐善麿『外遊心境』

 前回、「朝日常識講座」の『文芸の話』の著者土岐善麿を外したのは、彼のことを別に一本書くつもりでいたからである。彼の『文芸の話』はアメリカに見られる文学の大衆化から始まり、それが日本の大衆文学やプロレタリア文学にも投影されていると見なし、それからら外国文学の紹介と分析に入っていく。このような同書の背景にあるのは、昭和円本時代に刊行された新潮社の『世界文学全集』に代表される夥しい外国文学の翻訳であり、この他に『近代劇大系』(近代社)、『世界戯曲全集』(同前)、『新興文学全集』(平凡社)、『近代劇全集』(第一書房)所収の作品がテキストとして多面的に言及されている。
f:id:OdaMitsuo:20190208103920j:plain:h115(『文芸の話』) f:id:OdaMitsuo:20190208103344j:plain:h113(『世界文学全集』)(『近代劇大系』)
(『世界戯曲全集』)f:id:OdaMitsuo:20190208102944j:plain:h115(『新興文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20190208105436p:plain:h120(『近代劇全集』)

 だがここで取り上げたいのは同書ではなく、土岐がやはり同年の昭和四年に改造社から刊行した『外遊心境』で、これも例によって、浜松の時代舎で購入した一冊である。まず特筆したいのは、同書が恩地孝=孝四郎の装幀による升型本で、本体カバーを取ると、円本時代の大量生産、大量販売のイメージとはまったく異なるシックな佇まいの造本が姿を現わす仕掛けになっている。円本時代の先駆けだった改造社にしても、出版物の装丁は印象に残るものが少なかったけれど、『外遊心境』は例外というべきなのであろうか。それを確認する意味においても、改造社の全出版目録もないことが惜しまれる
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 このような装丁にふさわしく、用紙は上質で、写真も多く収録され、タイトルに見合った遊び心が伝わってくる。土岐は昭和二年の春に朝日新聞社特派員として、ジュネーブの世界海軍軍縮会議を取材し、その後ダンチヒでのエスペラント万国大会にも出席し、欧米各地を巡遊し、暮に帰国している。その「外遊」を『週刊アサヒグラフ』に連載したものがベースとなり、『外遊心境』の上梓へと至ったのである。それゆえにふんだんに写真を配したレイアウトは連載の形式を踏襲しているのだろう。
 「序」を寄せているのは、これもまた本連載650の杉村楚人冠で、自分も朝日新聞社から海外に派遣されたことがあるが、いつも急ぎの用事ばかりで、すぐ帰らされたと述べ、次のように書いている。

 かういふ旅ばかりさせられた自分につて、土岐善麿がいろゝゝと、そこら中すいたところを歩きまはつて、帰つて又いろゝゝと外遊心境などを書いてゐるのは、いまゝゝしくも羨ましい至である。その心境を集めて書物にするから、その序文を書けなどいはるゝに至つては、羨ましくもいまゝゝしい次第である。何が序文だ。馬鹿。

 そしてさらに続けて、「おれは用のある時だけしか用に立たない男」で、「おれは到底一個の走り使ひ」に過ぎないが、「土岐はえらい」、「かれの顔つきから物ごし恰好、手ぶり身ぶり、すること為すこと、ことごとく神韻縹渺たらざるはない」し、「用のないところにその用を見出し得る人である」と評している。

 この楚人冠の親近感と敬愛がこめられた土岐評は、「行く先々の土地の人々の心にひたゝゝと触れて、旅らしからぬ旅ごゝちを味はひ来つた心の旅行記」である『外遊心境』にそのまま当てはまるものだ。たとえば、「用のないところに用を見出し得る」例として、ただちに「国際雛」や「紙ナイフ」=ペーパーナイフの章を挙げることができよう。これらは各国の国際雛と紙ナイフを蒐集し、それらの写真を掲載し、後者の場合は同じ「朝日常識講座」と「明治大正史」の著者である柳田国男から、おもしろいので五百本集めるようにといわれ、実際に柳田も二本寄付してくれたエピソードを添えている。その写真も示され、一本は小山内薫のロシアみやげ、もう一本は柳田が香港で購入したものだ。またそれらと同様の章として、やはり実物を添えたホテルの札に関する「かばんの話」も興味深く、現在ではかばんにそれを貼るのはあまりはやらなくなったらしいと述べている。とすれば、はやったのは一九一〇年代までだったのかもしれない。

 また「跋」を寄せているのは本連載337の写真家の福原信三で、何年か前に土岐と知り合った頃、彼は写真機を手にしていなかったけれど、大正十年頃に素人写真ブームが起きていたことを語っている。それが「写真界、就中クロウトと目された営業写真家に与へた影響は驚くべきもの」で、土岐が欧米漫遊に出かけ、多くの写真作品を提出したことはそれに似ていると述べ、「実際に写真のシロウトである君が、こんな見事な大きい土産を持つて来て来れるとは夢にも思はなかつた」と評している。『外遊心境』の写真を文章と同様に楽しんできた私にしても、それは同感で、おそらく同時代的に見れば、そのインパクトはさらに強かったであろうと思う。

 それに加えて異色なのは、松本清彦によるエスペラント語の要約が付されていることであり、『外遊心境』の出版を通じて、土岐は新聞記者や歌人と異なる新たな姿や資質を提出したことになるのかもしれない。


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