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古本夜話948 シーブルック、ミシェル・レリス、ドゴン族

 これは別のところで書くつもりでいたけれど、マルセル・モースやその時代、及び前回の山田吉彦のモロッコ行とも密接にリンクしているので、ここに挿入しておく。

 前回、フランス人類学の記念すべき始まりとしての西アフリカのダカール・ジプチ調査団の出発にふれた。それは一九三一年におけるモースの高弟のマルセル・グリオールを団長、ミシェル・レリスを書記兼文書係とするものだった。その調査はグリオールの『水の神』(坂井信三、竹沢尚一郎訳)、『青い狐』(坂井信三訳、いずれもせりか書房)などのドゴン族研究、レリスの日記『幻のアフリカ』(岡谷公二他訳、平凡社ライブラリー)へと結実し、私などはこれらを勝手に「ドゴン族三部作」と称んでいた。

水の神 f:id:OdaMitsuo:20190902235915j:plain:h110 幻のアフリカ

 しかし今世紀に入って、真島一郎「ヤフバ・ハベ幻想―シーブルックと『ドキュマン』期のレリス」、さらに真島訳のレリス「《死せる頭》あるいは錬金術師の女」(いずれも鈴木雅雄、真島編『文化解体の想像力』所収、人文書院)を読むに及んで、そこにレリスを通じて、一人の「パリのアメリカ人」が介在していたことを教えられた。その人物について、真島は次のように記している。
文化解体の想像力

 ウィリアム・シーブルック(一八八六-一九四五年)は、一九二八年の『アラビアの冒険』以来、現地での体験取材を売り物に非西洋世界のさまざまな密儀集団をセンセーショナルな筆致で欧米諸国の大衆に喧伝したアメリカ人ルポライターである。彼が活躍した一九二〇~三〇年代といえば、英仏の海外領土では植民地統治のシステムがほぼ確立し、民族誌家をふくむ一握りの西洋人旅行社の身柄もそこで最低限の保証を受けていた時期である。味気ない体裁をまもる民族誌家のモノグラフィーでは満たされず、さりとて自ら現地を訪れることもかなわなかった本国大衆の好奇心を満たすうえで、多少の文才とアウトサイダーの気質をそなえたこの秘境ルポライターの成功は、時代があらかじめ約束したものだったのかもしれない。

 なかでも彼がアメリカ軍政下のハイチを訪れ、そこで目撃したヴードゥー教やゾンビ信仰の「密儀の実態」を虚実おりまぜ扇情的にえがいた二九年の『魔術の島』は、当時の記録的なベストセラーとなった。(中略)彼は一九三〇年まで大西洋の両側で一躍、秘境探検ジャーナリズムの寵児となっていた。

 『魔術の島』の仏訳版も二九年に出され、その「序文」を書いたのは本連載815のポール・モーランである。そしてやはり同年に創刊された『ドキュマン』において、ジョルジュ・バタイユが「屠場」(『ドキュマン』所収、江澤健一郎訳、河出文庫)で、現在の生には「供犠の血がカクテルに混ざっていない」というシーブルックの『魔術の島』の一節を引用している。その注によって仏語版はフィルマン=ディド社から刊行されたとわかる。さらにレリスも『ドキュマン』にシーブルックのハイチでの「現地スナップ」を掲載し、『魔術の島』の書評を寄せ、「ヴードゥーの秘儀を伝授された初の白人」による貴重なルポルタージュと絶賛しているという。その「現地スナップ」は真島も転載しているので、そこにヴードゥーのイニシエーションのしるしである額に血の十字を記したシーブルックのポートレートを見ることができる。

ドキュマン(『ドキュマン』)

 『魔術の島』の仏訳版は入手していないが、原書の復刊 The Magic Island (Dover,2016)は手元にあり、何とその序文はジョージ・A・ロメロがしたためているのだ。彼はいうまでもなく、あの映画「ゾンビ」三部作である『ナイト・オブ・リビング・デッドゾンビの誕生』『ゾンビ』『死霊のえじき』の監督に他ならない。ロメロは、同書の「…Dead Men Working in the Cane Fields」というわずか十二ページの一章からゾンビが召喚され、大衆文化のスターに躍り出て、数年後にはブロードウェイの劇や映画にもなりフランケンシュタイン、ドラキュラ、狼男にも匹敵する存在に至ったと指摘している。そのゾンビを集大成したのがロメロということになろう。その序文ではふれられていないが、巻末にはまた十六ページに及ぶヴードゥーの血の儀式などの写真が掲載され、先の「現代スナップ」はないけれど、バタイユやレリスに感慨を催させたことは想像に難くない。
The Magic Island  ゾンビ 死霊のえじき

 その一方で、これも真島によるが、シーブルックは西アフリカに取材旅行に出かけ、それを終えた後、アメリカに戻らず、パリに滞在し、レリスと初めて出会い、意気投合したという。それだけでなく、シーブルックは三一年にフランス領西アフリカ探検記『密林のしきたり』の英語版とフランス語版を続けて出版する。それ以前にレリスは」『ドキュマン』に「民族誌学者の眼―ダカール=ジプリ調査団について」という一文を発表している。それはシーブルックが現地で撮った写真を転載したものだ。これらも真島が掲載しているが、その中にはこれも英語版の復刊 Jungle Ways (Ishi Press,2017)に収録されていない写真もある。恐らくレリスはシーブルックから英語版に収録された三十二枚の写真を見せられていたのは確実で、それによってレリスのドゴン族のイメージ、いやレリスたちでなく、グリオールのフランス領西アフリカの民族のイメージも事前にインプットされたのではないだろうか。

Jungle Ways

 だがそこには真島がいうように、レリスたちにとって「シーブルックが自らの筆力で懸命に仕立てあげようとした幻のアフリカと幻でないアフリカ」、彼の「秘境ルポタージュ」が必然的に伴ってしまう「そのパロディを通じて確実に現前してくるであろう、驚異の蛮族、ドゴン」という「きしみ」が生じるであろう。シーブルックは『密林のしきたり』で写真を示し、サンガの呪物保管者の長老オガテンビリ=Ogatembili に言及している。そのことに関して、真島は『水の神』の主人公といっていいドゴン族のインフォーマントである盲目の長老オゴテンメリ=Ogotemmêli が、「よもや同一人物でないことをここで私たちは祈るばかりである」と「註」に記している。

 ここであらためて、レリスの『幻のアフリカ』に目を通すと、三二年三月二十二日のところに、次のような記述が見出される。シーブルックの献呈本『密林のしきたり』はその前月に届いていたようだ。

 シーブルックの本を再読。いちいち考え合わせるとそんなに悪くない。不正確な記述(誤謬、脱落または粉飾)はやたら多いが、それを本物のユーモアが補っている。作品は、全体としてかなり奔放な面白みがあり、コートディヴォワール(僕の知らない地方)を扱った部分は説得力をもっているようだ。とにかく僕は、一行の唯一の蔵書であるこの本を楽しく読んだ……

 このレリスの再読感、「作品」と述べていることからすれば、彼はすでにシーブルックの「幻のアフリカ」から目覚めていたことになるのだろうか。なおここでも「解説―秘密という幻、女という幻―他とあることの民族学」を寄せているのは真島であることを付記しておく。


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