続けて二回にわたり、新潮社の『日本詩集』を取り巻いていた詩のリトルマガジンに言及しておいた。そこで挙げてこなかったが、やはり同様の『詩神』があって、復刻ではない実物の昭和五年二、四、五、七、八月号の合本を所持している。いずれも『詩神』を示す表裏紙はなく、合本とするために外されたのであろうが、その代わりに合本にはカバーがつき、『現代詩選集』というタイトルが四センチほどの厚い束のある背と表紙に付され、また表紙には執筆者たち三十人以上に及ぶ名前が掲載され、まったく同じ形式の機械箱に入っているが、出版社名は見当らない。月遅れ雑誌などの合本はしばしば見かけることはあっても、詩のリトルマガジンの、このような箱入合本を目にすることは少ない。値段も記されていないことからすれば、おそらく古本屋ルート以外の夜店などでも売られていたと考えられる。もちろん私の場合は数年前に古本屋で求めたものである。
幸いにして、この『詩神』は『日本近代文学大事典』で立項されているので、それを引いておこう。
「詩神」ししん 詩雑誌。大正一四・九~昭和六・一〇まで確認。編集発行人田中清一。聚芳閣、詩神社発行。創刊号に田中清一は「外国人等或は日本詩人の研究は勿論のこと所謂詩、叙事詩、散文詩、詩劇等、詩の全分野に就いての発表機関として『詩神』を立派に生長さしてみたく思つてゐる」「この雑誌に書いて頂く人は一人一人どんな主義なり思想なり異つてゐやうとそれは全然問題外だ」と書いているが、田中の主宰のもとに、福田正夫、清水暉吉、宮崎孝政がつぎつぎと編集に参加して、詩壇の公器としての性格を持つ雑誌になった。ページ数ははじめ五〇ページ前後で、しだいにふえた。詩、評論、紹介、翻訳、書評など、多彩な記事を載せ、(中略)当時の有力詩人の多くが顔を見せている。
多くの詩人がよった『日本詩集』の最終巻大正十三年版が出されるのは同年四月である。『詩神』の大正十四年の創刊から考えると、その年間アンソロジーは詩集と詩話会解散を受けて企画されたために、多くの詩人たちが広範に集う詩誌となったのかもしれない。
ただ主催者の田中清一は『日本詩集』の消息欄に名前は見られても、詩の収録はなく、また『日本近代文学大事典』のなどでも立項されていない。しかし最初の『詩神』の発行所が聚芳閣だったことからすれば、その編集者、もしくはそれに関係する詩人だとも推測できる。ちょうど『詩神』の創刊前の大正十三年には井伏鱒二も聚芳閣に勤めていた。大正時代の文芸書出版社についても少しふれておくと、聚芳閣の経営者の足立欽一は徳田秋声の弟子にして劇作家、また徳田の『仮装人物』のモデルでもあり、私も彼について、「聚英閣と聚芳閣」「足立欽一と山田順子」(『古本屋散策』所収)などを書いている。
さて田中清一に戻ると、田中は『詩神』に詩を発表しているが、例えば「とほくひろがる大空の、/こころ、/知つているか。」(「大空」、『詩神』昭和四年二月号所収)といった直喩的な表現による詩であって、失礼ながら凡庸な詩人のイメージが強く感じられる。それゆえにこそ「詩壇の公器」的『詩神』をかなり長く主宰し、発行することができたのかもしれない。しかし田中の詩集も出されていないようで、「近業二著」として、『馬糞と星』『生命の盃』の広告、あるいは詩劇集『恋の黄昏』の書評も掲載されている。
(『馬糞と星』)
この田中の著書の掲載と関連するのだが、『詩神』で最も興味深いのは、同時代の所謂詩壇を取り巻いていたと見なせる出版社とその刊行物の存在であり、まさに昭和四年の詩をめぐる出版物が一堂に会しているようにも思われるので、それらの主なものを拾ってみよう。左が出版社で、右が刊行書である。
素人社 | 目次緋紗子『詩集風貌』 |
秀芳閣 | 現代民謡詩人連盟編『年間現代新民謡選集』 |
泰文館書店 | 松村又一編『古今民謡選抄』、白鳥省吾『白鳥省吾民謡集』、中村孝助『農民小唄』 |
森林社 | 宮崎政孝『風』、杉江重英『夢の中の街』、瀬川重禮『煙れる心臓』、大黒貞勝『午後三時』『懶惰の時計』 |
資文堂書店 | 高島華宵『華宵相吟詩画集』『華宵抒情画集』第一、二輯/福田正夫『自由詩講座』 |
杉山書店発売、 白色哀歓社発行 |
山路英世『詩集遷り行く跫音』 |
厚生閣書店 | 百田宗治『新しい詩の解釈とつくり方』『児童自由詩の鑑賞』、『詩と詩論』第一、三、四冊、上田敏雄『仮説の運動』、北園克衛『白のアルバム』 |
新潮社 | 福田正夫『高原の処女』に始まる「長編叙事詩」十作 |
木星社書院 | 千家元麿『昔の家』、荻原守衛『生命の芸術』 |
高松書店発売、宣言社発行 | 月刊詩文雑誌『宣言』 |
これらの『詩神』に掲載された出版広告も詩話会と『日本詩集』における「民衆詩派」と「芸術派」の混在を示しているが、どちらかといえば、福田正夫、百田宗治、白鳥省吾などの名前と著者からすれば、詩神社も「民衆詩派」とそれを刊行する出版社の近傍にあったように思える。しかし「民衆詩派」と密接な関係にあった民謡、自由詩、児童詩がこれらの出版広告に見られるように、「民衆詩派」の詩人たちが積極的に歌謡曲や軍歌の世界にも進出していくことを告げていたのではないだろうか。
そしてその回路はいまだ明確な見取図を描けないでいるが、実用書、赤本、児童書出版の世界と深く結びついていたはずである。これらの問題も本連載で後にふれることになろう。
『現代詩選集』に合本化された『詩神』の多様にして多彩な詩人たちの寄稿はそれぞれ興味深いが、これらへの言及はまたの機会にゆずることにしよう。
[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら