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古本夜話1033 中山昌樹『ダンテ神曲物語』

 前回はふれられなかったが、北川冬彦は『現代訳 神曲地獄篇』のために参照した先行翻訳として、次の三冊を挙げている。
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山川丙三郎 「地獄」 (岩波版)
中山昌樹 「地獄篇」 (洛陽堂版)
生田長江 「地獄篇」 (新潮社版)

f:id:OdaMitsuo:20200516170408j:plain:h120(山川丙三郎訳)

 この際だから、国立国会図書館編『明治・大正・昭和翻訳文学目録』(風間書房)のダンテの項を確認してみると、山川や中山訳は大正時代、生田訳は昭和初期だとわかる。また大正時代には『近代出版史探索Ⅲ』526の新生堂の中山訳『ダンテ全集』は未完に終わったようだが、四冊刊行され、それもあってか、中山とダンテの翻訳が突出している。そこで『日本近代文学大事典』における中山の立項を引いてみる。

中山昌樹 なかやままさき 明治一九・四・一〇~昭和一九・四・二(1886~1944)宗教家、翻訳家。金沢市生れ。明治四三年六月、明治学院神学部卒。賀川豊彦とは同期の友人大正八年八月まで奉天、京都、東京で伝道生活。以後母校明治学院の講師。大正一一年より教授。『文芸復興の三大芸術家』(大四)、ダンテ『神曲』地獄篇、煉獄篇、天国篇、三巻(大六・一、洛陽堂)にはじまり、独力で『ダンテ全集』一二巻(大一三~一四、新教出版)の翻訳を完成。そのほかカルヴァン『キリスト教綱要』(昭和九~一四)の全訳など。

 ここでは『ダンテ全集』完成とあるが、念のために、書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』(八木書店)を見てみると、『ダンテ全集』は新生堂から十冊が刊行とされている。私も未見なので、断言はできないにしても、立項の新教出版は間違いで、やはり新生堂のように思われる。
全集叢書総覧新訂版 f:id:OdaMitsuo:20200515115614j:plain:h120 (『神曲』煉獄篇、新生堂版)

 それはともかく、この立項には見えていない中山のダンテ本が手元にあり、『ダンテ神曲物語』と題され、大正十三年初版で、私が入手しているのは昭和四年第三版である。版元は『近代出版史探索Ⅱ』228の婦人之友社で、同社編「世界文学物語叢書」第一篇として出され、巻末広告によれば、第二篇も同じく中山の『ミルトン失楽園物語』、第三篇は米川正夫の『カラマーゾフの兄弟』が続いている。この「叢書」はその後も続いたのかは不明だけれど、先行するそれぞれの外国文学者と翻訳に関わる入門書、もしくは啓蒙書として刊行されたのであろう。そのことから考えれば、『婦人之友』に連載と推測されるし、それゆえに婦人之友社編となっているのではないだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20200513144421j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20200516111218j:plain:h120 近代出版史探索Ⅱ

 そうした事情も反映してか、『ダンテ神曲物語』と題されているものの、ダンテの抒情詩人としての生涯、及びベアトリチェとの恋愛などにも多くのページが割かれ、さらに中山とダンテの出会いと社会状況も言及され、それは明治末期の神学生の位相を物語っているようで興味深い。中山は記している。

 私が明治学院の神学部に入学したのは恰度日露戦争の最中であつた。戦争後日本の思想界がまた一般社会が、大なる変動をうけたころ、私達わかき者の頭脳を甚だしく動揺せしめずに措かなかつた、仏蘭西文学、露西亜文学等、謂ゆる大陸文が圧倒的な勢ひをもつて日本に押し寄せてきた。ツルゲニエフの「その前夜」や「煙」を読んでどんなに私達は感激したことであつたらう。断食してまでも食費を節しイプセンの「ブランド」を買つて来て耽読していた友人もあつた。同級にゐた加藤一夫氏のごときは夙くよりトルストイに共鳴し、その信仰と生活とに根本的な変化をうけた。賀川豊彦氏のごときは菜食主義を実行し、非戦論を実行し、無抵抗主義を唱道して、神学生たちから鉄拳制裁をうけた。神とか霊魂とか、人生とか、信仰とか、さういふことを厭でも応でも考へることが仕事であつた私達神学生は、人一倍つよくこれらの思潮の渦巻に動かされざるを得なかつた。

  ここに書かれているのは、明治半ばの丸善二階の洋書売場の風景が、その末になっても続いていたことである。拙稿「尾崎紅葉と丸善」(『書店の近代』所収)で田山花袋の『東京の三十年』を引き、ツルゲーネフやトルストイの洋書を、なけなしの金をはたいて買っていく青年たちの姿を描いておいたけれど、中山の証言はそれが明治を通じて変わらぬ読書をめぐる物語であり続けたことを伝えていよう。
書店の近代 東京の三十年

 それが中山の場合、ダンテだったのであり、彼はロングフェローの英訳で『神曲』を読み始めたと述べ、その冒頭の句を引くのである「人生の旅路なかばに/正しき路をうしなひわが身の/くらきはやしのうちにゐるのを見た。」そうして中山はダンテを「人類の芸術と、宗教と、政治と、生活と、文化とを、永久に正しきに導きゆく真の星」として、その世界へと深く降りていったのである。

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