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古本夜話1034 三浦逸雄と『伊太利語辞典』

 ダンテの『神曲』が続いたこともあり、もう一人の『神曲』の翻訳者にもふれないわけにはいかないだろう。しかもそれは本連載1016で『ユリシイズ』翻訳において謝辞を掲げられていた人物で、しかも第一書房の『セルパン』編集長の三浦逸雄によるものだからだ。これも幸いにして、『日本近代文学大事典』に立項を見出せるので、まずは引いてみる。
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 三浦逸雄 みうらはやお 明治三二・二・一五~平成三(1899~1991)イタリア文学者。高知市の生れ。東京外語大卒。「セルパン」に『神曲』抄訳等を発表。同誌編集長となる。同人誌「翰林」にも参加。のち新潮社顧問を経て、日本大学で講師、宣伝科主任を歴任、研究書に『クローチェの研究』、翻訳にパピーニ『二十四の脳髄』『行詰まれる男』、ジェンティーレ『純粋行為としての精神』、ダンテ『神曲』などがある。三浦朱門の父。

 この三浦の『神曲』のほうは近年角川文庫化されているし、そちらにあたってほしいのでここでは言及しない。それよりも、彼が翻訳のために使用したイタリア語の辞典を取り上げてみたい。その辞典に関する証言者も三浦に他ならないからだ。彼は「第一書房のころ」(『第一書房長谷川巳之吉』所収)で書いている。
神曲(角川文庫版)第一書房長谷川巳之吉

 これはあまり知られていないことだが、わが国で最初のイタリア語の辞書が第一書房から出ている。昭和十一年(一九三六年)刊行の井上静一編『伊太利語辞典』 である。大田黒元雄さんが第一書房に持ち込んだもので、カードに書きこまれた原稿が行李にいっぱい詰まっていた。ミラノの領事をしていた井上さんの書きためた苦心の作であったが、いいあんばいに私が東京外語のイタリア語科出身で校正などするのに不都合がないので、ともかく小さなイタリア語の辞書として出版した(三九判、一、〇一三ページ、定価二円五十銭)。どれだけ出たか知らないが、初版は五百部くらいだったと思う。これをつくることは、イタリア語専攻の学生が十人いるかいないかの時代だったから、むろん商売として損をしないで出版できるようなものでなかった。どれだけ世間のお役に立ったか知らないが、私はその後いろんな人からお礼をいわれたし、これがきっかけになって長谷川さんもイタリア政府から勲章をもらったりした。

 この「小さなイタリア語の辞書」=『伊太利語辞典』が手元にある。ただそれは三浦が語っている昭和十一年版ではなく、十七年の増補版で、判型は三九判=菊半截判のままだが、四四ページの「略語表」が付され、定価は値上げされ、三円五十銭となっている。しかし奥付に第一刷は五千部としるされ、わずか六、七年の間に「五百部くらい」しかなかったイタリア語をめぐる日本の需要環境が急激に変化したことを物語っていよう。それは十五年における日独伊三国同盟の成立も作用しているはずだし、増補版の第一刷部数にしても、一定の部数は外務省を始めとする公官庁や軍部の買い上げが約束されていたにちがいない。それでなければ、五千部という部数は成立しなかったと考えられる。

 それらの事情に関して、「略語表の増補について」が次のように述べている。第一書房が本邦最初の『伊太利語辞典』を刊行して以来、「日伊両国間の親善関係、伊太利国に対する朝野の関心は誠に隔世の感があり、この趨勢に付随する伊太利語の研究の盛大さも亦驚嘆に値するものがある」と。またこの「増補」が外務省駐伊日本大使館付の篤学の士、吉浦盛純の手になることも付記されている。

 そしてあらためて、この『伊太利語辞典』を繰ってみると、長谷川巳之吉の名前で「刊行者の序」が巻頭に置かれている。そこには「これが組版にかかりし昭和七年秋より完成を見るまで四ヶ年半の日子を閲した」とあり、本邦の最初の伊和事典の著者の井上が「遂に本辞典の完成を見ずして突如逝去されたこと」で、これが「著者唯一の遺著として遺さるる」とも記されている。それで「増補」を吉浦が担ったとわかる。

 その次には三浦逸雄による「校訂者の序」も続き、この辞典が「大体においてギヤルニエ版の伊語小辞典に準拠して編纂せられたもの」と推測されると述べている。そして著者の井上が長年にわたり、標準正音を有するミラノに在住していたことから、この辞典の特色として、現地収録の語彙、しかも民俗的、慣習的な改訂が加えられ、ギヤルニエ版に生活化したイタリア語を導入したという意味において、「辞典編纂上での新しい試み」として推賞すべきだとも記している。

 私はイタリア語を解する者ではないけれど、これを繰っていると、その洋語の組版のイメージが共通している印象を覚え、大正時代に白水社から刊行された、やはり本邦最初といっていい『模範仏和大辞典』を想起してしまう。こちらは拙稿「白水社『模範仏和大事典』と仏文学者」(『古本屋散策』所収)で既述しているので、よろしければ参照されたい。それらの印象の共通性は、本邦初の外国語辞典編纂の試行錯誤をも伝えているのだろう。
古本屋散策

 なお佃実夫、稲村徹元編『辞典の辞典』(文和書房)によれば、昭和十三年には吉田弥邦、藤堂高紹共著として、『伊日辞典』(伊日辞典刊行会)が出されているようだが、それは未見である。また吉田は三浦が「校訂者の序」で、謝辞を捧げている東京外語学校教授であることを付記しておく。

辞典の辞典


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