出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1058 新潮社『昭和長篇小説全集』と三上於菟吉『街の暴風』

 続けて前々回挙げた『昭和長篇小説全集』も取り上げておこう。まずそのラインナップを示す。

1  菊池寛  『日像月像』
2  白井喬二 『伊達事変』
3  三上於菟吉 『街の暴風』
4  吉川英治 『松のや露八』
5  久米正雄 『男の掟』
6  中村武羅夫 『薔薇色の道』
7  吉屋信子 『一つの肖像』
8  長谷川伸 『道中女仁義』
9  加藤武雄 『三つの真珠』
10  野村胡堂 『万五郎青春記』
11  佐藤紅緑 『絹の泥靴』
12  小島政二郎 『花咲く樹』
13  佐々木邦 『勝ち運負け運』
14  子母澤寛 『突つかけ侍』
15  大佛次郎 『薩摩飛脚』
16  牧逸馬 『大いなる朝』

 f:id:OdaMitsuo:20200719113543j:plain:h110 (第四巻『松のや露八』)

 この全集は古本屋で大揃いを見たこともないし、どうも僅少本に属するようで、「日本の古本屋」でも高い古書価になっている。その理由は私の手元にある一冊からもうかがうことができる。それはその三上於菟吉の『町の暴風』だが、函無しの非常に疲れた一冊で、よく読まれた痕跡が残されている。しかも背に表紙にも『昭和長篇小説全集』とは銘打たれず、それは奥付も同様で、その裏の5の久米正雄『男の掟』の次回配本予告に見えているだけである。

 つまりこの事実は『昭和長篇小説全集』が『新潮社四十年』のいう「所謂通俗小説」のコンセプトに加え、全集というよりも単行本として流通販売されたことを物語っていよう。それに「予定定価一冊・一円二十銭」とあるものの、刊行は昭和九年で、もはや円本時代は終わってもいた。これらの事実はこの全集が大衆文学の単行本と同様にして読まれ、そのことで美本も少なく、古書価も高くなっているのだろう。

 前置きが長くなってしまったが、三上の『街の暴風』にふれてみる。三上に関しては、すでに「夫婦で出版を」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収)や『近代出版史探索Ⅲ』402、435などで、流行作家、翻訳者、出版者のそれぞれに言及し、また長谷川時雨の『女人芸術』のスポンサーだったことも既述しておいた。それでも三上の小説を読むのは久し振りだったけれど、あらためて彼がストーリーテラーであることを確認させられた。『街の暴風』はどこに連載されたのかは不明だが、この刊行時の昭和九年には『朝日新聞』で『雪之丞変化』の連載が始まろうとしていたし、三上の晩年の秀作に位置づけられるかもしれない。そのストーリーを紹介してみる。
文庫、新書の海を泳ぐ 近代出版史探索Ⅲ

 『街の暴風』の主人公山高一郎は円タクの運転手で、深夜の東京を走っていた。彼は二十四歳で、十九歳の弟の二郎とアパート暮らしだった。郷里は埼玉の田舎町だったが、父親が政治道楽で十代続いた家を潰した後、発狂自殺し、母親も続いて病死してしまった。それゆえに中学を卒業するのがやっとで、牛込の工業学校に通わせていた弟だけは世の中に立派に送り出してやりたいというのが兄の望みだった。

 一郎は浜松町のガレージに帰ろうとしていたのだが、山下河岸にさしかかると、横町から黒い影が飛び出し、車を止まらせた。それはステッキを持った青年で、赤坂の待合の山花にいけといい、「すばらしいネタ」を拾ったと上機嫌だった。彼は帝都毎日の社会部にあり、カフェで実業家の梁田と良政会の庫持が密会中との話をつかんだのだ。それを聞き、一郎は激しい憎悪が燃え上がった。良政会は父親が属していた政党で、庫持こそは父親をして全財産を吐き出させ、ついには一家を破産させながら、脱党さえも勧告した張本人だった。その庫持が大財閥の懐刀である梁田と密会し、待合政治に臨んでいるのであり、一郎はそのために山高家の資産の大部分が失われたことを思い出していた。

 記者はカメラを持ち、山花に入っていったが、一郎はその門前に車を止め、彼の帰りを待っていた。すると山花の玄関がざわめき、一人の老紳士が出てきて、自家用車に向かった。そこに刃物を持った凶漢が殺到したのだった。それを見て、一郎は手近にあったネヂ回しをつかみ、車外に飛び出し、老紳士を追いかける凶漢の後頭部に一撃を喰らわした。凶漢は形成不利と見てとり、新道へと逃げていった。

 老紳士は梁田と名乗り、礼をいいながら、明日氷川町の屋敷にくるようにと一郎に伝えた。一郎は思う。

 ――見ろ! あの大財閥のふところ刀、実業界の古むじな、千万分限の梁田正造が、この僕に、何度となく有難うを繰り返したのだぞ! どのやうな権力よりも、もつ魔力があると信じられてゐる黄金魔が、このタキシイの運転手に、心から礼を言つたのだ。僕はあの老人に十分恩をきせてやつた。十中八句、いのちを奪られるか、それとも重傷を負うかの瀬戸際に、しかも政界のばけ物と密会してゐた待合の門口で、この僕が凶刃から助けてやつたのだ。

 このようにして、『街の暴風』という物語の導火線に火がつけられ、兄弟の周辺のすべての人々を巻きこみながら、展開されていくのである。イントロダクションだけで終ってしまったが、ご容赦願いたい。


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら