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古本夜話1061 『新選名作集』と『新選前田河広一郎集』

 昭和時代に入ってからの新潮社のいくつかの文学全集を見てきたが、ライバル視されていた改造社のほうはどうだったのだろうか。ただ新潮社と異なり、改造社は社史も全出版目録も刊行していないので、これまでそれらをたどってこなかった。だが最近になって、とんぼ書林から、昭和十四年の『改造社図書総目録』を入手したので、円本以後を見てみたい。

 改造社は『現代日本文学全集』に続いて、昭和三年から『新選名作集』の刊行を始めている。これは『日本近代文学大事典』に解題と明細が見出され、四六判、紙装、定価一円として、次のような解題がある。
  f:id:OdaMitsuo:20200413114445j:plain:h110(『現代日本文学全集』)

 改造社の(円本)の姉妹出版として企画されたもの。定価も一円。したがって「円本」の一種とみてよい。しかし改造社の円本に入らなかった作品が多く採られているのが特色。八ポ、二段組み、六〇〇ページ前後、したがってきわめて多くの作品が入っている。ここでは個人全集その他が不十分で、意味ありと思える作家の目次のみを挙げておく。『前田河広一郎集』や『相馬泰三集』などは彼らの作品のほとんどがここに挿入されていて便利。(後略)

 この全四十五巻を数える『新選名作集』明細にはナンバーは振られておらず、また『菊池寛集(続篇)』は未確認を示す★印が付せられている。先の『改造社図書総目録』で確認すると、品切だが、刊行とある。これらは昭和三年に十九冊、四年に十三冊、五年に九冊、六年に二冊、七年に二冊という全集らしからぬ不定期刊行に起因しているのだろう。

 そういえば、この『新選名作集』はこれだけの巻数が出ているにもかかわらず、古本屋でもほとんど目にすることがなく、私にしてもその一冊を入手しているだけだ。それは先の解題にも挙げられていた『新選前田河広一郎集』で、奥付記載は昭和三年三月十六版で、それなりに売れていたと推測できよう。またこの巻は先のリストで収録作品が明示されていたことからわかるように、この時点での個人全集の色彩も強かったと思われる。

 それだけでなく、あらためて確認させられたのは、『現代日本文学全集』において、前田河、岸田国士、横光利一、葉山嘉樹、片岡鉄兵からなる第五十編の『新興文学集』の刊行は昭和四年十月であり、『新選名作集』は円本の『現代日本文学全集』とパラレルに出版されていて、まさに先の解題がいうように「姉妹出版」だったことになる。昭和初期にあって、この五人の組み合わせと彼らが「新興文学者」と見なされていたことも意外であった。しかも彼らは全員が『新選名作集』にも召喚され、前田河にいたっては、『続篇』まで編まれ、それは先の菊池と吉田絃二郎だけなのだ。
f:id:OdaMitsuo:20200721104549j:plain:h120(『新興文学集』)

 前田河には『近代出版史探索Ⅳ』783でふれているけれど、彼のこの時代のポジションを見てみよう。『日本近代文学大事典』の前田河の立項や、紅野敏郎編「前田河広一郎年譜」(『現代日本文学大系』59所収、筑摩書房)を参照すると、前田河は十三年間に及ぶアメリカ生活を打ち切り、大正九年に帰国している。翌年に編集に加わった総合雑誌『中外』に、「三等船客」を発表し、十一年に第一創作集『三等船客』、十二年に『赤い馬車』を、いずれも自然社から刊行する。これらの短編集は未見で、自然社のプロフィルも定かではないが、この版元は新井紀一『燃ゆる反抗』、中西伊之助『死刑囚と其裁判長』、綿貫六助『霊肉を凝視めて』、十一谷義三郎『生物』、松本淳三詩集『二足獣の歌へる』などを出していたようだ。
現代日本文学大系(『現代日本文学大系』59)f:id:OdaMitsuo:20200721162857j:plain

 また十二年には『麵麭』(大阪毎日新聞社)、十三年には『最後に笑ふ者』(越山堂)、『快楽師の群』(聚芳閣)、アメリカ時代に材をとった長篇『大暴風雨時代』(新詩壇社)、『脅威』(新潮社)を続けて刊行する。前田河は帰国後、十二年に『種蒔く人』、十三年に『文芸戦線』のいずれも同人に加わり、プロレタリア文学の論客として、「ブルジョワ文壇」の菊池寛を否定する立場にあったことが、このような小出版社との関係に反映しているのだろう。これらのうちの聚芳閣のことは、拙稿「聚英閣と聚芳閣」(『古本屋散策』所収)で、越山堂については『近代出版史探索』174、『近代出版史探索Ⅱ』267でふれているが、自然社と新詩壇社に関しては不明である。

古本屋散策 近代出版史探索 近代出版史探索Ⅱ

 しかし昭和三年の『新選前田河広一郎集』の二冊に収録された六十編ほどの作品は、『大暴風雨時代』を除くこれらの短編集を出典とするもので、それらの版元は関東大震災前後の出版不況の中で、立ち行かなくなってしまったのではないだろうか。それゆえに作家デビューして、それほど長くない前田河が『新選名作集』で二冊を編むことができたと思われる。つまり改造社にとっても、著作権問題はクリアしていたことを意味していよう。

 ところで前田河の『三等船客』が、同じく船を舞台とする葉山嘉樹『海に生くる人々』(改造社)や小林多喜二『蟹工船』(戦旗社)に与えた影響を考えてみよう。大正十五年刊行の『海に生きる人々』の場合、自然社版『三等船客』を通してで、『新選名作集』は参照されていないけれど、昭和四年発表の『蟹工船』は大いにありうることだと思う。それに同じく『海に生くる人々』も収録の『新選葉山嘉樹集』も同時に発表されていたので、これらの「グランドホテル」ならぬ「グランドシップ」形式の先行する二作の影響が『蟹工船』の中へと流れ込んでいったのではないだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20200721162512j:plain:h110(『海に生くる人々』)蟹工船


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