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古本夜話1060 新潮社『日本文学大辞典』

 改造社の『現代日本文学全集』に先駆けされた新潮社の雪辱戦は、『現代長篇小説全集』や『昭和長篇小説全集』によって果たされたわけではなく、その文芸書出版の面子をかけた起死回生といっていい企画は、昭和七年の『日本文学大辞典』だったと思われる。『新潮社四十年』は「奉仕的大出版」として、そのことを問わず語りに述べている。

f:id:OdaMitsuo:20200413114445j:plain:h110(『現代日本文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20200716195213j:plain:h110 (『現代長篇小説全集』)f:id:OdaMitsuo:20200720113608j:plain:h110

 『日本文学大辞典』は我社四十年の歴史に於てその最も誇りとする大出版の一つである。帝大教授藤村作博士これが編輯を主宰し、各大学の教授をはじめとして在野の研究者のすべてを動員し、上古より現在に亙る日本文学、並にこれに相渉る諸項について周到正確の解説を施せるすべて三十六項、四六倍版四段組七号新活字を以てし、上中下三巻に補遺の一巻を併せて四巻。すべて三千五百頁の大著述である。着手せる昭和三年一月より完了せる昭和九年五月に至るまで日を費すこと将に六年有半。執筆者は百五十名に上つてゐる。予定の期限におくるゝこと二十ヶ月、予定の頁数を超えゆること一千頁、従つて編輯費の如きも予定に幾倍するの巨額に上つた。その内容の整備と、その体裁の高雅と、その製本の堅牢と、間然するところなき最上最大の出版として大いに世に迎へれはしたが、勿論、全然犠牲的の出版であつて、多大の損失を忍ばねばならなかつたし、出版までの佐藤社長の努力は、実に言語につくされないものがあつたことを、特筆せねばならぬ。

 実際に『新潮社四十年』所収の「出版おもひ出話」で、佐藤義亮は「『日本文学大辞典』だけは、どうしても一言せずにはゐられない」として、「どうしても国家に無ければならぬもので、而も人の容易にやらうとしない、全くの犠牲的出版」であり、自らも第一巻の校正に一年二ヵ月没頭したと述べている。

 『日本文学大辞典』の企画は藤村作の名前から推測されるように、文学研究アカデミズムの側から出され、各社に持ちこまれたが、「犠牲的の出版」であることは明らかなので、どこも断わったと思われる。それで最終的に新潮社が引き受けることになったのではないだろうか。新潮社は佐藤を始めとして、アカデミズムとの関係は深くなかったが、ここでアカデミズムに貸しをつくり、文芸書出版社としてのひとつの布石を打つという深謀遠慮もあったと考えられよう。

 この初版四巻本は昭和十一年に全七冊の分冊版が出され、戦後の「復興版」として、昭和二十四年から『増補改訂日本文学大辞典』全八巻が刊行に至っている。私が架蔵するのはこの「復興版」だが、藤村による昭和七年の「序」はそのまま再録され、先述した新潮社側の事情と照応する、当時のアカデミズム状況も示されている。そこで昭和における日本的にして国民的なる大創造が語られ、日本文学がその無比の宝庫であり、そのために日本文学辞典の必要性が提起される。
f:id:OdaMitsuo:20200721084156p:plain(『増補改訂日本文学大辞典』)

 まさに日本文学をベースとする昭和におけるベネディクト・アンダーソンがいうところの「想像の共同体」の創造が訴えられている。だがそのような質と量を兼備した辞典は西洋にもほとんどなく、世界の文化圏を通じてまだ完成を見ていない。それは「最近日本文学研究の隆盛は、実に空前のことである」にもかかわらず、日本でも同様なので、「日本文学辞典の刊行が最も望ましい」のだ。そこで東京帝国大学国語・国文学両研究室関係者に諮り、その実現をめざし、「新潮社長佐藤義亮氏に、出版に関する一切のことと、編纂に関する経営上の援助を求めてその快諾を得た」のである。

 さらに藤村は具体的に大学研究室のメンバーの名前も上げているので、それらも引いておこう。顧問は坪内逍遥、上田敏、編輯委員会幹部は橋本進吉、志田義秀、久松潜一、編纂事務主任は城戸甚次郎、その他の主要メンバーは池田亀鑑、笹野堅、岩淵悦太郎、島津久基、守随憲治、筧五百里、西下経一、筑土鈴寛である。

 それに加えて「執筆者氏名リスト」を見ると、興味深いのは大和時代から江戸時代文学までにおいて、多くがこれらの研究者たちに占められていることに対し、「明治・大正・昭和時代文学」は本連載でも言及している人たちの比重が高いことだ。その数は二百人ほどに及び、小説は中村武羅夫や加藤武雄、評論では木村毅や大宅壮一、新体詩は川路柳紅や河井酔茗、俳句は柴田宵曲、国学は森銑三、伝説・民謡は柳田国男、郷土舞踊は小寺融吉、仏教・仏教文学は三井晶史、琉球文学は伊波普猷、演劇は渥美清太郎や楠山正雄、雑誌は斎藤昌三となっている。

 これらの執筆メンバー人の構成から考えても、当初はアカデミズム中心の企画だったものが、新潮社の「佐藤義亮氏が、営利の立場を離れて翼賛協扶され、寝食を忘れ、細心の注意を以て尽力せられたこと」によって、アカデミズムと新潮社のアマルガム的辞典として仕上がったことになろう。

 佐藤によれば、「特別の厚意」をもってコラボレーションしたのは木村毅と柳田泉だったようで、この二人の寄り添いこそは『日本文学大辞典』が円本の総決算のような意味合いを含んでいたことを示唆していよう。


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