出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1080 酒井宇吉と『一誠堂古書籍目録』

 前回の水谷不倒の『明治大正古書価之研究』の背景にあるのは、明治二十年代における近代出版業界の誕生と成長による古典類の復活だった。それらを通じての近代古書業界も形成され、そうした動向は古書展覧会や古書販売目録に支えられ、大正九年の東京古書籍商組合の成立へと結びついていったことは明白である。

 また水谷がいうように、「古書価の黄金時代」のピークが「昭和二年の暮れ」あったとの証言は、「典籍の廃墟」(内田魯庵)をもたらした関東大震災から昭和円本時代のとば口にかけてで、出版業界が円本の企画のために古書を必要としていたこと、それに古書業界もコラボレーションしていたことを伝えていよう。内田のいう「典籍の廃墟」、拙稿「地震と図書館」(『図書館逍遥』所収)を参照されたい。また古書需要の詳細は浩瀚な『東京古書組合五十年史』をたどってほしいので、これ以上の贅言は慎み、ここでは古書販売目録にふれてみたい。

図書館逍遥
 それは『一誠堂古書籍目録』で、酒井宇吉を編集兼発行者として、大正十四年十一月に刊行されている。奥付には「実費五円五十銭」という赤字の判が打たれ、一誠堂書店の検印も押されていることからすれば、目録であると同時に、一巻の書物として出版されたことになろう。それを象徴するように、上製クロス装のブラウンの表紙には古代ギリシアかエジプトの壁画と思しきイラストが金の箔押しで描かれている。それは目録にある洋書の『古代美術史』『古代埃及風俗誌』『希臘古匋』などから引かれた図版だったのかもしれない。

 この『一誠堂古書籍目録』は菊判、七八二ページに及び、「叢書類及大部数書類之部」から始まり、「欧米原書類之部」までの三〇部門に分類され、さらに「追加書類之部」五部門が加わっている。それらを合計すれば、全集類、通巻類、シリーズ物、雑誌バックナンバー揃いも多いので、概算だけれど、五万冊は下らないように思われる。酒井は一誠堂店主口上として、「大震災以来日や復興に鋭意致し在庫品の充実を図ると共に傍ら目録の編製に着手し茲に高覧に供するを得候事偏に江湖諸賢の御厚情に外ならす(ママ)と奉深謝候」と述べている。これは関東のみならず、全国卯的なルートでの和書洋書も含んだ大がかりな仕入れ収集を物語っているのだろう。

 酒井は幸いにして、古本屋にもかかわらず、『出版人物事典』に立項されているので、そのプロフイルを引いてみる。
出版人物事典

 [酒井宇吉 さかいうきち]一八八七~一九四〇(明治二〇~昭和一五)一誠堂書店創業者。新潟県生れ。一九〇六年(明治三九)上京して文陽堂書店を創業、一三年(大正二)神田に移り一誠堂書店と改称、古書販売に努めた。関東大震災で罹災したが仮営業所を建て復興、書物に飢えた人々が殺到、大きく営業を伸ばし、さらに古書店としては稀有の四階建ビルを完成した。店員の独立を奨励し、神田に多くの出身者の店を出した。反町茂雄も出身者の一人である。また、古書目録を作って通信販売を広めるなど新しい商売をはじめ、神田を全国的に知らせる役目を果たした。東京書籍商組合評議員をつとめた。

 その「復興」を物語るように、『一誠堂古書籍目録』の巻頭には本郷会館における「一誠堂古書籍展覧会開催日誌」が写真入りで示され、関東大震災の翌年の大正十三年には三回、十四年には十二回が開かれた事実を伝えている。それとパラレルなかたちで、『目録』も編まれつつあったはずで、酒井の「復興」努力は抜きん出ていたと考えられる。

 それらをふまえた上で、序文として、「一友人たる」吉野作造が「本屋との親しみ」を寄せ、中山太郎は「序文に代へて」で、「君が創業二十三年を記念するため古典籍の目録」の発行に、「その初めから計画に与つていた」と述べ、「此目録が古典籍界のエポツクメーキングとして、永く読書界に尊重され保存されることを信す(ママ)る」と語っている。また神代種亮は「雑感」で、関東大震災の焼野原に出現したテント張りの一誠堂こそは、震災後の読書界の古本熱に火をつけたという意味のことを述べている。その古本熱は旧物懐古の情と学術研究の必要上から発生したと思われるが、それはかつて見なかった現象で、さらに広範に拡がり、現在でもその勢いは衰えていないと。これらは前回の水谷の証言を肯うものであろう。

 さて膨大な目録から一冊を選んでふれてみようと思っていたが、やはり巻頭にカラー口絵写真として挙げられた一冊がふさわしいと目される。そこにある文言、体裁、古書価も合わせて示してみる。

 本書は一三六〇年自耳義人の筆写したる拉典文祈祷書にして、獣皮を四六判形に薄く削りたるもの八十三葉に古典的ゴチツク体以て揮毫し、内七枚は金泥極彩色の美麗なる聖画を描きあり。実に古雅掬すべく、書史学研究の一資料として稀覯の珍品なり。
 四六判総皮綴厚サ九分全一冊 売価一千五百円

 これは現物を見てもらうしかないが、どこの誰が購い、現在はどこに架蔵されているのだろうか。


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら