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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1119 原田三夫と『誰にもわかる科学全集』

 三回続けて中塚栄次郎と国民図書の外交販売を主とする「大系」や「全集」をたどってきたけれど、その流通販売のアウトラインはつかめても、実際の売上、つまりどれほどの成功であったかは不明である。ただ現実的にはすべてが成功したわけでもなく、それは『校註日本文学大系』などの続巻刊行計画が実現しなかったことにもうかがわれる。しかし中塚だけでなく、国民図書の社員の証言にも出会えないので確認できていない。

 だがそれらの「大系」や「全集」とは異なる科学物においては失敗し、そのことと中塚の個人的事情が重なり、出版業界から退場するひとつの要因になったと思われる。それを証言しているのは原田三夫で、彼は意外なことに『出版人物事典』に立項が見つかる。

出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [原田三夫 はらだ・みつお]一八九〇~一九七七(明治二三~昭和五二)『子供の科学』『科学画報』編集長。愛知県生れ。東大理学部卒。中学教諭、北大講師などを経て一九二三年(大正一二)四月新光社(のちの誠文堂新光社)の『科学画報』の創刊にかかわり、ついで二四年月、同社の『子供の科学』創刊に際し、初代編集長主幹となった。『子供の科学』は当時、全盛を誇っていた『少年倶楽部』に迫る勢いで部数を伸ばした。創刊以来今日まで七〇年余の誌歴をもち、高年者で同誌を懐かしむ人も多い。戦後は日本宇宙旅行協会会長などをつとめ、啓蒙科学書を多く出版した。

 私も原田に関して、「原田三夫の『思い出の七十年』」、彼と中塚の関係については「中塚栄次郎と国民図書株式会社」(いずれも『古本探究Ⅱ』所収)を書いている。だがその際にはこのように原田が『出版人物事典』に立項されているとは思っておらず、その自伝『思い出の七十年』(誠文堂新光社、昭和四十一年)を参照していたのである。

古本探究 2  f:id:OdaMitsuo:20210118144828j:plain:h110

 この原田の自伝を読むと、彼がまさに科学ジャーナリスト、科学啓蒙家を兼ねた編集者にして著者であり、その軌跡は彼が科学啓蒙書や雑誌とともに歩んできたことを示している。その視座から見ると、戦前が紛れもない科学の時代で、そのような科学に対する関心や知識が根づいていたことによって、戦後の日本の技術立国としての復興が可能であったのではないかとも考えられる。また手塚治虫の『鉄腕アトム』や横山光輝の『鉄人28号』もその表象なのではないだろうか。それに『ロボット三等兵』の漫画家前谷惟光の父親は原田であるのだ。

鉄腕アトム(1) (手塚治虫文庫全集) 鉄人28号BOX (4) 貸本版 ロボット三等兵【上】 (マンガショップシリーズ 177)

 ところで『近代出版史探索Ⅴ』840の誠文堂新光社「僕らの科学文庫」シリーズも、そうした原田の影響下に企画されたのであろう。近代出版史において、科学啓蒙書や雑誌に照明が当てられることは少ないが、『思い出の七十年』はそれらも出版の重要な分野だったことを教えてくれるし、小川菊松や誠文堂新光社の成功も、原田を抜きにして語れない。それゆえに『出版人物事典』にも立項されたと考えられる。

近代出版史探索V

 さてこの原田が中塚の依頼を受け、昭和二年に「最新科学講座」全十五巻を編集する。これは未見だが、科学書としては類のない大宣伝、高級印刷で、初版六千部はたちまち売り切れ、原田の印税は当時の『子供の科学』編集長の収入を上回るものだった。ところがこれが原因で、原田は小川から絶交状を送られ、『子供の科学』とも縁を切ることになってしまったのである。しかし中塚との関係はまだ続き、昭和四年に別の企画に取り組むことになる。それを『思い出の七十年』から引いてみる。

 「最新科学講座」で成功した国民図書も、当時全盛を極めた円本として、私の書きおろしの「誰にもわかる科学全集」全十二巻を企画した。準備期間がなかったため、私は毎月一巻分数百枚を書き上げなければならなかった。(中略)これは六月から刊行されたが、初めの二、三巻は二万部ぐらい出た。しかし社長の中塚が政治運動にのりだしたため資金難に陥り、あとの巻はかろうじて刊行されることになり、印税が滞って私を困らせた。

 この『誰にもわかる科学全集』を一冊だけ拾っていること、及び「かろうじて刊行され」たこともあってか、『全集叢書総覧新訂版』にも挙げられていないので、その明細を示しておこう。

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 1『物理化学の驚異』
 2『空の神秘』
 3『地球の今昔』
 4『日常気象学』
 5『生命の不思議』
 6『草木の世界』
 7『蟲魚禽獣』
 8『常識医学』
 9『最新発明ローマンス』
 10『化学工業の進歩』
 11『都会の科学』
 12『電気とラヂオ』

 入手したのは6の『草木の世界』で、定価一円の円本に他ならないけれど、B6判上製、函入、二八五ページ、写真や図版も多く配置され、原田の仕事の手堅さが健在だとわかる。これを毎月一冊書き上げるのは大変だと思われるが、困難の中でも「科学」への使命感を捨てることはなかったのであろう。ただ「かろうじて刊行され」つつあったからか、目次に示された大サボテンと高山植物の「原色版」が抜けていて、「次回配本に挿入する」ので、それを「本巻にお貼込下さい」という原田の名刺大の「お断わり」がはさみこまれている。最終的に印税のほうはどうなったのだろうか。


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