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古本夜話1135 小杉放庵、公田連太郎『全訳芥子園画伝』とアトリエ社

 前回の『国訳漢文大成』続編の『資治通鑑』を始めとする「経子史部」全二十四巻の訳注のほとんどは公田連太郎によるものである。もちろん正編も『史記本紀』などの四冊を受け持っているし、この事実からすれば、『国訳漢文大成』の企画と編集自体が公田を抜きにして語れないことを意味していよう。ただずっと留意しているけれど、公田が当時の在野の漢学者で、多くの漢文注釈書を手がけていること以外はプロフィルが鮮明ではない。

f:id:OdaMitsuo:20210218170648j:plain:h120(『国訳漢文大成』)

 その公田が手がけたもうひとつの国訳に『全訳芥子園画伝』があり、その「註解」は小杉放庵、すなわち『近代出版史探索Ⅴ』805の小杉未醒に他ならない。この第一冊「総説」を入手している。函にはサブタイトルとして「図解南画技法大全書」が付され、本体はB5判をひと回り小さくかたちのジャケットにくるまれた和本、辛子色の表紙に題簽が貼られている。その刊行は昭和十年五月、発行人は北原義雄、発行者はアトリエ社、ジャケットと函のそこには第四回配本の記載が見えることからすれば、この予約出版もすでに三冊が出されているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20210301120354j:plain:h110 近代出版史探索V

 アトリエ社に関しては『近代出版史探索Ⅱ』340,352で取り上げているが、あらためて北原義雄を紹介する意味で、『出版人物事典』の立項を挙げてみる。

出版人物事典―明治-平成物故出版人 近代出版史探索II
 [北原義雄 きたはら・よしお]一八九六~一九八五(明治二九~昭和六〇)アトリエ社創業者。詩人北原白秋の弟。福岡県生れ。麻布中卒。兄鐵雄の経営するアルス社に入社。一九二四年(大正一三)日比谷にアトリエ社を創業、月刊美術雑誌『アトリエ]を創刊。以来、『東西素描大成』『芥子園画伝』『陶磁大観』『実用図案資料大成』『現代洋画全集』『西洋美術文庫』『梅原龍三郎画集』など美術関係書多数を出版、美術書出版社として知られた。四三年(昭和一八)戦時企業整備により、アルス、玄光社その他と合併、北原出版株式会社(のちアルスと改称)を創立したが、敗戦後、五一年(昭和二六)同社より分れ、アトリエ社を復興、五三年アトリエ出版社と改称。

 ここに『芥子園画伝』も出てくるので、それなりに著名な美術書だと思われるのだが、『世界名著大事典』には立項されていないし、『全集叢書総覧新訂版』にも見出されないので、何冊出されたのかも不明である。だが幸いなことに、公田と小杉による連名の「緒言」が置かれ、解題に準ずるその内容説明と意義なども書かれているで、それも引用してみる。

 芥子園画伝は南画道の宝典である、素人も此一書あれば、画を作り易く、画を観、画を論ずるに便であり、専門作家に取つては、まことに調法極まる参考書である、たゞ、余りに調法なるが為に、或は是に頼るに過ぎて、多少の弊を受くる場合無きにしもあらず、幕末明治初期の南画は振はざりし所以、一部の因るは此処に存する、事ほどさやうに、此の書の力を思ふべきだ、書に罪なく書を見る者に過ちがある、此の用意を以て此書に対し参酌よろしくを得ば、古人の所論、古人の技法、南画道の精神について、術語等について、解釈を詳細にしたることは、我等のいさゝか努めたりとなす点である。

 ここでいう「南画」とは中国の淡彩の山水画などを特色とする絵画様式で、江戸の文化文政期には長崎から伝わってきた『芥子園画伝』を範として、文人墨客は「南画」に親しみ、流行を極めていたとされる。だがその後は蔓延状態となり、「幕末明治初期の南画は振はざりし」状況を迎えていたし、それは昭和に入っても同様だったのではないだろうか。そこで全訳を試み、あらためて、「古人の所論、古人の技法、南画道の精神」を開示しようとしたとも思われる。

 この『全訳芥子園画伝』は中村不折の康熙及乾隆版の『芥子園画伝』を原本として公田が全訳し、小杉の註解は種々の列本と照合してなされている。それはまず原文が示され、続いて公田「訳」小杉の「註」「解」が置かれるという構成である。これもその「序」「約」「註」をたどれば、康熙十八年に李笠翁が金陵の別荘である芥子園において、王安節編集の『芥子園画伝』を刊行するに至る由来が述べられている。李笠翁は明末清初の小説戯曲作家で、名を漁といい、「蓑笠して自ら江潮に漁せんとて、笠翁と号す。万暦の末に生れ、明清革命の際に当りて、意を仕進に絶ち、明の遺臣を以て自ら居り、小説戯曲を述作して欝勃せる気を吐けり、天下を周遊し、晩年、南京に住して終る。年七十余」とある。とすれば、『芥子園画伝』の刊行者の李笠翁とは明治期における旧幕臣の文人や集古会によった人々の位相に連なっていることになろう。

 だがこの一文を記しながら最も残念に思ったのは、第一冊が「総記」に当たるために図版がまったくないことである。原本の彩色が施された古版画ではないにしても、鑑賞本位でない『全訳芥子園画伝』の他の巻には「すべて一色」であっても図版が収録されているようだ。いずれ見ることができるだろうか。

 ところで最後になってしまったが、奥付に発売所として牛込区西五軒町の福山書店が示され、その住所は並記の福山印刷製本所と同じである。それだけでなく、これらはかつての福山印刷所で、拙稿「三笠書房と艶本人脈」(『古本屋散策』所収)や『近代出版史探索』15などの文芸資料研究会で、「変態十二史」と「変態文献叢書」を刊行していた。それが昭和十年に福山書店を名乗り、発売所となっているのは、ここが昭和艶本時代の予約通信販売システムを維持して、おそらく外交販売も兼ね、『全訳芥子園画伝』などの予約出版美術書も一手に販売していたことを伝えている。先の北原書店の立項のところに挙がっていた美術書類もそのような販売市場を確保していたことによって、成功したのではないだろうか。

古本屋散策 近代出版史探索

 なお付け加えておけば、戦後の美術書は全国の画材屋も販売ルートに組みこまれていたし、それは戦前から引き継がれていたとも考えられるのである。

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