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古本夜話1157 征矢野晃雄『聖アウグスチヌスの研究』、長崎次郎、長崎書店

 前回のヤコブ・ベーメ『黎明』の訳者の征矢野晃雄は『キリスト教大事典改新訂版』(教文館、昭和四十三年)に立項されていなかったけれど、その後版と考えられる『日本キリスト教歴史大事典』(同前、同六十三年)において、立項を見出すことができる。それは昭和五十一年の牧神社よる『黎明』の復刻、及び南原実の意を尽した別巻解説といえる『ヤコブ・ベーメ 開けゆく次元』の刊行による影響だったのではないだろうか。それを引いてみる。

日本キリスト教歴史大事典 :黎明(アウロラ (牧神社版『黎明』) f:id:OdaMitsuo:20210520171538j:plain:h110 (『ヤコブ・ベーメ 開けゆく次元』)

 そやのてるお 征矢野晃雄 1889・1・22-1929・4・26 学者、哲学者。1910(明治43)年富士見町教会で植村正久から受洗。第一高等学校、東京帝国大学を卒業、その間、富士見町協会有志青年の寄宿舎山上寮には在寮。卒業後は福岡高等学校の教授となる。26(大正15)年、東京に戻り、東京神学社、東京女子大で哲学を教授。東京神学社の同僚に高倉徳太郎がおり、戸山(信濃町)教会に転会し、高倉の協力者となった。哲学や神学の研究によって信仰生活を深め、やがて神学への関心が強くなり、カント、ベーメ、トマス・アクィナス、アウグスチヌス・A、など宗教的に深みのあるものへと研究を進めた。主著『聖アウグスチヌス研究(ママ)』、『信仰と道徳』。茅ヶ崎海岸の寓居で病没。

 ここに主著として挙げられた『聖アウグスチヌスの研究』は手元にある。二年ほど前に名古屋の古本屋で見つけ、購入したものだ。同書の内容に言及することは私の素養からしてはばかられるので、やはりその出版事情などに注視したい。裸本ではあるけれど、樺色の本体の背に小さな黒い題簽が貼られ、そこに金箔でタイトルと著者名がひっそりと記され、征矢野のプロフィルをしのばせるような敬虔な佇まいの造本となっている。

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 それもそのはずで、同書は遺稿出版として、『近代出版史探索Ⅲ』530の長崎書店から昭和四年に刊行され、「序文」は哲学面から桑木巖翼、神学ら石原謙が寄せている。征矢野の人生は、桑木によれば、「知は愈々鋭くして信は愈々固い」ものであり、石原から見て「我々の若くして逝ける友」の仕事は、前半期が哲学研究で、『シヨウペンハウエルの研究』、ヘフディング『現代哲学批判』の翻訳、後半はアウグスチヌス研究であったとされる。

 だが編輯、校訂などに関する「後記」は長崎書店の長崎次郎が記している。先の拙稿は『出版人物事典』における長崎の立項を紹介していないので、ここにあらためて引いてみよう。

出版人物事典―明治-平成物故出版人

 [長崎次郎 ながさき・じろう]一八九五~一九五四 新教出版社創業者。高知県生れ。北大農学部卒。横浜県立女学校教頭、関東学院教授を経て、一九二六(大正一五)長崎書店を創業。四四年(昭和一九)戦時企業整備により、キリスト教関係出版社一〇社で株式合社新教出版社を創業して社長に就任。『聖書大辞典』『高倉徳太郎全集』など大冊を出版。またハンセン病者の文書、歌集などの出版に意を注いだ。三八(昭和一三)刊行の長島愛生園医師の活動記録、小川正子『小島の春』もその一つで映画化されベストセラーになった。

 征矢野や長崎の立項からわかるのは高倉徳太郎との深い関係であり、高倉は大正時代の神学者として日本神学校を創立し、そのかたわらで戸山(信濃町)教会をおこし、牧師ともなっている。先の拙稿で、長崎書店の処女出版が高倉の『恩寵と召命』だったことを既述しておいたが、『聖アウグスチヌスの研究』の巻末広告にも、それを含めて高倉の著書が五冊並び、高倉を通じて征矢野の遺稿集も刊行の運びとなったのではないかと推測される。奥付の著作権者として、征矢野静江の名前が記載されているのは、『聖アウグスチヌスの研究』がその夫人らしき遺族への印税を配慮して刊行されたことを意味していよう。

f:id:OdaMitsuo:20210528173134j:plain:h120(『恩寵と召命』)

 そのことと並んで興味深いは長崎書店の「大取次店」のことで、それは東京が基督教書類会社、教文館、伊藤書店、向山堂書店、田口書店、栗田書店、井田書店、京都が三菱書籍部、大阪が福音書店、神戸が福音舎書店となっている。これらは「大取次」といっても、当時の東京堂、北隆館、東海堂、大東館という「四大取次」ではないので、栗田書店は異なるけれど、書店を兼ねる専門取次に他ならない。早稲田鶴巻町の古本屋から始まった長崎書店はこれらの細いパイプというべきキリスト教書専門取次を流通販売の要として営まれていたことになろう。

 それに教文館は、戦後の出版だが、最初に挙げた『キリスト教大事典改新訂版』『日本キリスト教歴史大事典』の版元だし、大阪の福音書店や神戸の福音舎書店は『近代出版史探索Ⅱ』283の創元社、また八木書店や日本古書通信社のルーツであった。その事実が示すように、それぞれが単なる取次や書店ではなく、様々な物語を有していたことになり、長崎書店はそれらと併走していた。そのことによって、昭和十年代になって、『小島の春』というベストセラーが生み出されていったと考えることもできよう。もちろんその際には先の四大取次の口座も設けられていたであろう。

キリスト教大事典 改訂新版(『キリスト教大事典改新訂版』)小島の春―ある女医の手記 (1981年)


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