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古本夜話1158 聚芳閣『院本正本日本戯曲名作大系』と三島才二

 本探索1116の『校註日本文学大系』から、ずっと「大系」シリーズをたどってきたが、もう一冊あるので、それも書いておこう。それは『院本正本日本戯曲名作大系』第一巻で、大正十四年に足立欽一の聚芳閣から刊行されている。足立と聚芳閣に関しては拙稿「足立欽一と山田順子」「聚英閣と聚芳閣」(いずれも『古本屋散策』所収)などで既述していることも明記しておく。

f:id:OdaMitsuo:20210113102520j:plain(『校註日本文学大系』)f:id:OdaMitsuo:20210530115149j:plain:h120 (『院本正本日本戯曲名作大系』)

 ただ先に断わっておくと、『全集叢書総覧新訂版』によれば、『院本正本日本戯曲名作大系』は四冊が出されただけで終わったようだ。それは昭和円本時代を迎えている中で、五円という定価は高かったことも影響しているのだろう。角書で示された「院本正本」とは実際に舞台で様々にアレンジされ、使われる「脚本」を意味しているようで、「名作」ではあっても、本来の古典としての「戯曲」ではない。それゆえに専門家、好事家向けの企画だったと考えられるけれど、それ以上の刊行は難しかったのではないだろうか。
全集叢書総覧 (1983年)

 手元にある第一巻はB6判の裸本だが、八〇〇ページに及び、厚さも五センチ近い。収録作品は竹田出雲『義経千本桜』の院本と正本、中村重助『近頃河原の達引』の院本、鶴屋南北『東海道四谷怪談』、市川宗家『助六由縁江戸桜』、作者不詳『近頃河原の達引』のそれぞれ正本で、いずれも冒頭に舞台の挿絵が置かれ、それも含めた三島才二による六四ページの解説が施されている。

 奥付を見ると、校訂編纂者はその三島才二で、検印のところには「校訂編纂者印」とあり、三島の印が押されている。このような「校訂編纂者印」は初めて目にするが、これは三島が『院本正本日本戯曲名作大系』を企画し、聚芳閣に持ち込み、校訂編纂の仕事に対して印税契約を結んだことを意味していよう。

 三島は三島霜川として、『日本近代文学大事典』にも立項されているけれど、ここでは本探索1126の『演劇百科大事典』(平凡社)のほうを参照してみる。

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 みしまそおせん 三島霜川(1876~1934)小説家・演劇評論家。本名才二。明治九年富山県に生れ、硯友社の小説家として明治三一年ごろから活躍し、その作品は百数十編におよんだ。自然主義文学隆盛後は、文壇から遠ざかり、明治四〇年『演芸画報』の創刊時から関係し、歌之助の筆名で連載した「芝居見たまま」は同誌の呼びものになった。ついで犀児・椋右衛門の筆名で行った独特の観察による劇評や俳優を批評した記事は特に好評を博した。「東西役者の噂」「花形俳優月旦」「訳者の顔」「近世名優伝」などの連載もののほか、『役者芸風記』があり、脚本やシナリオも書いた。晩年まで『演劇画報』の編集に尽力し、昭和九年三月七日没。

 この立項からわかるのは三島が硯友社を出自とし、芝居の見巧者にして、優れた劇評家、役者や俳優についての独特な月旦家だったということになろうか。私はここで初めて劇評家としての三島を知ったし、『演芸画報』も同様だったので、こちらは『日本近代文学大事典』を引いてみた。するとほぼ一ページ四段に及ぶ解題が収録されて、明治四十年から昭和十八年にかけて継続して発行された歌舞伎を中心とする総合演劇誌だったとわかった。

f:id:OdaMitsuo:20210605114652j:plain:h120(『演芸画報』)

 大正元年からは『近代出版史探索Ⅲ』552の渥美清太郎、三島、藤沢清造が編集に携わり、それを通じて、渥美が春陽堂の『日本戯曲全集』、三島が『院本正本日本戯曲名作大系』の企画へとリンクしていったのであろう。それゆえに『演芸画報』の存在を抜きにして、日本の歌舞伎や戯曲の全集、大系、選集などは語れないと推測されるし、『演芸画報』もいずれ見てみたいと思う。

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 それは三島の死後に出された『役者芸風記』(中央公論社、昭和十年)も同様なのだが、それでも『院本正本日本戯曲名作大系』第一巻の「解題」は読むことができる。この六四ページの「解説」は「南北芝居の基調」と「四谷怪談と其の時代相」、つまり『東海道四谷怪談』が大半を占めているので、そのエッセンスを挙げてみる。

 南北は『東海道四谷怪談』で、他の芝居に倍して、舞台装置として非人小屋と非人、卒塔婆、枯蘆、蛇と蛇遣い、薮だたみ、辻堂、出刃といった無気味なものばかりを多用し、その後ろに「黒幕」を好んで使う。そしてそこに登場する人物は非人を筆頭とし、雲助、隠亡、乞食坊主、番太、蛇遣い、因果物師、月代の伸びた浪人者、いずれも暗い底にうごめいている者ばかりだ。

 この『東海道四谷怪談』の背後にある時代相とは、江戸文化が爛熟し、ほとんど腐りかけていた文政の頃に相当する。南北はこのような江戸文化の底にうごめいている世相を描いているのだ。

 伊右衛門と直助権兵衛との変態なる凶悪ぶりを心に描き組立てながら、芝居国の黄ばンだ埃のなかに、薄暗い行燈の芯をかき立てかき立て、奇怪極まる一種の残忍性と、気味の悪き皮肉を以て、悪くひやゝかに、人間のくだらなさと、みじめさをながめてゐたと思はれる。作者南北の辛辣にしてねじ歪むだ心から響いて来る、その無気味な浮世話にも、また格段なる興味が感じられる。

 私はこの三島がいうところの「江戸狂言」を舞台で見たことはないし、中川信夫監督、天知茂主演の映画『東海道四谷怪談』を思い浮かべて、この部分を引用したが、確かに三島の言に重なり、それらのシーンが迫ってくるようにも思われた。

東海道四谷怪談 [DVD]

 このような大正時代における三島の劇評に対する反応はどうだったのであろうか。大正時代は終ろうとしていたし、確かにその世相は昭和を迎えて、『近代出版史探索』32の新潮社『現代猟奇尖端図鑑』に象徴されるような「エロ・グロ・ナンセンス」の時代に入ろうとしていたのである。

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