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古本夜話1168 吉井勇『こひびと』、新潮社「現代自選歌集」、『吉井勇集』

 やはり籾山書店から大正六年に吉井勇の歌集『こひびと』が出されている。これも菊半截判で、一ページに二首が収録され、最初の一首からして「恋に生き恋に死ぬべきいのちぞと思い知りしも君あるがため」とあり、まさにタイトルにふさわしいオープニングといえよう。このようなトーンの歌が一貫して最後まで続き、恋歌集とよんでもかまわないように思われる。巻末には同じ籾山書店刊行の既刊短歌集『初恋』『昨日まで』『片恋』が挙がっていて、それらの掲載は『こひびと』の前史的連作を意図しているのだろう。

 籾山書店と吉井の関係は、本探索1161でふれておいたように、前者が反自然主義を標榜していた『三田文学』の発売所を引き受け、後者が常連寄稿者だったことに端を発していると推測される。あらためて『日本近代文学大事典』の吉井の立項を確認してみると、それは三ページ近くに及び、明治、大正、昭和戦前戦後における歌人、劇作家、小説家として華麗にして特異な軌跡を伝えているかのようだ。とりわけ驚かされるのはその多作ぶり、多くの著書の刊行で、それは大正時代に顕著である。ちなみに著書の解題だけで、異例といっていい十一作が挙げられている。そのうちの大正時代の出版を示す。

 歌物語集『水荘記』(東雲堂書店、大正元年)、歌集『昨日まで』(籾山書店、同二年)、同『祇園歌集』(新潮社、同四年)、同『東京紅燈集』(新潮社、同五年)、戯曲集『俳諧亭句楽』(通一舎、同五年)、歌集『鸚鵡石』(玄文社、同七年)。これらに先行する歌集『酒ほがひ』(昂発行所、明治四十三年)、戯曲集『午後三時』(東雲堂書店、同四十四年)を加えれば、八作となる。それらは未見だが、吉井が明治末から大正時代にかけて、旺盛な筆力を誇り、人気もあり、当時としても最も多くの著書を次々と上梓していた文学者の筆頭に当たるだろう。

f:id:OdaMitsuo:20210706203523j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210707150209j:plain:h120f:id:OdaMitsuo:20210707150432j:plain:h120 酒ほがひ (1980年) (名著複刻詩歌文学館〈連翹セット〉) (『酒ほがひ』)

 これらの他にも大正時代には挙げきれないほどの著書が刊行されていて、先の『こひびと』もその一冊に他ならない。これは明記されていないけれど、吉井の他の著書と同様に、装幀は竹久夢二によるもので、どこかでみたような気がすると思っていたところ、それは他ならぬ紅野敏郎『大正期の文芸叢書』の口絵写真に掲載されていた新潮社の『情話新集』の書影だった。これは大正四年から六年にかけて、近松秋江『舞鶴心中』を始めとして全十二巻が刊行されている。いずれも入手しておらず、こちらも未見だが、紅野によれば、菊半截判で竹久夢二装幀とあるので、吉井の『こひびと』も、同時期に出されていた『情話新集』の装幀と造本を範としたように思われる。

大正期の文芸叢書  f:id:OdaMitsuo:20210706210635j:plain:h120(『舞鶴心中』)

 それからこれはまったく偶然だが、その『情話新集』の隣に、『吉井勇集』の書影があり、これも先頃、浜松の時代舎で入手してきたばかりだし、言及しておくべきだろう。どうして『吉井勇集』が挙げられていたかというと、函にも本体にも、その表記は見えないけれど、新潮社の「現代自選歌集」シリーズの一冊として刊行されていたからで、それらを『吉井勇集』の巻末広告から、その重版数も含め、リストアップしてみる。

 f:id:OdaMitsuo:20210706202129j:plain:h120(『吉井勇集』)

1『与謝野晶子集』 (第廿四版)
2『金子薫園集』 (第十八版)
3『若山牧水集』 (第十版)
4『吉井勇集』 (第十二版)
5『土岐哀果集』 (第四版)
6『前田夕暮集』 (第四版)

 これらの下に「羽二重表紙特性極美本」にして、「何れも其の処女歌集より最近の集に亘り一千数百首を抜きて一巻となせるもの、諸家の自信ある傑作全集也」とのキャッチコピーが見える。確かに『吉井勇集』は先の『酒ほがひ』『昨日まで』『片恋』『水荘記』などから編んだアンソロジーであり、私の所持するのは大正十五年の第十六版だから、ロングセラーとなっていたとわかる。吉井はその序文ともいえる「小引」において、「私は本集を編むに当って、切に自ら傷むの念に堪へないのえある。/かくて私はこれまでの生涯を、この『半生の墓』に葬つて、更に新しき道を踏んで進まねばならぬ」と告白している。

 これは紅野も指摘しているように、この時期に赤木桁平から長田幹彦、近松秋江、吉井勇などを対象とする所謂「遊蕩文学撲滅論」が出されたことも反映されているのだろう。そういえば、『情話新集』には吉井こそ入っていなかったものの、近松が二作、長田が三作収録されていて、赤木の「遊蕩文学撲滅論」の口火となったはずで、装幀や判型を同じくする吉井の著作も必然的にそのターゲットに想定されたと思われる。ちなみに「現代自選歌集」も函入だが、菊半截判で、太守時代におけるこの判型の意味を出版社の事情だけでなく、流通販売もふまえて考えてみるべきかもしれない。そうした意味においても、「新潮社の『「現代自選歌集」もそれほど著名ではないが、絶対に無視することの出来ぬシリーズ」だと紅野がいっているように、生産、流通、販売の視点から見るならば、まだ判明していない事実が秘められているかもしれないのである。


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