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古本夜話1180 関口鎮雄訳『芽の出る頃』と堺利彦訳『ジェルミナール』

 前回は大正時代のゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」翻訳をリストアップしたので、金星堂の『芽の出る頃』、アルスの堺利彦訳『ジェルミナール』を挙げておいた。だがそこで言及できなかったこともあり、ここで書いておきたい。それは前回の『獣人』と同じく、両書とも英訳によっていると思われるからだ。

 その前に書誌的なことを示しておくと、『芽の出る頃』は大正十二年の金星堂版ではなく、昭和二年の成光館版で、その事実は、これも前回の『死の解放』と同様の譲受出版であることを伝えていよう。大正時代の翻訳出版は本探索でもトレースしてきたけれど、文学作品に限っただけでも、小出版社を中心として想像する以上に多くが試みられていた。しかし大正十一年の関東大震災に遭遇して、これもまた多くの中小出版社が廃業、倒産に至り、それはゾラの版元である天佑社や大鐙閣も例外ではなかった。この二社に関しては拙稿「天佑社と大鐙社」(『古本探究』所収)でふれているので、よろしければ参照されたい。

f:id:OdaMitsuo:20210801171138j:plain:h120(『死の解放』、成光館版)

 そのような大正の翻訳出版状況と関東大震災を経て、赤本や特価本業界の譲受出版が始まっていくわけだが、それらの全貌を把握することは困難である。それは成光館にしても、『近代出版史探索Ⅱ』227などの三星社、三陽堂、東光社にしても、全出版目録も社史も出されていないし、たまたま見つけた一冊ずつを確認していくしか探索方法がないように思われる。しかし赤本や特価本業界の譲受出版は近代出版史だけでなく、読者、読書史にとっても重要なテーマだと考えられるので、これからも探索を続けていくつもりだ。

 とりわけ成光館版『芽の出る頃』はそうした印象を与えるのである。四六判函入、七九六ページに及ぶ一冊で、函はタイトルと照応する草色で、そこに女性と建物のイラストが描かれ、こちらは内容にそぐわない瀟洒なイメージである。金星堂版は未見だが、成光館版の合巻構成からすると、上下巻として刊行されたように思われる。また本体の造本も赤いクロスの上製で、一九〇六年にフランスで出されたゾラ全集を想起させるし、訳者の序もあとがきもないけれど、その一冊のニュアンスだけでも、成光館のオリジナリティをうかがわせている。すると編集者は誰だったのかという思いも生じてくるのである。

 ただ訳者の関口は『日本近代文学大事典』の索引に名前だけは見出せるので引いてみると、第四巻『事項』の「日本近代文学とアナトール・フランス」のところに、『赤い百合』の翻訳者として挙げられていた。こちらも金星堂で、大正十一年の出版だったし、英語からの重訳と記されている。『金星堂の百年』の記述によれば、この時代に戯曲や外国文学の翻訳も手がけるようになり、後の「世界近代劇叢書」「金星堂翻訳文庫」「全訳名著叢書」へとつながっていったとあるが、具体的な編集や翻訳に関しては語られていない。
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 それに対して、アルス版『ジェルミナール』は表紙に堺利彦抄訳とあるように、四六判並製、三一六ページ、金星堂版の半分といっていい。そして表紙に「ゾラの最大傑作」「深酷なる大物語」の見出しで、堺の「序」の書き出しが転載されているので、それをそのまま引いてみよう。当時の社会主義陣営におけるゾラの受容の位相を浮かび上がらせているからだ。

 『ジェルミナール』はゾラの最大傑作と云はれてゐる。フランスの北部地方に於ける炭坑の大ストライキを描写して、其の間に坑夫生活の悲惨と痛苦と、ブルジヨアジーの亡びゆく運命と、新社会建設の理想と希望を示したもので、真に雄大、深酷、悲壮、痛烈な大物語である。
 ジェルミナールは、草木の芽が延び出る、春の季節を指した言葉で、つまり自覚した労働者の芽ばえ、労働者の芽ぐみ、新社会の芽だちと云つたやうな心持を現はした表題である。欧米の労働運動界や社会運動界に於いて、此の小説を読んだ事のない者は恐らく無いだらう。私は此の書を日本の読書界に紹介し得た事を以て、洵に大なる喜びとしてゐる。

 そして翻訳についても、これは「縮訳であり、自由訳である」として、「或る部分は直訳」で、「多少は政府の検閲に拠つて抹殺れた箇所」も生じたが、「可なり満足の出来る、手頃な読物を拵へてあげた積り」だと述べている。さらに先に『木芽立』というタイトルで発行したが、再版に際して『ジェルミナール』の原名にあらためたとある。それでサブタイトルに「木の芽立」が付されていたことも了解するし、ほぼ同時期に出された金星堂版のタイトルにも影響を及ぼしているのだろう。

 ただここで留意すべきは、大正十年初版の『木芽立』の出版社もアルスで、黒岩比佐子の堺の評伝『パンとペン』(講談社)でもふれられていないけれど、重訳で抄訳であるにしても、これが『ジェルミナール』の本邦初訳と考えられる。ここに『ジェルミナール』は「時は三月のまだ寒い夜の二時頃、一点の星もない墨のような空の下にマルシエヌからモンスウまでの、甘大根の畑の間の、六マイルあまりの敷石の往来を、只独り行く男があつた」と始まり、初めてのお目見えとなったのだ。それは私が前々回の『ナナ』と同じく、最新の『ジェルミナール』(論創社版「ルーゴン=マッカール叢書」)の訳者なので、とりわけ感慨を深くする。

f:id:OdaMitsuo:20210802105652j:plain:h120(『木の芽立』、大正十年、アルス)パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い ナナ (ルーゴン=マッカール叢書) ジェルミナール


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