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古本夜話1191 三島由紀夫とダンヌンツィオ『死の勝利』『聖セバスチャンの殉教』

 前回のドーデ『サフオ』とダンヌンツィオ『死の勝利』が、大正の初めに新潮社の「近代名著文庫」として翻訳され、昭和円本時代にいずれも『世界文学全集』30に収録されたことを既述しておいた。

f:id:OdaMitsuo:20210816114129j:plain:h120(「近代名著文庫」) f:id:OdaMitsuo:20210816112415j:plain:h120 (『世界文学全集』30)

 佐藤義亮の『出版おもひ出話』(『新潮社四十年』所収)によれば、「新潮社が翻訳出版として認められるに至つたのは、『近代名著文庫』を企て、その第一編として『死の勝利』を出してからである」。それは大正二年一月の出版だったが、明治四十一年三月に妻子ある文学士森田草平と女子大出の平塚明子(雷鳥)が死地を求めて塩原尾花峠の雪山に分け入り、連れ戻される事件が起きていた。それは『死の勝利』の影響を受け、そのまま実践したということで、新聞でも騒がれた。それでこの小説は広く知られることとなった。「そんなことも手伝つて翻訳物としては全く記録やぶりの売れ行きを示した」のである。

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 夏目漱石はこの事件で社会から葬られようとしていた森田を自宅に引き取り、この事件を題材とした小説『煤煙』を四十二年正月から『朝日新聞』に連載させた。この『煤煙』(『寺田虎彦・森田草平・鈴木三重吉集』、『現代日本文学全集』22所収、筑摩書房)を読むと、確かにまだ未邦訳の『死の勝利』が寄り添う物語のようで、伏線となっている印象を受ける。そればかりか、前回の『サフオ』も出てくるのだ。とすれば、『死の勝利』に続いて、「近代名著文庫」で『サフオ』が刊行されたのも、『煤煙』をきっかけにして『死の勝利』が「全く記録やぶりの売れ行きを示した」こととリンクしているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20210818095222j:plain:h120(『現代日本文学全集』22)

 またこの所謂「煤煙」事件は、森田をダンヌンツィオの訳者とならしめ、『快楽児』(博文館、大正三年)、『犠牲』(国民文庫刊行会、同六年)を翻訳に至る。拙稿「『千一夜物語』のレーン訳とマドリュス訳」(『古本屋散策』所収)で、森田のレーン訳(国民文庫刊行会)にふれているけれど、この二冊は未見である。だがこれらの続けての翻訳を考えただけでも、大正前半にダンヌンツィオブームが起きていたとわかる。同じく『近代出版史探索』18で、下位春吉に言及し、田之倉稔の『ファシストを演じた人びと』(青土社)を援用し、彼がダヌンツィオ(二重表記)に魅せられ、心酔し、その第一次世界大戦後の私設軍隊を率いてのフィウーメ占領にも参加したことを書いている。

ファシストを演じた人びと

 このフィウーメ占領に関して想起されるのは、やはり私設軍隊の楯の会を率いた三島由紀夫に他ならないし、その死にしても、『死の勝利』と重なってしまう。それに『死の勝利』を収録した『世界文学全集』30の一冊は島崎博、三島瑤子共編『定本三島由紀夫書誌』(薔薇十字社、昭和四十七年)の中に見出されるのだ。心中小説としての『死の勝利』には、三島好みのアフォリズム的な表白や会話が散りばめられ、彼がダンヌンツィオ愛読者だったと見なすべきであろう。

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 それは昭和四十一年に美術出版社から刊行されたダンヌンツィオの霊験劇『聖セバスチャンの殉教』に凝縮されたかたちで顕現している。この三島由紀夫、池田弘太郎訳の一冊は赤いクロスの枡型本で、その劇を彷彿とさせる函のデザインと相俟って、昭和四十年代前半の造本として忘れられないインパクトを与えるものだ。同書には劇のみならず、三島自身による「名画集 聖セバスチャンの殉教」も収録され、巻頭図版を加え、五十一枚に及んでいる。その中のローマのカピトリーナ美術館が所蔵するグイド・レーニのものは、後に三島が聖セバスチャンに扮し、写真化している。

f:id:OdaMitsuo:20210818175631j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210818113644j:plain:h120(グイド・レーニ)

 聖セバスチャンはカトリック聖人伝説によれば、三世紀ローマ市の軍人として武勇に優れ、輝かしい軍功をもちて、皇帝の目にとまり、名誉ある親衛兵隊長に任命された。だが軍人の身分を利用し、カトリック信徒を助けていたことが発覚し、皇帝から死刑を宣告され、アフリカのヌビア人に弓矢で処刑されることになってしまったのである。しかし現在のような聖セバスチャンの姿が登場してくるのは十五世紀のルネサンスに至ってからだった。三島は書いている。

 それはすでに、若い、ゆたかな輝やかしい肉体、異教的な官能性を極端にあらはした美青年の裸体となつて生れ、さまざまな姿態で、あるひは月桂樹の幹に、あるひは古代神殿の廃墟の円柱に縛しめられ、あるひはローマ軍兵の兜や鎧をかたはらに置き、あるひは信女イレーネに涙を注がれ、あるひは数本の矢をその美しい青春の肉に箆深(のぶか)く射込まれて、ただ、死にゆく若者の英雄的な、又、抒情的な美の化身となり、瀕死のアドニスと何ら選ぶところのないものに成り変わつていた。キリスト教聖画のうち、その異教的官能性のもつとも露骨なものとして、セバスチャンの絵画は、多くの修道院で永らく禁圧されていた。

 それをめぐって、ルネサンスは「三世紀以来セヴァスチャン伝説の中に隠されていた秘儀を、一挙に解明した」のではないかと三島は問い、『近代出版史探索Ⅳ』914などのフレーザー『金枝篇』、同997の堀一郎訳のアリアーデ『永遠回帰の神話』(未来社)、まだ未邦訳のユング『変容の象徴』(野村美紀夫訳、ちくま学芸文庫)などが参照されている。

永遠回帰の神話 - 祖型と反復 変容の象徴―精神分裂病の前駆症状〈上〉 (ちくま学芸文庫)

 このダンヌンツィオの『聖セバスチャンの殉教』は一九一一年に発表され、その年の五月二十三日、第一次大戦前のパリのシャトレ劇場で、初日の幕が上がる。その半世紀後、この翻訳が刊行されたことになる。ここで三島がダンヌンツィオ表記にこだわっていることは、彼が『死の勝利』の愛読者であり続けたことをひそやかに告げているのだろう。

 なお昭和五十年になって、ヴィスコンティの映画『イノセント』の公開に合わせ、森田訳『犠牲』がダヌンツィオ『罪なき者』(脇功訳、ヘラルド出版)として再度刊行された。

イノセント ルキーノ・ヴィスコンティ DVD HDマスター f:id:OdaMitsuo:20210818101428j:plain:h120 


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