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古本夜話1190 ドオデエ、武林無想庵訳『サフオ』

 このようなことを書くと、奇異に思われるかもしれないが、小学生の頃、私はドーデのファンであった。それは本探索1173でふれなかったけれど、昭和三十年代には各種の児童向けの世界文学全集が出されていて、そこにドーデの作品も含まれ、『風車小屋だより』や『月曜物語』、『タルタランの冒険』などを読んでいたからだ。それらのドーデの作品の収録は『月曜物語』所収の「最後の授業」を始めとする短編が、児童文学に属するという戦前からの位置づけが引き継がれていたことによっているのだろう。どの出版社の少年少女世界文学全集で読んだのかは記憶に残っていない。だが手元にある旺文社文庫の大久保和郎訳『風車小屋だより』『月曜物語』はいずれも多くの挿画を配し、かつての読書を彷彿とさせてくれる。

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 しかしドーデは最初から児童文学のかたちで紹介されてきたわけではなく、ゾラと同じ自然主義の作家としてで、それは『サフオ』に象徴的である。しかも『サフォ』は本探索1186のアラン・コルバン『娼婦』 の中にも、唐突に出てくる。コルバンは「高級娼婦たち」に続いて、「始前妻・お妾さん」に言及している。

 娼婦 〈新版〉 (上)

 この女たちは金で買う恋人とかろうじて区別される存在である。というのは、彼女たちが契りもかわした相手との生活は、ブルジョワの結婚様式をそっくりそのまま真似ているからである。この「まがいものの妻」は、大抵の場合、「婚前妻(ファム・デタント)」で、ブルジョワ青年、芸術家、学生、勤め人らが正式の結婚に漕ぎつけるにはまだ時間がかかるのでそれまで同棲している場合や、あるいは、財産がろくになくそのために新婚家庭をもてないでいるプチ・ブルジョワの独身男性が「世帯をもって」生活するという夢をみることができるからである。

 「婚前妻」=la femme détente はこなれが悪いので、「内縁の妻」とでもしたほうが理解しやすいだろう。「アルフォンス・ドーデが、青年に対する教訓になるかと思って自分の本『サフォ』を息子に献ずる気になった」とコルバンが述べているのは、サフォがそうした女性の典型だったからである。

 このドーデの作品はドオデエ『サフオ』として、大正二年に武林無想庵訳で新潮社の「近代名著文庫」で刊行され、ロングセラーとなっていた。そして昭和三年には同じく「近代名著文庫」のダンヌンツイオ、生田長江訳『死の勝利』、及びデュマ・フィス、高橋邦太郎訳『椿姫』とともに、新潮社の『世界文学全集』30に収録された。それに続き、昭和九年は新潮文庫化され、入手しているのは同十四年十月十五版で、四半世紀にわたり、読まれ続けてきたことになる。

f:id:OdaMitsuo:20210816114129j:plain:h120(「近代名著文庫」) f:id:OdaMitsuo:20210816112415j:plain:h120 f:id:OdaMitsuo:20210816113435j:plain:h120(『世界文学全集』30)f:id:OdaMitsuo:20210816150400j:plain:h120(新潮文庫)

 サフオは古代リシアの才色をともに備えた女性詩人で、後世に多くの伝説を残している。『サフオ』のヒロインのファンニイ・ルグランがカウダァルという文芸院委員の彫刻家のモデルとなり、サフオの像が創られ、彼女がサフオと仇名されたことに基づいている。主人公ジャン・ゴッサンのほうは南仏のアヴィニョンから領事の検定試験に挑もうとして、パリに出てきた二十一歳の青年である。

 二人はパリ芸術界の大物デシュレットが主催した魔宮のような仮装舞踏会で知り合った。ゴッサンは詩人のラ・グルネリイの親戚の学生に連れられ、風笛手を装い、ファンニイは埃及女に扮していた。彼女のほうから「あたしあなたの眼の色が気に入つたわ」と話しかけられ、彼は彼女を「若くて、美しい? 何と言つていゝか分からなかつた」けれど、「疑ひもなく女役者」と思う。コルバンがナナたち「舞台の女」を高級娼婦に分類していることを想起されたい。

 仮面舞踏会には先の彫刻家、芸術界の大物、詩人の他にも、名士たちが寄り集い、ゴッサンは自分の無名が恥ずかしい気持にさせられた。それでも「日本の女」に扮した女優から誘いを受けた。すると「行くんじゃないことよ」と囁く声が聞こえ、ゴッサンとファンニイは連れ立って外に出た。そして以下の文章が続いていく。「白々明けを辻馬車が二三台客待ちしてゐた。掃除人夫や仕事に出掛ける労働者が、ガヤガヤ騒がしい舞踏会を観た。仮装をつけた一対の男女を観た。真夏の懺悔火曜日に……」

 ここまでの冒頭のシーンにおいて、上京してきたばかりの青年、パリの上流階級、芸術家、文学者、謎めいた女たちが集う魔宮のような仮装舞踏会が現前し、明け方まで続き、外では辻馬車が待ち受け、労働者たちが仕事に出掛ける光景と対になる。これらの第二帝政期のパリを連想させるシーンには、他ならぬドーデが上京して遭遇した出来事も多く含まれているだろうし、日本の地方読者にしても、東京にいけばと想像したことであろう。それゆえに四半世紀に及ぶロングセラーであり続けたとも考えられる。

 そうした事柄はさておき、その日のうちに二人は寝てしまい、サフオ=ファンニイは彼の「内縁の妻」のような関係になっていく。だがその一方で、彼女が辻馬車屋と女中の間に生まれ、彫刻家、芸術界の大物、詩人だけでなく、画家や小説家とも関係があり、鋳金家に至っては彼女のために偽札づくりを企てて獄中にあり、彼女との間に一子あることも明らかになっていく。サフオ=ファンニイは「内縁の妻」であるばかりでなく、ゴサンの前で、十九世紀末の「宿命の女」のように君臨するのだ。


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