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古本夜話1227 加藤朝鳥『十字軍』、シヨウ『神を探す黒人娘の冒険』、暁書院

 前回の春秋社「世界家庭文学名著選」の訳者の一人である加藤朝鳥をたどって、大正時代の翻訳も兼ねた文学者のポルトレを描いてみたい。それは浜松の時代舎で、加藤が訳したバアナアド・シヨウの『神を探す黒人娘の冒険』を買い求めたばかりだし、数年前にその創作『十字軍』も入手していたからだ。その前に『日本近代文学大事典』に加藤は立項されているので、まずそれを引いてみよう。

f:id:OdaMitsuo:20220106115142j:plain:h120 (『神を探す黒人娘の冒険』)

 加藤朝鳥 かとうあさとり 明治一九・九・一九~昭和一三・五・一七(1886~1938)翻訳家、評論家。鳥取県東伯郡社村の生れ。(中略)本名は信三。明治三八年(中略)早大英文科に入学。四二年同校卒業。大正四年六月「新潮」に『片上伸氏を論ず』を発表、文芸批評家として立つ。いちじ瓜哇日報主筆となる。『創作十字軍』(大一二・二 新光社)にみられるローマン派傾向が生活の上にあったといわれる。評論集『最近文芸思想講話』(大九・七 新潮社)『英文学夜話』(昭二・六 春秋社)『最新思潮展望』(昭八・三 暁書院)があり、翻訳にレイモント『農民』(大一四・六~一五・五 春秋社)などがある。全体に博学の観があるが学問は体系化しえなかったようである。(後略)
f:id:OdaMitsuo:20220106120934j:plain(『農民』)

 加藤の『創作十字軍』はその巻末に置かれた島村抱月の中世に文芸はなく、宗教に尽きるが、「自然の文芸となれるもの十字軍にならずや」という「囚われたる文芸」の一節にその創作モチーフが求められるのだろう。それは「欧州中世紀に於ける花たる十字軍の殉教的哀史」とされるが、白地の函に対して真紅の造本がまぶしく感じられることがあってか、立項にある「博学の観」と「ローマン派傾向」が上滑りしているような印象を与える。

 ただ巻末の出版目録を見ると、加藤はこの他に『爪哇の旅』『波斯詩集薔薇園』が既刊となっていて、これらの南洋紀行やペルシヤ詩集から『創作十字軍』が紡ぎ出されたとも考えられる。それに『近代出版史探索Ⅳ』697の仲小路彰の『砂漠の光』も並んでいることからすれば、大正時代は日本にそれらのペルシヤ=イスラムの光も射しこもうとしていたのかもしれない。そればかりでなく、新光社には様々な宗教の光も混じり合い、『近代出版史探索』171の大泉黒石『老子』、『同Ⅳ』659のピッシェル『仏陀の生涯と思想』、『同Ⅳ』696の三井晶史『法然』も寄り添っていたのである。これらに『近代出版史探索』100の「心霊問題叢書」の刊行を加えれば、大正時代の新光社と仲摩照久の出版環境が浮かび上がってくるだろう。

 さて『神を探す黒人娘の冒険』のほうだが、昭和八年に草深九万一を発行者とする日本橋区本町の暁書院から刊行されている。このシヨウの一七一ページの作品はここでしか翻訳されていないと考えられる。ストーリーを紹介してみよう。

 白人の宣教師はまだ三十歳に達しない小柄な女で、故郷のアイルランドの裕福な家族の中に魂の満足を見出せず、わざわざアフリカの森林地にあって、子供たちにキリストを愛し、十字架を敬慕する道を教えこもうとしていた。しかし彼女は続いて六人の牧師と婚約したけれど、たちまちのうちに解消され、牧師の一人は自殺に追いやられていた。それで彼女は婚約で男をたらしこむような歓喜を伴う遊戯を止めることを決心し、アフリカへとやってきたのである。そして彼女は黒人娘を改宗させようとしたが、その娘は「立派な存在物」で、不意打ちのように「神様は何処に居るの」と質問するのだった。

 だが、それにしても彼女が、黒人娘に読書を教へて、その誕生日に黒人娘に聖書を与へたと云ふことは、恐らくは早計であつたと云はざるを得まい。何故ならば、此の黒人娘は彼女が聖書から抜き出した解答を、そのまゝ言葉通りに受け取つてしまひ、早速瘤付棒を掴むでづかゝゝと阿弗利加の森林に、持てる聖書を唯一の案内書と頼みながら神を探しに出かけて行つてしまつたからである。

 そこから彼女の神を探す冒険がはじまっていくのだが、それらの神は原著The adventures of the black girl in her search for Good 所収のJohn Farleighのそれぞれの挿絵とともに出現し、展開されていく。その挿絵は函と口絵にも使われ、この寓話小説に独特の印象を生じさせている。

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 版元の暁書院だが、ここで初めて目にする。巻末広告にはやはり加藤朝鳥『最新思潮展望』、石川三四郎『古事記神話の新研究』、フランク・ノリスの犬田卯訳『オクトパス』が掲載されている。『オクトパス』は拙稿「ドライサー『シスター・キャリー』とノリス『オクトパス』」(『近代出版史探索外伝』所収)でも取り上げているように、ゾラの『大地』の影響下に書かれた農民小説で、犬田は『近代出版史探索』192でも既述しておいたが、『大地』の訳者であり、必然的に『オクトパス』も翻訳するに及んだと見なせよう。

大地 (ルーゴン=マッカール叢書)

 本当に新光社ではないけれど、大正から昭和に入っての翻訳出版は本探索でも追跡してきた譲受出版も多くあることも絡んで、錯綜しているというしかないという思いにもかられてしまう。


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