柳田泉編『世界名著解題』は発行所を春秋社、発売所を松柏館として刊行されている。これはあらためていうまでもないけれど、編集と生産は春秋社、流通と販売は松柏館が担うという同族会社の出版分業システムと見なすべきであろう。つまり取次口座は松柏館名で設けられていることになる。これが逆であれば、ただちに納得できるのだが、そこがよくわからないところである。
(『世界名著解題』)
本探索でもそのような実例をかなり取り上げてきているが、すでにマス雑誌は刊行していないながらも、中堅出版社のポジジョンを確保していたはずの春秋社が、どうして後発の松柏館を介在させて流通と販売を委託することにしたのだろうか。それは松柏館の謎でもあるし、同時に松柏館を通じて多く刊行された昭和十年代の前半の探偵小説の謎に他ならない。それはすでに『近代出版史探索』89の「探偵小説、春秋社・松柏館」でも既述しているが、ここでも再び言及してみよう。先の拙稿でクロフツの『ポンスン事件』を挙げていたけれど、巻末に掲載された探偵小説リストを示していない。ここではそれらの三十二冊をリストアップしてみる。
1 | 夢野久作 | 『ドグラ・マグラ』 |
2 | 大下宇陀児 | 『毒環』 |
3 | 木々高太郎 | 『睡り人形』 |
4 | 夢野久作 | 『氷の涯』 |
5 | 水谷準 | 『われは英雄』 |
6 | 江戸川乱歩 | 『人間豹』 |
7 | 甲賀三郎 | 『死頭蛾の恐怖』 |
8 | 海野十三 | 『火葬国風景』 |
9 | 小栗虫太郎 | 『オフエリヤ殺し』 |
10 | 大下宇陀児 | 『殺人技師』 |
11 | 横溝正史 | 『鬼火』 |
12 | 江戸川乱歩 | 『日本探偵小説傑作集』 |
13 | エレリー・クイーン、露下弴訳 | 『和蘭陀靴の秘密』 |
14 | 江戸川乱歩編、小酒井不木傑作集 | 『闘争』 |
15 | ガボリオ、田中早苗訳 | 『ルルージュ事件』 |
16 | 渡辺啓助 | 『地獄横丁』 |
17 | スカーレット、森下雨村訳 | 『白魔』 |
18 | 大下宇陀児 | 『狂楽師』 |
19 | 浜屋四郎 | 『殺人鬼』 |
20 | 江戸川乱歩、大下宇陀児編 | 『浜屋四郎随筆集』 |
21 | ビガース、露下弴訳 | 『観光船殺人事件』 |
22 | ルブラン、保篠龍緒訳 | 『二つ靨の女』 |
23 | トムソン、廣播洲訳 | 『探偵作家論』 |
24 | 小栗虫太郎 | 『紅殻駱駝の秘密』 |
25 | 蒼井雄 | 『船富家の惨劇』 |
26 | 水谷準選 | 『現代世界探偵小説傑作集』 |
27 | 北町一郎 | 『白日夢』 |
28 | 多々羅四郎 | 『臨海荘事件』 |
29 | 江戸川乱歩 | 『感想集 鬼の言葉』 |
30 | デーヴィス、延原謙訳 | 『霧の夜』 |
31 | クロフツ、井上良夫訳 | 『ポンスン事件』 |
32 | セイヤーズ、黒沼健次訳 | 『大学祭の夜』 |
このリストを挙げてみようと思ったのは、十年以上前に裸本の31『ポンスン事件』を入手しただけだったが、ようやく最近になってこれも裸本の23『探偵作家論』を見つけたからである。それに加え、住所を同じくする春秋社・松柏館の探偵小説シリーズはいずれも稀覯本に属するようで、かつて目にしたある古書目録には10『殺人技師』、28『臨海荘事件』がそれぞれ十五万円、27『白日夢』は十八万円、11『鬼火』は二十五万円、9『オフエリヤ殺し』は四十五万円、24『紅殻駱駝の秘密』に至っては五十万円という初版函付古書価がつけられていた。同じ目録で夏目漱石『門』の初版函付が十二万円とされていたことからすれば、それらの古書価の高いことが明らかだし、初版函入の美本はほとんど見出されないことを意味していよう。
私の手元にあるのは二冊とも函なし裸本なので千円台だったと記憶しているが、先に挙げた古書目録のカラー書影と比べると、まったく別のシリーズのようで、いささか残念な気にさせられる。それに『ポンスン事件』の訳者の井上良夫はその奥付住所から名古屋在住で、先のリストには見えていないが、C・ブッシュ『完全殺人事件』も翻訳しているとわかる。だがトムソンの『探偵作家論』は『海外ミステリー事典』(新潮社)に著者名とタイトルがあるだけだし、訳者の廣播洲に関しても、井上と異なり、奥付に住所記載はなく、ペンネームだと思われる名前の由来も不明のままだ。
それでも原書と共訳者は判明していて、原書はH.Douglas.Thomson, Masters of Mystery―A Study of The Detective Story(Wm.Collins Son & Co.Ltd,1931)で、廣の「訳者メモ」には共訳者は「畏友」武井武夫とある。またそこには「本書が一般探偵小説愛好家、特に自ら創作を試みんとする人々に取つて必読の書」との言も付されている。ただ森英俊編著『世界ミステリ作家事典[本格派篇]』(国書刊行会)の「作家論」書誌において、「ミステリ作家論の先駆的名著、黄金時代の本格派に関する記述が充実。ただし、邦訳は意味の通じない箇所が多い」と評されている。
それはともかく、昭和円本時代を迎え、『近代出版史探索Ⅱ』386の平凡社の『世界探偵小説全集』を始めとする海外ミステリの翻訳紹介が始まっていたけれど、『近代出版史探索』181などの新潮社「思想・文芸講話叢書」に連なる『探偵小説十六講』といった啓蒙的解説書は出されていなかったはずなので、それに類する『探偵作家論』は読者にとっても好意的に迎えられたのではないだろうか。
(『世界探偵小説全集』)
しかも春秋社・松柏館探偵小説シリーズとしては、唯一の海外探偵小説作家論の翻訳であり、20『浜尾四郎随筆集』や29の乱歩『感想集 鬼の言葉』と並んで、「探偵王国春秋社」が送り出した三大探偵小説、作家論といっていいようにも思われる。『春秋社図書目録創業100年二〇一八年版』所収の「年次刊行書目」をたどってみると、これらの探偵小説の刊行は昭和十年から十二年にかけてで、先にリストアップした以外に、コナンドイル『世界の終り』、ベントレイ『トレント自身の事件』、シムノン『下宿人』『情死』なども加わり、この三年間で五十冊以上が刊行されたと推測される。それを確認するためにはもう一編続けて書かなければならない。
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