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古本夜話1245「新進作家叢書」と志賀直哉『大津順吉』

 前回の『代表的名作選集』と「新進作家叢書」のラインナップをあらためて通覧し、大正時代における新潮社のこのふたつのシリーズが、大正文学の確立と広範な普及において大きな役割を果たし、影響を与えたことを実感した。だから続けて「新進作家叢書」にもふれておくべきだろう。

f:id:OdaMitsuo:20220212120644j:plain(『代表的名作選集』35、『善心悪心』)f:id:OdaMitsuo:20220215114046j:plain:h113(「新進作家叢書」4、『大津順吉』)

 それらのことをふまえると、紅野敏郎が『大正期の文芸叢書』で、「新進作家叢書」を巻頭にすえ、「新潮社が企画し、長期にわたって推進した『新進作家叢書』全四十五冊。これこそ大正文学の中軸を形成した新進の作家の集団として、本人の意思を離れた、客観的な存在として、私たちの前に佇立する」と始めていることも了承できる。大正を通じての新潮社の「新進作家叢書」と『代表的名作選集』の長きにわたる、合わせて八十九冊の刊行は、明治時代と異なる新たな文学市場を開拓し、昭和円本時代を用意したともいえよう。

 大正期の文芸叢書

 しかしそうした文学書出版の実績と貢献にもかかわらず、近代文学の円本の嚆矢が『近代出版史探索Ⅵ』1062などの改造社の『現代日本文学全集』だったのは、新潮社にとって地団太を踏む思いであったにちがいない。そのような企画の思いつきによる抜けがけや競合は円本時代に顕著であるばかりか、近代出版史において、しばしば目にする。だが新潮社の場合には改造社に先駆けされただけでなく、『近代出版史探索Ⅵ』1098などの春陽堂の『明治大正文学全集』にも後追いされたことからすれば、日本文学全集企画に関して悔やんでも悔やみきれない思いがつきまとっていたと考えられる。その新潮社のトラウマの残像が『近代出版史探索Ⅵ』1053の『現代小説全集』、同1056『現代長篇小説全集』、同1058『昭和長篇小説全集』、同1060『日本文学大辞典』の企画出版だったのではないだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20200413114445j:plain:h120(『現代日本文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20200905130353j:plain:h120(『明治大正文学全集』) f:id:OdaMitsuo:20200711092903j:plain:h118(『現代小説全集』) f:id:OdaMitsuo:20200716195213j:plain:h120 (『現代長篇小説全集』)f:id:OdaMitsuo:20200719113543j:plain:h110(『昭和長篇小説全集』)f:id:OdaMitsuo:20200720113608j:plain:h110

 だがここでは「新進作家叢書」についてなので話を戻すと、私は横着な古本探索者であることに加え、出かけている古本屋も限られ、知見も狭いので、これまで「新進作家叢書」に出会っていない。それに『代表的名作選集』にしも、最近になって浜松の時代舎で入手したばかりだ。ただ書影は『新潮社四十年』などで見ているし、それこそ紅野の『大正期の文芸叢書』にはカラー口絵写真として、最初のページに掲載された、その1の武者小路実篤の『新らしき家』、45の稲垣足穂『鼻眼鏡』の印象も強い。

f:id:OdaMitsuo:20210512105601j:plain:h110(『新潮社四十年』)f:id:OdaMitsuo:20220215161757j:plain:h115(『鼻眼鏡』)

 ところが例によって、架蔵しているのは近代文学館複刻の4の志賀直哉『大津順吉』と8の芥川龍之介『煙草と悪魔』にすぎない。ここでは前者についてふれてみたい。この志賀の表題作の中編『大津順吉』は明治四十五年九月に『中央公論』に発表され、それまでの『白樺』寄稿作品と異なり、初めて原稿料を得た自伝的小説である。それは志賀が内村鑑三の許に通い、東京帝大英文科に入学した翌年の明治四十年に家の女中と結婚しようとしたことで、父との不和が決定的になったことを小説化したものであった。 

大津順吉 (新選 名著複刻全集 近代文学館) (『大津順吉』)f:id:OdaMitsuo:20220213161607j:plain:h118(『煙草と悪魔』)

 尾崎一雄は自伝『あの日この日』(講談社)において、大正五年に『大津順吉』が掲載された『中央公論』バックナンバーに出会った。彼はそれを読み、中学五年生だったけれど、同時掲載の長田幹彦「尼僧」との相違に驚き、「小説といふものにつき、改めて考えなおした」「私流の文学開眼ともいふべき出来事だつた」と回想している。またさらに「文章にも驚いた。かういふ文章には初めて出逢つた。描かれたことと、読む者との間に、邪魔ものが一つも無い」とも思ったのである。

あの日この日〈1〉 (1978年) (講談社文庫)

 そのようにして尾崎は古本屋で志賀が我孫子から京都へ移る際に、手放した『白樺』の大揃いを購入するなどの「志賀一辺倒」となった。これは紅野が『大正期の文芸叢書』で挙げているエピソードだが、周りの友人たちが志賀の存在を十分に意識していなかったので、「新進作家叢書」の『大津順吉』が刊行されると、何十冊か購入し、友人たちに読むようにと勧めたという。このエピソードから判断できるように、尾崎たちの世代は「新進作家叢書」を通じて、大正時代の新進作家たちを知り、同時代人としての文学に接近していったと推測される。

 この一文を書くために、未読であったアンカットの複刻版にペーパーナイフを入れながら読んだのであるが、一世紀前の出版に対して、リアルタイムで手にした読者たちの期待に充ちたときめきを想像できるように思った。菊半截判の二〇〇ページ前後のコンパクトで瀟洒なフランス的な「新進作家叢書」は大正期の新たな文学世界への誘いに充ちていたのではないだろうか。

 それは尾崎のような若年の読者たちだけでなく、自らも「新進作家叢書」の12の『神経病時代』を上梓していた広津和郎にもうかがうことができよう。広津は同時代文芸評論集『作者の感想』(聚英閣、大正九年、近代文学館複刻)において、志賀の『大津順吉』のみならず、「同叢書」の作家たちである江馬修、武者小路実篤、相馬泰三、佐藤春夫、加能作次郎、芥川龍之介、谷崎精二などを論じ、また言及していることにも明らかだと思われる。全四十五冊という長いシリーズゆえに明細リストを挙げられないのが残念だが、そちらは『日本近代文学大事典』第六巻などを参照されたい。

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