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古本夜話1247 近代出版社と相馬御風、相馬泰三訳『復活』

 もう一編、新潮社と演劇絡みの話を続けたい。佐藤義亮は「出版おもひ出話」において、大正三年に島村抱月が松井須磨子と芸術座を立ち上げ、帝国劇場でトルストイの『復活』を旗揚げ興業した際のエピソードを記している。

 それによれば、『復活』の舞台稽古が始まったが、抱月は金の才覚がなく、『近代出版史探索Ⅲ』546の相馬御風が佐藤を訪ね、金策を依頼した。

 間もなく抱月氏が来られての話に依ると、千円もあれば急場が凌げると言ふのである。勿論氏の成功を心から祈つてゐる私は、快くその金を出すと同時に、脚本の出版も引き受けた。
 帝劇の『復活』は破(わ)れるやうな喝采であつた。抱月氏も嬉しかつたらうが、私としてもこの上ない喜びであつた。
 やがて「芸術座」は、『復活』を持つて上野の万国博覧会にも出演したり、浅草で特別興行したりして、須磨子の歌つた「カチユーシヤの唄」――カチユーシヤ可愛や別れのつらさ――は、一世を風靡して、我が国流行歌史上に一大エポツクを画するに至つた。
 脚本の方は、六七千部出たかと思ふ。出版的には何等語るものは無いが、千円の金でトルストイの『復活』が日本の舞台で脚光を浴びることが出来たといふ事は、今以つて私の楽しい想ひ出の一つである。

 少し長い引用になってしまったけれど、新潮社と演劇の関係を象徴するエピソードにして、佐藤の「楽しい想ひ出の一つである」ので、省略せず紹介してみた。

 確かに「新潮社刊行図書年表」の大正三年のところに島村抱月訳『脚本復活』が見える。そして新潮社は大正五年に「トルストイ叢書」と月刊誌『トルストイ研究』を刊行していくのだが、前者に『復活』の収録はないし、新潮社が『復活』を翻訳刊行するのは大正十三年の中島清訳、昭和二年の世界文学全集』23の昇曙夢訳としてだった。それは『近代出版史探索Ⅱ』218で既述しているけれど、『近代出版史探索Ⅵ』1166、1167の植竹書院から相馬御風、相馬泰三訳で全訳が刊行されていたことにも起因しているのだろう。それに内田魯庵訳『復活』(丸善、大正元年)も挙げられる。

 f:id:OdaMitsuo:20220214142414j:plain:h120(「トルストイ叢書」7『青年』) f:id:OdaMitsuo:20220214141613j:plain:h120(『トルストイ研究』」) f:id:OdaMitsuo:20220214115927j:plain:h120(『世界文学全集』23)

 その二人の相馬訳を浜松の時代舎で入手している。ただそれは植竹書院版ではなく、近代出版社版で、四六判、函入、七〇〇ページの一冊本である。前者は未見だが、後者の三篇構成からすると、三巻本だったとも考えられる。奥付を見ると、定価二円、大正四年三月初版発行、同八年四月十三版発行というロングセラーだとわかる。発行所は神田区表神保町の近代出版社、発行者は根縫与三吉で、いずれもここで初めて目にするものだ。

f:id:OdaMitsuo:20220213180328j:plain:h120f:id:OdaMitsuo:20220213180539j:plain:h119 (近代出版社版)

 これも『近代出版史探索Ⅱ』227,281や『同Ⅵ』1167でも指摘しておいたように、植竹書院の出版物は特価本の三陽堂、東光社、三星社に引き継がれていったが、『復活』は近代出版社が譲受出版したことになる。しかし特価本業界は一筋縄ではいかないし、この十三版だけを近代出版社が引き受けた可能性もあるし、『明治・大正・昭和翻訳文学目録』によれば、大正十二年には三星社版も出ているようだ。『近代出版史探索Ⅵ』1184の成光館版『酒場』の巻末広告で、同じ『復活』を見ている。

明治・大正・昭和翻訳文学目録 (1959年) f:id:OdaMitsuo:20210803111528j:plain:h112(成光館版)

 「序」は相馬御風によって、大正四年三月付で記されているので、これが植竹書院に寄せられたものだとわかる。御風が佐藤のところに抱月の金策にきたのは『同Ⅵ』1170で見たように、新潮社のツルゲーネフの翻訳者で、『御風詩集』『論文作法』『黎明期の文学』『新文学』などの著者であったからだし、その後はトルストイの『人生論』『性欲論』も翻訳している。

 その御風は「序」において、「今や『復活』は、一新劇団の脚色上場によつて、わが国に於ける一つの通俗芸術たるの観がある。そしてニエフリユードフの為めに無き、カチユーシヤの為めに泣く男女が到るところの都市に見られるやうになつて居る」と記す。しかしトルストイの真意はセンチメンタリズムではなく、「復活の大精神」は自由と孤独に基づき、新生し、誠の結びつきの中にあり、それを伝えようとして翻訳したと述べている。

 つまり『復活』の全訳が出される前に、演劇と「カチユーシヤの唄」によって、『復活』が「一つの通俗芸術」になったことを懸念し、ここに全訳が送り出されたのである。だが御風とは逆に、そこに出版ビジネスを想起した人物がいる。それは直木三十五(当時は植村宗一)で、大正七年に杜翁全集刊行会を設立し、申込所を春秋社とし、『トルストイ全集』全十二巻を予約出版する。円本に先駆ける企画として大成功で、三千部の予約が集まったという。

 この全集は一冊しか見ていないけれど、その第七巻の『復活』は高野槌蔵訳とされているが、高野のプロフィルは定かでない。二人の相馬訳は近代出版社の「版権所有」とされているので、どのような関係があるのだろうか。

 なおこの『トルストイ全集』に関しては、必要とあれば、拙稿「春秋社と金子ふみ子の『なにが私をかうさせたか』(『古本探究』所収)を参照されたい。

古本探究


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