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古本夜話1248 山内封介『レーニン』、金星堂、近代出版社

 前回の近代出版社に関して、もう一編書いておきたい。

 その前に山内封介というロシア文学者にふれてみる。彼はやはり前回挙げた新潮社の「トルストイ叢書」の『贋造手形』、及びゴンチャロフ『オブローモフ』の訳者だが、昭和に入ってからは新潮社の訳者としての名前を見ていない。またこれらは未見であり、山内のプロフィルも定かではなかった。

 ところが最近になって、浜松の時代舎で山内の著書を見つけ、購入してきたのである。四六判、函入上製二七七ページの一冊で、函にはレーニンの遺影と追悼する二人の人物が描かれ、その下に赤字で『レーニン』というタイトルが置かれ、小さな活字によるチェチェローネ的紹介があるので、その前半を引いてみる。「レーニンが我々に遺した最も重要な教訓は、労働者と農民とが鞏固なる同盟を結ぶことである。」

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 函にこのような小さな活字による内容紹介を施した例はあまり見ないし、それは巻頭のレーニンのポルトレを始めとする十五ページに及ぶ口絵写真も同様だ。また「序」に示された山内の次のような文言は『レーニン』の基調低音だと見なせよう。

 見よ、彼が露国に投じた革命思想の爆発力を。建国一千年、君主独裁と貴族の特権とを以て堅固に築かれた露西亜帝国なる一大伽藍は、レーニンの投じた爆弾的革命思想に依り、一つの石も一つの石の上に残らぬ迄に、徹底的に破壊転覆せられたではないか。而も此の破壊の跡に燃へ出したプロレターリヤ独裁の火の手は、全露の廃墟に残された一切の旧制度の建物を悉く焼き払ひその炎は天に沖して、一時全世界を震駭驚倒せしめたのである。若しノアの大洪水が、水に依る世界洗礼であつたとすれば、レーニンのプロレターリヤ革命は、正に火に依る世界洗礼の端緒であつた。

 本体の造本は黒地、背文字タイトルは赤であることも、レーニンの「火に依る世界洗礼」を象徴しているのだろう。この「我国に未だ類例なき『レーニン全伝』」の「序」は一九二四年三月の日付で記されていることからすれば、レーニンの死は同年一月であるので、その死の二ヵ月後に書かれ、刊行されたのはそれから一ヵ月後の大正十三年四月である。版元は『近代出版史探索Ⅵ』1142などの金星堂だが、その半年後に『文芸時代』創刊を控えていた。それに加えて、『金星堂の百年』によれば、創業者の福岡益雄は「新潮社に対抗し得る出版社」たらんとする野望があったとされる。

f:id:OdaMitsuo:20200304175256j:plain:h130 (『金星堂の百年』)f:id:OdaMitsuo:20220215140612p:plain

 これらのことを考えると、山内は新潮社のトルストイなどの訳者あり、『レーニン』の企画を持ちこんだところ断わられてまった。だがそれを金星堂が代わりに引き受け、出版に至ったではないだろうか。それに巻末広告は『近代出版史探索Ⅱ』202の「随筆感想叢書」が並び、少ないとはいえ、伏字処理を施した『レーニン』とはそぐわないし、持ち込み企画と見なすべきであろう。

 さて前置きが長くなってしまったけれど、この『レーニン』の奥付を見ていて、奇妙なことに気づいたのである。前回、『復活』の近代出版社の住所が神田区表神保町十、発行者は根縫与三吉で、出版社も発行者も初めて目にすると既述しておいた。ところが『レーニン』の奥付に示された住所も神田区表神保町十で、近代出版社と同じなのだ。念のために『近代出版史探索Ⅵ』1143で言及した金星堂の別会社上方屋の住所も確認すると、こちらも同じであった。

 ということは『金星堂の百年』にも示されていないけれど、金星堂はもうひとつの別会社である近代出版社で、廃業したり倒産したりした出版社の紙型による譲受出版を営んでいたと考えられる。実際に金星堂としても東亜堂や阿蘭陀書房などの譲受出版を手がけていたし、またこれは『金星堂の百年』で教えられたのだが、大正十四年に『新時代小説集・第一輯』が出されているという。これは新時代文芸社を版元とする一冊で、『文芸時代』創刊号から第6号までの返品の本文ページを合本し、巻頭に目次を付し、リサイクルしたものである。この住所は表神保町、編集兼発行者は門野虎三とされているので、表神保町十とみなしていいし、門野は金星堂と上方屋の営業責任者である。

 このような事実からすると、別会社としての上方屋は実用書や音楽書などが多かったので、『復活』のような大部の翻訳書は出版や翻訳事情もあり、金星堂や上方屋から刊行することはできず、近代出版社がそれを担ったのではないだろうか。おそらく発行者の根縫与三吉にしても、門野の別名か、金星堂関係者のようにも思われる。前回示した『復活』の驚くほどのロングセラー化は、それらにまつわる流通と販売にもよっているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20220213180328j:plain:h120f:id:OdaMitsuo:20220213180539j:plain:h116 (近代出版社版)


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