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古本夜話1259 山崎斌編『藤村の手紙』と新英社

 前回の自然社に関する一文を書いた後で、浜松の時代舎に出かけ、山崎斌絡みの一冊を見つけてしまったのである。やはり続けて書いておくしかない。彼は既述したように、自然社から処女作長篇『二年後』を刊行し、それが前田河広一郎の、これも第一創作集『三等船客』巻末の一ページ広告に見えていた。

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 ただ時代舎で入手したのは小説ではなく、山崎斌編『藤村の手紙』で、菊判函入、上製二一五ページ、しかも函は深紅で、その上部中央に草色の題簽が貼られ、横組黒ぬきでタイトルなどが記されている。版元の新英社の住所は麹町区内幸町大阪ビル内、発行者は神田区神保町の山崎庄次郎とある。巻末広告によれば、既刊は吉川英治『草思堂随筆』で、定価も『藤村の手紙』が九十銭に対して、こちらは日本画家の中村岳陵による「釘・清製」、二円二十銭とされている。おそらく相当な美本のように見受けられる。

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 しかし藤村や吉川英治はともかく、新英社はここで初めて目にするし、山崎にしても馴染みが薄いので、『日本近代文学大事典』を繰ってみると、次のような立項に出会った。前半の部分を引いてみる。

 山崎斌 やまざきあきら 明治二五・一一・九~昭和四七・六・二四(1892~1972) 小説家、評論家。長野県東筑摩郡麻績村生れ。国民英学舎に学び、二三歳から漂浪生活に入り、「京城日報」編集等を経て大正八年朝鮮から帰京。「青年改造」を出したが帆足事件で解散。一〇年の処女作『二年間』をはじめ、『結婚』(大一一・一一 アルス)や短篇集『郊外』(大一一・一二 二松堂)『静かなる情熱』(大一二・五 アルス)、評論集『病めるキリスト教』(大一三・七 弘文社)などで名を成す。一三年二月、赤松月舟、鷹野つぎらと「芸術解放」を出し、『女主人』(大一三・九 アルス)『犠牲』(大一四・八 芸術解放社)、評論集『藤村の歩める道』(大一五・七 弘文社)などを刊行。しだいに風俗小説的な傾きを見せつつ、やがて「月明」を主宰。(後略)

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 この立項からは見えてこないけれど、山崎は藤村に師事していたらしく、そこに挙げられた『藤村の歩める道』以外にも、『藤村田園読本』が数冊編まれているようだ。『藤村の手紙』にしても、そうした山崎と藤村の関係から持ちこまれた企画と見なしていいし、その「はしがき」で、山崎は「新英社よりの懇嘱によつて、これが編著を行つた」と述べ、「全著作の中に求めて、消息を見るべき九十五冊を編したもの」と断わりが入っている。

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 それらは春夏秋冬の日とその他の雑に分かたれ、『近代出版史探索Ⅵ』1009、1010の『飯倉だより』や『仏蘭西だより』などからも引かれ、藤村の「好んで選ばれる手法が時に消息即ち手紙の体をなす」とも指摘している。つまりそれが藤村の採用する「だより」というタイトルに象徴されていることになり、山崎は次のように「はしがき」を結んでいる。

 或ひは古人にこたへ、或ひは知己に語り、或ひは後来に訓へたる各様の消息は、先生の情熱を内蔵していよゝゝ簡潔に、しかも即つて太しく香気して、編著をして善美の花鬘を編むおもひをさせた。以て一大詩集を纂むるの心であり、また最も真率清新なる書簡文範を輯むるのこゝろであつた。

 まさに『藤村の手紙』は師弟のコラボレーションによって成立した一冊であり、それを象徴するかのように、奥付の検印紙にはめずらしいことに藤村と山崎の二人の印が押されている。印税の取り分は定かでないけれど、師の弟子に対する相互扶助的配慮ということなろう。

 しかし昭和十年代の新英社もさることながら、大正時代後半の文学者たちと出版社をめぐる関係は前回の自然社を始め、錯綜していて判然としない。山崎の立項のところに『青年改造』の創刊と帆足事件による休刊とはどのような経緯と事情が絡んでいるのだろうか。続けて鷹野つぎたちとの『芸術解放』(芸術解放社、大正十三年)も挙がっているが、これは『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」に解題を見出せるけれど、何号出されたのかも不明で、創作も評論も際立ったものはないとされ、よくわからない印象を否めない。

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 それから鷹野つぎだが、拙稿「鷹野弥三郎、新秋出版社、『文芸年鑑』」(『日本近代文学館年誌資料探索』16所収、2021・3)において、彼女が夫の鷹野弥三郎とともに、新秋出版社を営み、初めての『文芸年鑑』や『文壇出世物語』(復刻 幻戯書房)を編纂刊行していたことを指摘しておいた。

www.bungakukan.or.jp文壇出世物語

 これらの文学者たちといくつもの出版社をめぐる謎と関係のことを考えるにつけ、『近代出版史探索Ⅳ』557の筑摩書房版『大正文学全集』が未刊に終わったことが悔やまれてならない。


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