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古本夜話1258 前田河広一郎『三等船客』、自然社、「新人叢書」

『近代出版史探索Ⅳ』783や『同Ⅵ』1061の前田河広一郎は戦旗社「日本プロレタリア作家叢書」には見えていなかったが、本探索1253で挙げておいたように、日本評論社『日本プロレタリア傑作選集』には『セムガ』が収録されていた。それは未見だけれど、大正十一年の第一創作集『三等船客』の自然社版は入手している。同書は『大正文学アルバム』(「新潮日本文学アルバム」別巻)などで書影だけは見ていたが、初めて手にするものだった。

  大正文学アルバム 新潮日本文学アルバム〈別巻 2〉

 『三等船客』は函入上製の一冊で、本体表紙には「三等船客」を想起させる九人の男女の顔のスケッチが施されているのだが、それらの装幀や絵は誰によるのかの記載はない。これは「三等船客」「路傍の人々」「熊さんの死」「地獄」「マドロスの群」の五作の中短編を収録した「創作」集で、奥付には大正十一年十月十五日初版、同十一月十日五版とある。定価は二円二十銭、発行者は梅津英吉、発行所は神田区表神保町の自然社である。

 実はこの東京堂の裏にある「プロレタリア的な文学書の草分け出版屋」に小川未明の紹介で勤めていたのが、前回の壺井繁治だった。梅津は「房州出身の本屋の小僧上がり」で、壺井の仕事は、『激流の魚』に述べられているように、取次回りや出荷、直接注文の発送などの雑用だった。しかしこの「小っぽけな出版社」の仕事が戦旗社の範となったことは疑いを得ない。しかも壺井が入社した時、『三等船客』は「プロレタリア文学のベストセラーの一つ」で、五千部以上に達していたという。それらはともかく、驚いたのは巻末広告で、そこには自然社「新人叢書」の「使命」が一ページを使って、次のように述べられていたことだ。

激流の魚―壷井繁治自伝 (1966年)  

 ◇ 一切の疲倦と因襲とを打壊して生鮮なる創造的進化を欲するものは新しき力に待つよりも外はない。この近代的要求を使命として吾が新人叢書は生れ出た。
 ◇ 新しき力は人生の現実的凝視と生々しい人間苦の体験とを豫件とした芸術であり思想であらねばならぬ。
 ◇ それは生命そのものから静かに湧き出づる人間愛の精神となり又民衆のために叫ぶ正義的痛憤ともなる。
 ◇ その芸術その思想それが新社会を呼ぶ曙の声でなくて何であらう。

 そして次ページに、既刊として、新井紀一の長篇小説『燃ゆる反抗』、中西伊之助創作集『死刑囚と其裁判長』、藤井真澄戯曲集『妖怪時代』、近刊として伊藤貴麿『創作集』、其他新人の創作、評論、詩集が挙げられている。また続いて山崎斌処女作長篇『二年後』、福永挽歌創作『夜の海』の各一ページ広告もあるのだが、これらが「新人叢書」に入るのかは定かでない。
 (『燃ゆる反抗』)

 そこでとりあえず紅野敏郎の『大正期の文芸叢書』を開いてみると、「新人叢書」(自然社)」という一章があった。かつて目を通していたはずなのに失念していたのである。ただ紅野も、自然社からこの「シリーズが刊行されていたことは意外に知られていない」と最初に書いている。

大正期の文芸叢書

 紅野によれば、「新人叢書」として刊行されたのは先に挙げた新井と中西の作品の他に、綿貫六助『霊肉を凝視めて』、十一谷義三郎『静物』で、いずれも創作集である。結局のところ、刊行されたのは四冊だけで、前述の藤井の戯曲集、伊藤の『創作集』は出されず、山崎や福永の作品は「新人叢書」ではなかったことになる。

 だが『日本近代文学大事典』の藤井や福永の立項により付記しておくと、藤井の『妖怪時代』は大正十二年に『近代出版史探索Ⅲ』533の文武堂から「現代脚本叢書」の一冊として刊行されているようだ。また福永の『夜の海』は大正九年に東京評論社から出されていて、こちらは再版だとわかる。ただ紅野の『大正期の文芸叢書』には新潮社の「現代脚本叢書」はとり上げられているけれど、文武堂のそれは見当たらないし、東京評論社への言及もない。ということは紅野の探索から漏れている叢書がまだいくつかあると見なすべきかもしれない。

 それに加えて、『近代出版史探索Ⅵ』1061で推測しておいたように、自然社は関東大震災によって消滅してしまったとも考えられ、『大正期の文芸叢書』においても、自然社と発行者の梅津英吉のプロフィルは判明していない。『三等船客』と「新人叢書」の刊行は、関東大震災前の大正十一年から十二年にかけてなので、自然社の出版活動は二年ほどだったとも考えられ、それが手がかりをたどれない要因ともなっているのだろう。

 それでも「新人叢書」の「使命」でも見たように、「生鮮なる創造的進化」のためには「新しき力」が必要で、「この近代的要求を使命として吾が新人叢書は生れ出た」し、「新しき力」こそが「新社会」を用意する芸術や思想でなければならないという宣言からすれば、前田河に象徴されるプロレタリア文学をコアとして企画されたにちがいない。壺井は梅津が「小僧時代にいろいろ苦労して、彼なりに体験したこの社会の不合理や矛盾」を通じて、プロレタリア文学運動に接近したのではないかと推測している。

 新井の自然社版『燃ゆる反抗』は入手していないけれど、これは『中央公論』の大正十一年七月号に『友を売る』として発表されたものを改題し、自然社の「新人叢書」に収録されたのである。現在は『初期プロレタリア文学集〈4〉』(『日本プロレタリア文学集』4、新日本出版社、昭和五十五年)所収で、読むことができる。

 この中編小説は新井自身の東京砲兵工廠での体験に基づくもので、主人公の浅見は小銃製造所の銃身矯正の仕事についていたが、賃金単価が安いことから、同僚の石井たち五人を中心にして、会社に嘆願書を出そうとしていた。ところがそれが会社創立以来のストライキの扇動とされた。その中で、銃身矯正工たちの分裂や密告も生じ、浅見も戦闘的な石井たちを裏切ることになるのだが、ストライキ未遂事件の首謀者の一人として、憲兵隊の尋問を受けるために連行される。それが冒頭のシーンに描き出され、当時の職工生活と官営工場の労働争議、実際に新井が受けた憲兵隊での屈辱的体験も提出しようとした大正労働文学の代表作とされている。

 その系譜は前田河の『三等船客』に始まり、『友を売る』へと引き継がれていったと見なせるし、自然社は短命であったとしても、それらの誕生と併走した出版社だったことになろう。

 なおアップする前に検索してみると、「神保町系オタオタ日記」(2011.10.01)がすでに「プロレタリア出版社自然社の梅津英吉」を書いていることを知った。
「必読」と付記しておく。
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