大鎧閣は前回の石川三四郎『改訂増補西洋社会運動史』に先行して、大正六年に北一輝の『支那革命外史』を出版している。
それを知ったのは、みすず書房の『北一輝著作集』第二巻所収の『支那革命外史』に付された「本巻のテキストについて」によってだった。そこでは四種の版が示され、ひとつは大正五年の私家版『支那革命党及革命之支那』、後の三つは『支那革命外史』としての大正十年の大鎧閣版、昭和六年の平凡社版、『増補支那革命外史』としての大正十年の内海文宏書店版で、定本は大鎧閣だと明記されていた。これらはすべて未見で、古本屋でも目にしていない。
しかし「解説」にあたる野村浩一「『支那革命外史』について」は、北の「並はずれたスケールの大きさ」と中国を素材とする「奔放なヴィジョン」を見ているが、そうした出版事情や書誌的な事象にはふれていない。松本健一の『若き北一輝』『北一輝論』(いずれも現代評論社)などを始めとする多くの研究書のすべてに目を通しているわけではないけれど、それらの研究において、出版経緯などにはほとんど言及されていない印象が残っている。 処女作『国体論及び純正社会主義』が北の二十三歳の時の自費出版で、発禁処分を受けたことは知られているにしても、この明治三十九年の大著が東京堂、同文館、有斐閣を取次兼書店として流通販売されていた事実を知っている読者は少ないと思う。私にしても『北一輝著作集』第一巻の口絵写真に示された奥付によって、それを初めて認識したのであるから。
さて『支那革命外史』のほうだが、ここでは大正十年の大鎧閣版と昭和六年の平凡社版との関係にふれてみたい。実は後者の場合、これは拙稿「平凡社と円本時代」(『古本探究』所収」)で挙げておいた昭和五年の『世界興亡史論』の一冊なのである。しかもこの『世界興亡史論』には前史があって、『近代出版史探索』104などの『世界聖典全集』の世界文庫刊行会から、大正七年に出された『興亡史論』全二十四巻を継承している。『近代出版史探索Ⅲ』502で、その一冊のナポレオン三世『羅馬史論』を取り上げているが、ラインナップを示しておかなかったので、その正、続編の二十四冊を上げておこう。
正編
1 | 『世界史論進講録』 | レオポルド・フォン・ランケ 著 | 村川堅固 訳 |
2 | 『ケーザル時代羅馬史論』 | ナポレオン三世著 | 長瀬鳳輔 訳 |
3 | 『ペートル大帝時代露西亜史論』 | クリュチェフスキ- 著 | 堀 竹雄 訳 |
4 | 『仏蘭西革命史論』 | ローレンツ・フォン・スタイン著 | 綿貫哲雄 訳 |
5 | 『英国膨脹史論』 | シーレー 著 | 加藤政司郎 訳 |
6 | 『普魯西勃興史』 | フォン・トライチケ 著 | 斎藤茂 訳 |
7 | 『君主経国策』 | マキャヴェルリ著 | 吉田弥邦, 松宮春一郎 共訳 |
8 | 『英国憲政論』 | バジョット著 | 吉田世民 訳 |
9 | 『欧洲思想史』 | ヴィンデルバント著 | 北昤吉, 井上忻治 訳 |
10 | 『宋朝史論』 | 王船山著 | 松井等、前川三郎 共訳 |
11 | 『史論叢録』 上 | 大類 伸 編 | |
12 | 『史論叢録』 下 | 大類 伸 編 |
続編
1 | 『近代建国史』 | 瀬川秀雄編 | |
2 | 『亜歴山遠征史』 | アリアヌス・フラヴィウス 著 | 坂本健一 訳 |
3 | 『印度史観』 | エドワルド・ラプソン, ヴインセント・スミス 著 | 圀下大慧 訳 |
4 | 『欧洲民族文化史』 | イエーリング 著 | 井上忻治 訳 |
5 | 『海戦史論』 | ガブリエ・ダリウ 著 | 加藤政司郎, 松宮春一郎 共訳 |
6 | 『政治哲学』 | アリストテレース著 | 木村鷹太郎 訳 |
7 | 『立国教育論』 | アルフレッド・フィーエー著 | 中島半次郎 訳 |
8 | 『君主経国策批判』 | フレデリック大王 著 | 長瀬鳳輔 訳 |
9 | 『支那近世政治思潮』 | 黄宗羲 等著 | 松井 等 訳 |
10 | 『書簡集録武家興亡観』 | 中村 孝也 纂述 | |
11 | 『史論叢録』 前 | 大類 伸 編 | |
12 | 『史論叢録』 後 | 大類 伸 編 |
この世界文庫刊行会『興亡史論』に対して、平凡社『世界興亡史論』は全二十巻で、四冊が省かれていることになる。それを『平凡社六十年史』の「発行書目一覧」の明細と照らし合わせていると、次のような異同が判明する。正編の9『欧洲思想史』、続編の6『政治哲学』、7『立国教育論』、8『君主経国策批判』、正続共通の11、12『史論叢録』の八冊が『世界興亡史論』のラインナップから漏れている。その代わりにその17は北一輝『支那革命外史』、18はワルシュ、工藤重雄訳『露西亜帝政没落史』、19はバーカー、山口貞孝訳『アメリカ繁栄史論』、20は大類伸編纂『小国興亡論』に差し換わっている。ただし20は『史論叢録』四冊のアンソロジーだと思われる。
これらの巻と内容の差し換えに関して、『平凡社六十年史』は『世界興亡史論』とその内容見本を挙げているだけで、『近代出版史探索Ⅱ』361の『ロシア大革命史』と同じく、他の版元の焼き直しゆえか、残念なことに何の言及もない。そのために大正十年の大鎧閣版『支那革命外史』がどうしてこの『世界興亡史論』に組み込まれたのかという事情は不明である。それでも想像できるのは9の『欧州思想史』の共訳者が一輝の弟の昤吉なので、大鎧閣の紙型流用と目される先述の内海文宏書店版の問題もあり、自らの訳書の代わりに兄の著作を組み入れるように依頼したのではないだろうか。
これで17と20の説明はつくけれど、18と19の二冊の差し換えは何に起因しているのか定かでないし、それほど必要性があったのかはタイトルや訳者名だけでは判断できない。
そもそも大鎧閣からの北一輝の『支那革命外史』の出版にしても、大鎧閣の『解放』の創刊、これも本探索でお馴染みの社会主義者の片山潜、堺利彦、大杉栄などとの北の交流を通じてではないかと推測されるが、管見の限り、そうした証言を目にしていない。まさに大正時代の出版は謎が多いというしかないし、それは大正十二年の改造社の『日本改造法案大綱』も同様だと思われる。
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