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古本夜話1296 日本評論社『日本歴史学大系』と清水三男『日本中世の村落』

 出版は前々回の「社会科学叢書」から十年以上後になるが、続けて同じく日本評論社の『日本歴史学大系』を取り上げておきたい。この『大系』のことは清水三男の『日本中世の村落』を入手したことで知ったのである。本体の裸本は背のタイトルも読めないほどだが、欠落ページはないので、まずは奥付裏に挙げられたラインナップを示す。なお番号は便宜的に付している。

 (戦後版)
 

1  山内清男 『日本文化の黎明』
2  肥後和男 『日本古代史に於ける神話と現実』
3  川崎庸之 『日本上代史に於ける思想と仏教』
4  北山茂夫 『律令体制の構造』
5  竹内理三 『律令体制衰亡期の諸問題』
6  小林良正 『日本中世商業史』
7  清水三男 『日本中世の村落』
8  鈴木良一 『日本中世に於ける政治と経済』
9  中村吉治 『徳政論』
10  船越康壽 『崩壊期荘園の研究』
12  児玉幸多 『近世農村社会史』
13  石井孝 『幕末外交史』
14  信夫清三郎 『近代日本産業史序説』
15  大久保利謙 『現代日本史』
16  羽原又吉 『日本漁業史』


 もう一人の著者として寶月圭吾が挙がっているが、「題未定」となっている。既刊書は7の他に14の信夫清三郎『近代日本産業史序説』の二冊だけで、その後何冊刊行されたのかは確かめていない。ただ7の『日本中世の村落』は菊判上製、索引も含めて四五六ページ、昭和十七年十月第一刷、同十八年六月第二刷とあることからすれば、続刊が出たとしても数冊だと見なせよう。

 私にしても『近代出版史探索Ⅵ』1116の『校註日本文学大系』を始めとする時代のトレントとしての『大系』シリーズにふれているが、『日本歴史学大系』は知らなかったし、清水と『日本中世の村落』しても、大山喬平・馬田綾子校注の平成八年の岩波文庫の刊行によってである。それを読むことで、清水が日本中世史研究のパイオニアで、同書が中世荘園制のもとでの自然村落の事態を探り、中世農民の豊かな農耕生活と芸能文化を浮かび上がらせた名著であることを教えられた。

日本中世の村落 (岩波文庫)  (『校註日本文学大系』)

 それだけなく、清水が昭和十三年に治安維持法違反で逮捕され、それ以後思想犯として警察の保護観察下にあり、その間に『日本中世の村落』も書かれ、続いて召集され、敗戦でシベリア送りとなり、スーチャン捕虜収容所で戦後の二十二年に死亡したことも。『近代日本社会運動史人物大事典』を引いてみると、確かに立項され、京都帝大史学科出身で、和歌山商業教授で、マルクス主義の洗礼を受け、中井正一たちの『世界文化』同人、寄稿者で検挙されていることがわかった。

近代日本社会運動史人物大事典

 それらのことは驚くに値しないが、次のような「解説」の文言にはいささか途惑ってしまうのである。

 中世という時代は「村落が国家生活の基礎」をなしていた時代であると清水は述べる。清水にとって村落は近年の一部の歴史家によって唱えられているごとき文化的に痩せ細った村落ではない。彼にとって中世の村落とはそこに混有されている都市的要素によって特徴づけられていた。「中世においても文化的政治的中心として都市があり、・・・・・・その都市的要素は近世・現代の如く、少数の都市に集中せず、比較的地方散在的であり、・・・・・・村落自体の中に都市的要素が現代、近世よりもより多く混有されていた」というのである、こうした都市認識は正当なものである。網野善彦に代表されるような近年の研究は非農業民や都市的要素を中世村落から峻別させすぎており、もともと豊かであった中世村落の概念をひどく貧しいものにしてしまった。

 この大山による「解説」は私憤をぶちまけているような印象を与え、清水の著作の岩波文庫化に乗じた中世村落をめぐる東西の中世史学アカデミズムの代理戦争のようにも思える。

 それを裏づけるのは林屋辰三郎の名前が出てくることで、清水は出版に際し、後輩の林屋に一編の論文を託し、林屋は敗戦直後に京都の地に日本史研究会を創設し、機関誌『日本史研究』を創刊する。そしてそこに清水から託された論文を載せ、その帰国を待ったとされる。清水は帰ってこなかったが、日本史研究会は内外に代表するとして、戦後歴史学を担い、東京の歴史学研究会に対置されている。
 
 林屋といえば、京都史学アカデミズムの重鎮で、岩波書店からも『中世芸能史の研究』などの主要な著作を上梓していることから類推すれば、大山の「解説」は林屋の意をくんでのことだったとも見なせよう。そこで『日本歴史学大系』に戻ると、そこに林屋の名前はない。ここでもその企画と人選をめぐって、東西の史学アカデミズムの内紛がすでに起きていたかもしれないし、出版をめぐる遺恨とトラブルは複雑に絡み合い、戦後まで持ちこされたとも考えられるのである。

 なお後の調べによって、『日本歴史学大系』は古島敏雄『 近世日本農業の構造』と石井孝『幕末貿易史の研究』が続けて刊行されたことが判明した。


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