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古本夜話1305 エスペラントとエロシェンコの来日

 前回ふれたエロシェンコは『日本アナキズム運動人名事典』だけでなく、『近代日本社会運動史人物大事典』『日本近代文学大事典』にも立項されるという異例の扱いを受けている。それはいずれもかなり長いもので、この盲目のロシア人が、いわばアイコン、もしくはトリックスター的な役割を果たし、大正時代の文学や社会運動に広範な影響を及ぼしたことを物語っていよう。まずはそれらを参照し、エロシェンコの簡略なポルトレを描いてみる。

日本アナキズム運動人名事典 近代日本社会運動史人物大事典 日本近代文学大事典

 エロシェンコは一八八九年ロシアのクールスク州、現在のウクライナに生まれ、四歳ではしかのために盲目となる。モスクワ第一盲学校卒業後、ロンドン王立盲人音楽師範学校に留学し、大正三年に日本エスペラント協会の中村精男をたよって来日し、東京盲学校特別研究生となる。大杉栄、竹久夢二、秋田雨雀、相馬黒光たちと交遊し、『早稲田文学』などに日本語による作品を口述筆記で発表し、認められる。

 大正五年に来日したインドの詩人タゴールと出会い、アジアの小民族の生活を知るために大、ビルマ、インドに向かうが、八年にインド政府からボルシェヴィキの疑いで追放され、再来日する。早大聴講生となり、次々に童話を発表し、第二次『種蒔く人』同人に加わり、叢文閣から『夜あけ前の歌』『最後の溜息』(いずれも大正十年)を刊行する。ところが今度は日本政府から危険人物として追放され、中国へと赴くことになる。

(『夜あけ前の歌』)(『最後の溜息』)

 これが大正三年の来日から十年の追放に至るまでのエロシェンコのラフスケッチだが、そうした軌跡に高杉一郎の「盲人詩人エロシェンコの生涯」を描いた『夜あけ前の歌』(昭和五十七年、岩波書店)、藤井省三「1920年代 東京・上海・北京」のサブタイトルが付された『エロシェンコの都市物語』(みすず書房)を参照し、付け加えてみる。

夜あけ前の歌―盲目詩人エロシェンコの生涯 (1982年) エロシェンコの都市物語―1920年代 東京・上海・北京

 エロシェンコがモスクワ盲学校で過ごした一八九九年から一九〇七年にかけての九年間は、ロシアにおいてマルクス主義者たちの労働運動や農民運動の流れが一九〇五年の第一革命に向かって昂揚しつつあった時代だった。文学的にはゴーリキーやトルストイの時代でもあったが、エロシェンコの精神形成に決定的役割を果たしたのはザメンホフとそのエスペラントだった。彼は一八五九年にユダヤ人教育家の長男としてリトアニアに生まれ、ひとつの夢を育んでいた。それは高杉によれば、「どの国民のものでもない、中立の、人類のためのたったひとつの言語をつくろう。そして、いろいろな民族の憎しみが消えさり、おたがいが一家族のように理解しあい、愛しあえる幸福な時代を生みだすのに役だてようという夢」であった。彼は十九歳で「あたらしい人工世界語の形」をつくりあげ、七九年にモスクワの大学医学部、続いてワルシャワ大学で医師免状を取得した八五年に至り、エスペラントは完成した。八九年にはモスクワでエスペラント会も創立され、一九〇〇年のパリ万国博の教育館ではエスペラント展覧会が開かれた。そして日露戦争下の〇五年にはフランスのブーローニュで第一回世界エスペラント大会が開催されたのである。

 このような革命と戦争、エスペラントの時代に盲学校生エロシェンコは生きていたし、必然的にエスペラントを学び、自由に話せるエスペランティストとなっていった。留学したイギリスでもエスペランティストの支援を受け、英語も取得し、亡命の地にあったクロポトキンにも会ったが、その自由な行動から放校され、日本でも盲人が鍼やマッサージで自活していることを聞き、「日本へいこう!」と思ったのだ。藤井の『エロシェンコの都市物語』では、「日本では盲人が医業を職業としていると知り、自らも鍼灸按摩を学ぶために東京盲学校を目指した」と述べてられている。

 エロシェンコはそのためにまず日本語を覚えようとして、留学生の島野三郎から日本の小学読本をテキストとして学び、半年足らずで簡単な日本語会話ができるようになった。本探索の読者であれば、ご記憶あるかもしれないが、島野は『近代出版史探索Ⅲ』570の日本初の『露和辞典』の編纂者に他ならない。またエロシェンコを迎え入れる日本のエスペラント状況に関しては、これも『近代出版史探索Ⅴ』879で日本エスペラント学会のメンバーを挙げておいたので、そちらを参照してほしい。もっとも学会設立は大正八年であるのだが。

 エロシェンコは突然来日し、後に理事長となる中村精男を訪ねていくのである。当時中村は竹橋の中央気象台の台長で、世界エスペラント協会代議員だった。中村はエロシェンコを、日本エスペラント協会事務所を兼ねる黒板勝美の家に連れていき、書生の杉山隆治と、これも『同』879の小坂狷二に紹介し、彼の世話を頼み、住居として、本郷菊坂の菊富士別館の部屋を手配した。二人ともエスペランティストであった。そしてエロシェンコの日本の生活が始まっていくのである。

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