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古本夜話1308 魯迅「故郷」をめぐる読書史

 前回、エロシェンコの帰郷にふれて、魯迅の「故郷」を挙げたこともあり、この作品にも言及してみよう。それは『エロシェンコの都市物語』を著した藤井省三の『魯迅「故郷」の読書史―近代中国の文学空間』(創文社、平成九年)も合わせて読み、とても触発されたからだ。なお「故郷」のテキストは『魯迅文集』(第一巻所収、竹内好訳、筑摩書房、昭和五十一年)による。

エロシェンコの都市物語―1920年代 東京・上海・北京   魯迅「故郷」の読書史―近代中国の文学空間 (中国学芸叢書)   魯迅文集〈1〉 (ちくま文庫)

 「故郷」は北京の総合雑誌『新青年』に掲載され、一九二三年に北京の文芸クラブ、新潮社から刊行の魯迅の第一創作集『吶喊』に収録された。これは同社の「文芸叢書」第三巻で、この単行本化によって「故郷」はその後、版元を変えながらも、中国全土や海外へも伝播した。藤井によれば、『吶喊』は三〇年代までに十万部を超える「当時としては空前のベストセラーであった」とされる。

 それは藤井もふれているように、二十世紀に入っての商務印書館に代表される中国の書店網の拡張、郵便制度の充実、鉄道や道路の整備などを背景とし一九二〇年代から三〇年代にかけての『吶喊』の「空前のベストセラー」を支えていたことになる。私は『書店の近代』(平凡社新書)などで、日本の近代文学と、出版社・取次・書店という近代出版流通システムの誕生が軌を一にしていることに繰り返し言及してきている。それは中国でも同様であり、そこには同じく教科書も含まれていたし、教科書を通じて「故郷」は広く受容されていった。その事実は日本でも例外ではなく、藤井は次のように述べている。

書店の近代―本が輝いていた時代 (平凡社新書)

 日本でも「故郷」は一九二七(昭和二)年に初めて翻訳されて以来、外国文学としては破格の数の読者を得ている。これを最初に中学国語教科書に収録したのは、敗戦後の日本が独立を回復して間もない一九五三年のこと、教育出版社(ママ)版の三年用教科書であった。その後、「故郷」を収める教科書は増え続け、日中国交回復後の一九七二年以後は、国語教科書のすべてに収録されている。外国文学でありながら国民文学的扱いを受けているのである。

 確かに私もどの出版社版かは思い出せないけれど、「国語教科書」で「故郷」を読み、魯迅とともにその作品を記憶に残したことになる。あらためて「故郷」を読んでみよう。

 「故郷」は「きびしい寒さのなかを、二千里のはてから、別れて二十年にもなる故郷へ、私は帰った」と始まっている。だがその「故郷」は「わびしい村々」の姿として現われ、「寂寥の感」がこみあげ、「ああ、これが二十年来、片時も忘れることのなかった故郷であろうか」という嘆息をもたらす。それはこの帰郷が楽しいものではなく、「故郷に別れを告げに来た」ことにもよっている。長きにわたって一族が住んでいた古い家は他人の持ち物になり、明け渡すことになっていて、「私がいま暮らしを立てている異郷の地へ引っ越さねばならない」からだ。
「私」が家の表門に立つと、庭先に母と甥がいて、引っ越しの話になった。荷づくりはほぼ終わり、道具類は半分ほど処分したが、よい値にならず、親戚廻りをして発つことにしようと母はいった。それから閏士(ルントー)がいまにくるかもしれないと。
 「私」の脳裏に十一、二歳だった頃の閏士の少年姿が浮かんだ。それは三十年近い昔のことで、海辺の砂地の西瓜畑に銀の首輪をつるし、鉄の刺又(さすまた)を手にして穴熊を見張っていた。おそらく閏士は十歳そこそこの「私」の目に孫悟空のように映ったのだろう。「私」は父も生きていたし、家の暮らし向きも楽で「坊ちゃん」だったが、閏士は忙しい時の正月などに雇われる「忙月(マンユエ)」の息子であった。わが家が大祭の当番だったので、閏士も「忙月」として雇われることになった。彼は罠をかけて鳥を捕るのがうまく、夏になったら海にいこうという。「ああ、閏士の心は神秘の宝庫」で、海辺には五色の貝がら、跳ね魚がいっぱいいるのだ。正月が過ぎ、閏士は家に帰らねばならず、二人は別れがつらく、泣いていた。後で貝がらが届いた。だがそれきり顔を合わす機会はなかった。

 その閏士がやってきた。だが彼の父親のようにやつれ、「私の記憶にある閏士とは似もつかなかった」し、「私」を「迅(シュン)」ちゃんではなく、「旦那さま!」と呼ぶのだ。「私」は「悲しむべき厚い壁が、ふたりの間を距ててしまったのを感じた」だけでなく、「子だくさん、凶作、重い税金、兵隊、匪賊、役人、地主、みんなよってたかってかれをいじめて、デクノボーみたいな人間にしてしまった」と思う。

 そこで持っていかない品物はすべてあげようと話すと、彼は家具などの他に肥料となる「藁灰もみんな欲しい」といった。しかし故郷を去る船上で、筋向かいの豆腐屋の楊おばさんがその灰の山から十個あまりの椀や皿を掘り出し、閏士が埋めたにちがいないといい、灰を運ぶときに一緒に持ち帰るつもりだったと結論づけた。「私」にしてみれば、「西瓜畑の銀の首輪の小英雄のおもかげは、もとは鮮明このうえなかったのが、今では急にぼんやりとしてしまった。これもたまらなく悲しい」が、彼らが「私たちが経験しなかった新しい生活」をもたなくてはならないと思った。それは「希望」「手製の偶像」にすぎないが、「私の望むもの」と異なり、「かれの望むものはすぐ手に入」るものだから。

 これが簡略な「故郷」のストーリーだが、藤井の『魯迅「故郷」の読書史』はその変遷に関して、中華民国の知識階級、教科書、中華人民共和国期・毛沢東時代の思想政治教育、中華人民共和国、鄧小平時代の改革・解放期までをたどり、毛沢東時代からの豆腐屋小町の真犯人説と鄧小平時代における閏士犯人説の復活を跡づけている。これもベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』(白石隆、白石さや訳、リプロポート)と出版資本主義、政治共同体と言葉共同体における「故郷」の問題、戦後の中華人民共和国のイメージの変遷などが錯綜しているわけだが、豆腐屋小町の真犯人説はそうした中国ならではの「故郷」読解と見なすべきであろう。そこには「想像の共同体」の変遷も生じているだろうし、現在の中国で「故郷」はどのように読まれているのだろうか。

想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険)

 最近続けてDVDで、ジャ・ジャンクー監督の『山河ノスタルジア』(二〇一六年)、『帰れない二人』(二〇一八年)を観たが、これらも現代中国の「故郷」をめぐる物語といえよう。

山河ノスタルジア [DVD] 帰れない二人 [DVD]


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