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古本夜話1309 『チリコフ選集』と「田舎町」

 藤井省三は『魯迅「故郷」の読書史』において、「近代中国の文学空間」というサブタイトルを付しているように、「故郷」をコアとする国家イデオロギーのパラダイムの変容、つまり「近代中国文学の生産・流通・消費・再生産の物語」を描き出そうと試みている。

魯迅「故郷」の読書史―近代中国の文学空間 (中国学芸叢書)  

 そのためにベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』のいう出版資本主義がもたらすナショナリズム、及びイ・ヨンスクが『「国語」という思想』(岩波書店)で提起する言語共同体が重なり合って援用されている。それらは意外でもないけれど、魯迅が「故郷」を書くにあたって、チリコフの「田舎町」を範としているとの指摘にはいささか驚いてしまった。

想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険) 「国語」という思想―近代日本の言語認識

 それは大正六年に新潮社から刊行された関口弥作訳『チリコフ選集』収録の作品で、魯迅はその中の「田舎町」と「連翹」のふたつを重訳し、翌年に世界文学短編集『現代小説訳叢』(上海、商務印書館、一九二二年)に収録しているという。いささか驚いたと書いたのは作者とその『選集』を初めて目にしたからである。また『日本近代文学大事典』にも訳者の関口は見当たらないが、本探索1203で、東京外語出身ではないかと既述している。チリコフのほうは例によって『世界文芸大辞典』を引いてみると、次のようにあった。

 チリコフ(一八六四-一九三六)ロシアの作家。カザンの貴族の家に生れ、古典中学を卒業してカザンの法科へ入り、後博物科に転じたが、一八八七年の大学生騒動で放校に処せられた。文名を知られたのは一八九三年『ロシアの富』に最初の短篇が載つてからである。初期の作品には主として、人民自由派の運動が破滅して、マルクス主義とナロードニキ派との論争が持ち上がつた頃の知識階級を描いてゐる。『廃兵』『外国人』等が、それである。だが作中人物は多く流刑中の知識階級で、彼らは田舎の小市民生活に沈潜しつゝ空しく過去の夢を追うてゐるに過ぎない。一九〇一年からは主として戯曲を書いてゐるが、中でも『イヴァン・ミローヌイチ』は成功の作である。田舎の黴びた生活に於ける新旧両時代の衝突が極めて巧みに描かれてゐる。十月革命後チリコフは白系と結合し、一九二〇年外国に亡命した。

 チリコフはもはや忘れられた作家と思われるし、魯迅との関連もあるので、そのまま引いているが、人名、作品名の原語表記は省略した。なおこの立項は『近代出版史探索Ⅴ』832の昇暁夢によるものだ。ちなみに『明治・大正・昭和翻訳文学目録』を確認してみると、『同Ⅲ』550の近代社『世界戯曲全集』などにも戯曲は収録されているが、小説は『チリコフ選集』に集約され、チリコフといえば、関口訳のこの一冊に尽きるように思われた。

  (『世界戯曲全集』26巻、チリコフ「町の家にて」他)

 そのように考えている最中に古書目録が届き、そこに土浦のれんが堂が『チリコフ選集』を四千円で出品していたのである。もちろんただちに申しこむと、運よく送られてきた。それは『近代出版史探索Ⅴ』832の新潮社「近代名著文庫」などと同じ判型の一冊で、五七四ページに十七編の作品が収録され、まさに『チリコフ選集』として送り出されたとわかる。関口は「訳者序」で、チリコフは芸術家、革命家、民衆教化者で、その背景には革命があり、十七巻の全集が上梓されているが、その中から「より傑れてると思ふものを選んで、此の書を編んだ」と述べているそのまま言葉を借りれば、同書は日本で翻訳された唯一の『チリコフ傑作集』といっていいかもしれない。

 そこでまずは「田舎町」を読んでみると、それは次のように始まっている。

 私の乗つてゐた汽船は、私の胸に烈しい鼓動を起こさせながら自分が曾て若い時に住んでゐた或る小さい都市の波止場へと寄つて行つた。暖かく静かな、そして物思はしげな夏の夕べは懶げに揺れてゐるヴォルガの水や、沿岸の山々や、遠い河向うの森林の青味がかつた遠景を包んだ。甘い疲労と、言ふに言はれぬ哀れな感じは、此の夕べからも、夢のやうな川の平面からも、山々の上に高く茂つてゐる村の川の上に落ちてゐる影も、山の彼方に没しかけてゐる太陽からも、淋しげな漁夫の小舟からも、そして又白い鷗や遠い汽笛からも私の魂の裡へ吹き込むのであつた・・・・・・

 魯迅の「故郷」のほうのイントロダクションは前回示しておいたので、比較してほしいが、「田舎町」と類似しているし、それはストーリーも同様である。ただ藤井も述べているように、それは単なる翻案ではなく、チリコフが過去へのノスタルジーへと逃避しようとしていることに対し、魯迅のほうは「故郷」の風景がすでに消え失せてしまったことを通じて、一九二〇年代における中国知識人の精神を投影させていることになる。それはチリコフの関口訳を媒介として提出されたのである。

 その事実はフローベールからツルゲーネフが学んで『猟人日記』を書き、それを二葉亭四迷が「あいびき」として訳し、そこから国木田独歩の「武蔵野」が生まれた構図と共通していよう。このことは拙稿「郊外風景論の起源—国木田独歩『武蔵野』」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)を参照されたい。

     郊外の果てへの旅/混住社会論


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