これは意図したわけではないが、本探索において、民友社に関してふれることが少なかった。それは前回既述しておいたように、民友社が当時は看板雑誌『国民之友』を有し、多くの書籍も刊行する大手出版社だったにもかかわらず、意外にその書籍を拾っていないのである。
その典型が「現代叢書」で、これは二十年ほど前に一冊だけ見つけている。『全集叢書総覧新訂版』によれば、大正時代に全二十四巻が出されている。しかしその後が続かず、ずっと書く機会を得なかった。だからここで取り上げておきたいし、まずそのリストを示す。
1 | 『オイケン』 | 第Ⅱ期 | 1 | 『婦人問題』 |
2 | 『巴奈馬』 | 2 | 『現代米国』 | |
3 | 『帝国の国防』 | 3 | 『独逸軍国主義』 | |
4 | 『現代欧州』 | 4 | 『最新科学』 | |
5 | 『新支那]』 | 5 | 『近時の経済問題』 | |
6 | 『南米』 | 6 | 『満蒙』 | |
7 | 『日本憲政史』 | 7 | 『極東の外交』 | |
8 | 『ベルグソン』 | 8 | 『極東の民族』 | |
9 | 『独逸皇帝』 | 9 | 『欧州大戦』 | |
10 | 『飛行機』 | 10 | 『新芸術』 | |
11 | 『近代文学』 | 11 | 『新聞』 | |
12 | 『極東の露西亜』 | 12 | 『南洋』 |
(『新支那』)
(『独逸皇帝』)
タイトルを挙げていて、何かとりとめのない印象のシリーズだと思うのは私だけではあるまい。書籍出版社というよりも、雑誌出版社のジャーナリズム的視座から企画され、編まれたと考えるべきだし、その内容見本に見える「現代叢書」は「最新にして趣味あり且つ有用なる題目を簡明軽快に叙述し、以て現代読者階級の要求に応ぜんとす」はその事実を肯っているといえよう。それにこれらのアトランダムに映るタイトルには、他でもない大正時代の問題とテーマが表出しているといっていいのかもしれない。
私が所持しているのは第Ⅱ期7の『極東の外交』で、機械函入、B6判上製四〇二ページの一冊である。おそらくこの「現代叢書」のフォーマットは同書に準ずると考えてよかろう。ただ徳富蘇峰監修はともかく、吉野作造編輯とあり、奥付は編輯者も同様で意外だったことだ。そして蘇峰の「序文」によって第Ⅰ期5の『新支那』と並んで、極東内外の形勢を明らかにする一冊で、著者が極東外交の研究を専門とする牧野義智であることを知らされる。とすれば、『極東の外交』は第Ⅰ期12の『極東の露西亜』、第Ⅱ期6の『満蒙』、同8の『極東の民族』とも通底していることになろう。
(第Ⅱ期)
それは「編者識」の「例言」にある次の一文と共通していよう。
本書の目的は、極東外交の現勢を解説し、近時の如き複雑なる極東の国際政局が、如何なる関係に依て起り、如何にして益〱其局面を発展せしめたるかと説明し、更に進みて極東の均勢と、欧米各邦の対支政策との関係に論及し、之に対する本邦の地位、責務を明瞭ならしめ、以て奔放対外方針の確立に資せんとするにあり。
ここに見られる「極東外交」を「露西亜」「民族」などに換えれば、先の二冊にも当てはまるであろうし、それは他のタイトルをもってしても同様であり、そうした視座は『国民之友』によった蘇峰と吉野作造の「現代叢書」にこめたコンセプトと見なすことができる。これは『極東の外交』の一冊しか手にしておらず、全巻を確認しているわけではないけれど、吉野が編輯者でない場合も、それほど異なるものではないと思われる。著者の牧野義智のプロフィルは判明していないが、『国民之友』というよりも、吉野の近傍にいた学究ではないだろうか。
『近代出版史探索Ⅳ』623の『明治文化全集』へと結実してゆく吉野と明治文化研究会の関係は承知していたが、民友社と『国民之友』との関係は『極東の外交』を手にするまで知らないでいた。これらのラインナップを見ていて想起されたのは、「現代叢書」が大正三年に始まった企画であり、大正後年であれば、これらのすべてが総合雑誌の特集テーマとなったのではないかということだった。
ところがそうではなく、単行本シリーズとして企画刊行されたのは、『国民之友』がそのような器の雑誌ではなく、そうした特集を組むことになる『改造』『解放』『我等』などの総合雑誌の創刊は大正八年を待たなければならなかったのである。それゆえにこそ「現代叢書」が成立したと思えてならない。
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