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古本夜話1351 笹井末三郎と柏木隆法『千本組始末記』

 宮嶋資夫の『禅に生くる』では彼を天龍寺へと誘ったのは「笹井君」で、それをきっかけにして宮嶋はその毘沙門堂の堂守となり、仏門の生活へと入っていったのである。

 この「笹井君」は笹井末三郎のことで、柏木隆法によって『千本組始末記』(海燕書房、平成四年)が書かれ、それを主要文献として『日本アナキズム運動人名事典』で立項されるまでは、岡本潤の『罰当りは生きている』(未来社、昭和和四十年)における次のような証言によって知られているだけだった。

 日本アナキズム運動人名事典  

 笹井の父親は、関西では名うての千本組というやくざの大親分だった。その三男に生まれた末三郎は、中学時代から文学を愛好して詩を書いたりしていた。(中略)そのうち社会主義思想に共鳴して家をとびだし、東京へきて労働をしながら、大杉一派のアナーキストや宮嶋資夫などに接近していた。その後、京都へ帰って千本組の若親分として立てられるようになったが、アナーキズム運動のかくれたシンパとして、非合法活動で追われているアナーキストを匿ったり経済援助を与えたりしていた。やくざの親分といえば右翼団体の看板をかけるものが多い(中略)が、かれだけは特例といっていい変り種で、親分というとはにかみ、(中略)やくざとはどうしても見えない青年紳士だった。その実うちには、般若の寅だとか、カナヅチの勝などという直情径行の若者がいたが、かれらも笹井の感化をうけて、リクツぬきで資本家と権力に対抗する気がまえを見せていた。昔のことはいわれたくないかもしれないが、大映社長永田雅一も、当時はマー公といって、笹井一家に出入りするチンピラやくざだった。

 さらに岡本は「革命と芸術をふところに入れて/賽ころをあつかふSよ」と始まる「Sに」という詩も捧げている。笹井に関するイメージはこの岡本の証言に負うことが大きいと思われるし、その後マキノ雅弘自伝『映画渡世・天の巻』(平凡社、昭和五十二年)も出され、マキノと笹井と永田の関係にもふれられているのだが、マキノトーキーをめぐる笹井による資金繰り問題もあってなのか歯切れが悪い。岡本は日活撮影所の重職にあった笹井を頼って京都にきて、その企画部員として入社している。

映画渡世・天の巻―マキノ雅弘自伝

 おそらくそうした様々な笹井の間隙を埋めようとして、柏木は資料収集と関係者インタビューを重ね、千本組の始まりと笹井の誕生から戦後における千本組の解体と笹井の死までを追い、満を持して『千本組始末記』を刊行したと思われる。それはA5判上製五〇〇ページを超え、しかも八ページに及ぶ口絵写真は宮嶋の出家写真も含んで壮観でありそのことを象徴していよう。だがここでは第九章の「宮嶋資夫出家の波紋」に言及するだけにとどめる。

 宮嶋の『禅に生くる』には出家が笹井の誘いによる偶然のきっかけのようになされたと述べられているけれど、柏木は森山重雄『評伝宮嶋資夫』(三一書房)などを参照し、その真相に迫ろうとしている。それは大杉栄虐殺に対するギロチン社の復讐の企ての失敗と関係者の死、及び南天堂グループとアナキズム文芸誌『矛盾』の解体を背景としている。それらに関しては寺島珠雄『南天堂』(晧星社)や拙稿「南天堂の詩人たち」(『書店の近代』所収)があり、柏木のほうは「ギロチン社事件」にも一章を設けているし、『矛盾』のことは『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」に立項があるので、そちらを参照してほしい。

 南天堂 松岡虎王麿の大正・昭和  書店の近代―本が輝いていた時代 (平凡社新書)

 それらにまつわる事件や出来事を具体的に挙げれば、『近代出版史探索』28の昭和四年の和田信義『香具師奥義書』出版記念会における宮嶋の辻潤殴打である。それは『矛盾』を自らつぶしてしまった宮嶋の精神状態の錯乱に対して、辻から絶交をいいわたされていたことが原因だとされる。しかもその出家に寄り添っていたのは笹井だけでなく、近藤茂雄と新谷与一郎であった。二人とも『日本アナキズム運動人名事典』に立項されているが、前者は笹井の紹介で日活撮影所に入り、後に神戸光という俳優となり、『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社)にも見出される。後者はギロチン社事件に連座し、出所後笹井の紹介で日活撮影所に就職しようとしたが、それは実現しなかったようだ。

(『香具師奥義書』) 日本映画映画俳優全集・男優編 キネマ旬報増刊 10.23号 創刊60周年記念出版

 それに近藤に関して特筆すべきは宮嶋とともに南天堂の常連でもあったことに起因するのだろうが、神戸の喫茶店三星堂を根城として、『赤と黒』や『ダムダム』を想起させる『ラ・ミノリテ』を創刊している。一号だけで終わった雑誌の書影は柏木の『千本組始末記』にも掲載され、執筆者として岡本潤、小野十三郎、宮嶋資夫などの他に笹井陶三郎=笹井末三郎、神戸光=近藤茂雄も見えている。また近藤は宮嶋夫人の麗子に世話になったこともあって、彼の出家についても問い合わせ、「エゴの人」の決意ゆえに「賛成したというよりは諦め」の心境だとの彼女の返事を得ている。それにこれもめぐりめぐってなのだが、神近市子も喜劇俳優神戸光の大ファンで、娘とともに映画は欠かさず観ていたという。

 このように宮嶋の出家をめぐる人脈を見ていくと、仏教書出版社からヤクザ、映画界までが連鎖し、大正時代から昭和にかけてのアナキズムの世界の社会主義人脈とは異なる人物たちの跳梁を知るのである。


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