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古本夜話1352 宮嶋資夫『遍歴』と古田大次郎『死の懺悔』

 宮嶋資夫の『遍歴』におけるアナキズムから仏門への転回点をたどってみると、その発端は関東大震災から昭和初年にかけてのことだったと思われる。

 実際に『遍歴』のタイトルが物語るように、宮嶋はこの自伝的著作を「巡礼と遍歴」の章から始め、関東大震災から昭和初年にかけては、「大震災・虐殺」「死の恐怖」「禅門に入る」という三つの章が相当している。それは「運動と創作」と「禅病・停滞・無変化の苦悩」をはさんでのことで、彼の「巡礼と遍歴」がその時代へと収斂していっている印象を与える。

 おそらく大逆事件を受けての石川啄木の「時代閉塞の現状」(『啄木遺稿』収録、東雲堂書店、大正二年)も念頭にあったにちがいない。房州根本での大震災混乱後に上京するが、大杉たちが虐殺され、亀戸で平沢計七もまた殺されたことを知り、自らも保護検束される。

(『啄木遺稿』)

 東京帰つてからの私は、ただ憂鬱であつた。已に国民新聞も解体して、約束の長篇小説を書く場所もなくなつてゐたが、それよりも、創作すべき衝動を失つてゐたのである。主義者に対する圧迫は、暗々の中に強くなつてゐた。雑誌も新聞も門を狭くした。

 それは右翼の大化会のピストル乱射による労働運動社での大杉の遺骨強奪事件にも象徴されていたし、そこに村木源次郎や和田久太郎は遭遇していた。この事件に相俟って、関東大震災時の東京憲兵隊の大杉栄、伊藤野枝、甥の橘宗一虐殺は、村木や和田を始めとするアナキストたちのテロリズムを誘発することになった。

 大正十三年月九月に和田や村木が震災時の戒厳令司令官福田雅太郎をピストルで狙撃するが、軽傷を負わせただけで失敗に終わる。それと相前後して、ギロチン社を結成していた古田大次郎や中浜哲たちは、大杉虐殺報復のための資金や武器を確保しようとして、大阪で銀行員を襲うが、誤って刺殺してしまう。これらの報復計画は前年末頃から進められ、労働運動社関係者とギロチン社がコラボレーションしていたが、和田が福田狙撃を失敗したことを端緒として、村木たちは逮捕され、裁判へと至る。

 そうして彼らは次のような最後を迎えることとなる。古田と中浜は死刑、和田は獄中で縊死、村木も実質的に獄死と見なすべきだろう。彼らだけでなく、大正三年十一月には本探索1267の難波大助による皇太子狙撃という虎ノ門事件が起き、難波も死刑に処せられる。また関東大震災後に不逞社の金子ふみ子と朴烈が保護検挙され、大逆罪で起訴され、二人には死刑判決が出され、後に無期懲役となるが、金子のほうは大正十五年に縊死とされる。

 その後、和田久太郎は『獄窓から』(労働運動社、昭和二年)、古田大次郎は『死の懺悔』(春秋社、大正十五年)、金子ふみ子は『何が私をかうさせたか』(同前、昭和六年)を残している。古田と金子の手記が春秋社から刊行されたのは加藤一夫による尽力と伝えられている。それらに関しては拙稿「春秋社と金子ふみ子の『何が私をかうさせたか』」(『古本探究』所収)を参照されたい。

 

 古田の『死の懺悔』を初めて読んだのは、責任編集谷川健一・鶴見俊輔・村上一郎と銘打たれた「ドキュメント日本人」3の『反逆者』(学藝書林、昭和四十三年)においてで、そこには法廷での古田、和田、新谷与一郎、倉地啓司の写真が付せられていた。この叢書に関しては拙稿「『全集・現代世界文学の発見』と『ドキュメント日本人』」(『古本屋散策』所収)で既述している。その後しばらくして古本屋で裸本の春秋社版を見つけ、購入したのである。大正十五年六月第三版で、すでに半世紀を経ていたにもかかわらず、たやすく入手できたし、それからもよく目にしたので、当時のベストセラーだった事実を知ることになった。

ドキュメント日本人〈第3〉反逆者 (1968年)

 その巻頭に置かれた江口渙「古田君を憶ふ」は古田のプロフィルと人柄を伝えて迫ってくるし、古田は『死の懺悔』の中で、自分は革命家といよりも、宗教家たるべき素質を多く持っていたのではないかと独白し、「小さな殉教者としての淋しき死を望む」と述べている。古田はテロリスト、殺人者として死刑に処せられていくわけだが、それは「宗教家」「小さな殉教者としての淋しき死」を甘受していたことを意味していよう。これらのギロチン社を含めた事件は竹中労、かわぐちかいじの『黒旗水滸伝』(皓星社)や近年の瀬々敬久監督の映画『菊とギロチン』のテーマとなっている。

黒旗水滸伝―大正地獄篇〈上巻〉  

 またそれは『近代出版史探索Ⅲ』540のロープシンの『蒼ざめた馬』や『黒馬を見たり』にも及んでいるように、古田もロシアナロードニキから左翼エスエル党の系譜に連なる心優しきテロリストたちの一人であったことを物語っている。古田が『死の懺悔』でふれている自然の風景や花への愛着は、ロープシンの作品にも表出していた感慨であり、相通じてもいる。

 その「序」は加藤一夫によってかかれているが、古田の『死の懺悔』の原本の「感想録」三十二巻は『近代出版史探索Ⅲ』404の古河三樹が所持していたとされる。またこれは未見だが、古田の逮捕までの行動記も『近代出版史探索』168の大森書房から『死刑囚の思ひ出』として刊行され、発禁処分となっているようだ。大森書房は広津和郎の設立した出版社であり、彼の戦後の松川事件などへの注視も、そこに発端があるのかもしれない。


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